2013年6月25日火曜日

資料 大日本地名辞書「浮島」「河曲」

花見川地峡の自然史と交通の記憶 14

2013.06.24記事「平安時代の東海道と花見川地峡」の参考として、吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」(明治40年、冨山房)の「浮島」、「馬加」、「河曲」の項の影印を掲載します。

大日本地名辞書に記述された、浮島が幕張(花見川河口)に、河曲が千葉市寒川(都川河口)に比定されるということは、現代においても異論のないところです。

吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」の浮島の項

吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」の馬加の項

吉田東伍著「大日本地名辞書 坂東」の河曲の項


つづく

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2013年6月24日月曜日

平安時代の東海道と花見川地峡

花見川地峡の自然史と交通の記憶 13

最近、集中的に情報収集して、中世の東海道の変遷については詳しく研究されていることを知りました。

東海道は2013.06.18記事「香取の海付近における古代の交通」で紹介したとおり次のような変遷をたどったとされています。

A:上総国(大倉駅)-鳥取駅-山方駅-荒海駅-常陸国(榎浦津駅)
B:武蔵国(豊島駅)-井上駅(下総国府)-浮島駅-河曲駅-鳥取駅-山方駅-荒海駅-常陸国(榎浦津駅)
C:武蔵国(豊島駅)-井上駅(下総国府)-茜津駅-於賦駅-常陸国(榛谷駅)

次の図は「鈴木哲雄:中世関東の内海世界、2005、岩田書院」に掲載されている平安時代の東海道の路線図を単純化した図です。(花見川付近の河川名を書きくわえてあります。)

平安時代の東海道

この図は上記Cの時代の東海道の姿を本道、支路、古道として表現しています。

ここに支路として表現されている井上(いかみ)駅、浮島(うきしま)駅、河曲(かわわ)駅の交通についてみると、いずれも東京湾沿いを通る東海道(陸路)と水運路の交点に駅が設定されていることが判ります。
井上駅は太日川の水運と、浮島駅(幕張)は花見川・平戸川(印旛沼)の水運と、河曲駅は都川・鹿島川(印旛沼)の水運との交点にあります。
これは水運と陸運を併用して東京湾と香取の海を結ぶという平安時代頃の交通のあり方の具体的姿であると思います。
浮島(幕張)に駅が設けられたのは、それが単に、井上と河曲の中間地点にあるという理由ではなく、浮島(幕張)に東京湾と香取の海を結ぶ水運路(一部陸路を含む花見川-花見川地峡-平戸川のルート)のミナトがあったからだと考えます。
この水運ルートの存在を示す資料上の情報はまだ見つけていませんが、水運と陸路の併用という平安時代の交通のあり方に関する研究成果(「鈴木哲雄:中世関東の内海世界、2005、岩田書院」)を私なりに咀嚼して、井上、浮島、河曲の交通機能を次の模式図のように考えます。

水運と陸運の併用模式図(仮説)

この模式図を利用して、花見川地峡の交通について、状況的にその存在仮説を語ることはできそうです。

また、都川-鹿島川の水運ルートについて調べると、花見川-平戸川ルートの情報もなにか出てくるかもしれないとの期待も持ちました。花見川-平戸川ルートよりも都川-鹿島川ルートの方が情報が多いと思います。

つづく

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2013年6月23日日曜日

図書館利用の規制緩和について

場違いな話題で恐縮ですが、図書館利用における規制緩和の必要性について話題にします。

当方は趣味に必要な図書で重要なものは出来るだけ手元に揃えるようにしています。その際WEBによる古書購入を多用し重宝しています。規模の大きな図書館に出かけるための往復電車賃よりもはるかに廉価で(私にとっての)貴重本を入手できることもあります。
しかし、WEB購入のために、どんなに調べてもヒットしない書籍もあります。
その場合はしかたなく、図書館を利用します。

図書館利用する場合、千葉県立図書館ホームページに「千葉県内図書館横断検索」というシステムがあり、県立図書館、県内37の自治体立図書館、千葉県文書館、千葉県内の大学図書館、国会図書館を一括して対象として検索できます。検索は極めて効率的にできます。

また検索した図書を所蔵している図書館で貸出対象となっている図書は、居住している場所の近くの千葉市立図書館支館に取り寄せ、受け取り、自宅で2週間利用することができます。大変便利です。

一方、私の趣味で利用する図書の多くは郷土資料として収蔵されているものが多く、帯出禁止になっているものが多いのです。

図書館にでかけ、帯出禁止の図書を借り出し、閲覧室で読み、必要個所のコピーをとったりしますが、そうした活動に必要な時間と消費する心理的エネルギー=気力に比べて、得られる情報量の比率(効率)はあまり良いものといえません。

しかし、当初は郷土資料室の多くが禁帯出本になっていることに疑問を持ちませんでした。昔からそうだったから、疑問を持ちませんでした。

ところが、ある時、ある図書館に、戦前に手書きで書かれたある町の町誌が存在していることに気がつきました。花見川流域の町ですから、是が非でも閲覧したくなります。
禁帯出になっているので図書館で閲覧しましたが、なにぶん手書きであり判読に時間がかかり、必要な箇所をさっとコピーして返却という訳にいきません。
また、図書館に居られる時間にも限りがあります。困ってしまいました。

その時、突然気がつきました。閲覧している図書がコピー製本であるのです。コピー製本した同じ図書が3冊あり、全て禁帯出本になっているのです。

郷土資料はその地域にとって貴重なものが多く、紛失等の事故が無いように禁帯出にしてあるのももっともだと、疑問を挟んでこなかった私の思考が適切なものではなかったことに気がつきました。

早速図書館サイドに、3冊も所持しているコピー製本図書を、内容が貴重である郷土資料であるという理由で、全て禁帯出にしている事情の説明を求め、禁帯出を解除するよう申し入れしました。

図書館担当の方が3人も出てきて1時間以上の時間がかかったのですが、最後には理解していただき、禁帯出を解除してもらい、貸出により自宅に持ち帰り、利用できました。

その図書が文化財として重要であるならば図書館というより文書館や博物館等で所蔵すべきだと思います。
また、多くの人が参考図書としていつも使うような図書(辞典類等)は禁帯出であってもよいと思います。

しかし、郷土資料として内容が重要だからという理由で禁帯出にすることは時代錯誤的な図書管理だと思います。

一般本について、その内容が国民にとって重要であるから禁帯出にするとしたら、バカバカしいことですが、郷土資料についてのみ、そのバカバカしさが存在しています。

郷土にとって重要な内容の図書ならば、逆にどんどん住民に利用してもらい、活用してもらうことが図書館の使命です。

郷土の地域づくりに図書が利用されてこそ、その図書館の意義があるというものです。
ところが、郷土の地域づくりに必要な図書であればあるほど、住民利用を規制しているのが現状です。

郷土資料に関して図書館利用の規制緩和が大切であると感じています。


参考 2011.05.28記事「花見川の語源3


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2013年6月22日土曜日

上ガス観察

5月初めに花見川で上(うわ)ガス現象が始まり、気になるので散歩でいつも観察しています。

619日は強風が吹き、花見川水面は次の写真のような波が立っていました。

619日強風時の花見川水面

この時は、上ガスによる水の輪は一切見えませんでした。風による波で上ガスの波紋はすべて打ち消されていました。
しかし、よく観察すると、ピンポン玉程度のガス気泡が水面近くではじける現象はいろいろな場所で確認できたので、上ガス現象が通常と同じように生起していることが確認できました。

622日は無風であり、微細な上ガスの気泡も水面で水の輪をつくっていました。確認できた波紋を写真に書き込むと次のようになります。

622日無風時の水面の上ガスによる波紋

水面の中央部に上ガスが多く、これは、川底の深い部分がガスを含んだ地層水湧出の場所となっていることを示していると思います。

上ガスで出来た気泡

上ガスで出来た水面の気泡はよく見ると青みがかっているように感じますが、何かの本にメタンガスは青色に見えることがあると書いてあったことと符合します。

花見川の水面は通常の観察では感じない程度に流れていますので、望遠カメラ等で上ガスを撮っていると、湧出場所が次々と上流に向かって移動しているように錯覚します。

次の図は、地質図ナビで閲覧した20万分の1地質図における「ガス田」分布を赤色で塗ったものです。

20万分の1地質図に表示されたガス田分布

花見川流域は千葉市市街地付近のガス田と習志野・船橋市街地付近のガス田にはさまれています。ここでガス田とはおそらく過去及び現在の商業生産施設としてのガス井の分布をしめしているものですから、あまり厳密な意味はないでしょうから、花見川流域もガス田地帯そのものにあると考えて不都合はないと思います。

なお、花見川流域がガス田地帯そのものの上にあるからと言って、上ガスについての思考をそこで中止してしまうのは知的次元ではすこしもったいないことです。
過去に観察された記録がない上ガス現象が20135月はじめから花見川や新川で始まったという事実の持つ意味をよく考え、その現象発見をきっかけにして、花見川流域付近の地殻の構造や運動に興味を広げたいと考えています。


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2013年6月21日金曜日

「戸(と、ど)」地名検討の状況報告

花見川地峡の自然史と交通の記憶 12

花見川流域-花見川地峡-印旛沼流域に分布する「戸(と、ど)」地名に注目し、それらが地名形成時点では「みなと」の意味をもっていたと仮説し、地名の検討を深めれば、花見川地峡の古代の交通に関する情報を得られるのではないかと考えています。
(詳しくはこのシリーズの過去記事をまとめたサイト「花見川地峡の自然史と交通の記憶」参照)

現在次のような作業を展開していますが、作業が完結するまでにはかなりの時間がかかることが予想されますので、また、作業途中で興味深い感想を数多く持っていますので、途中状況報告をしてみます。

1 町丁目レベルの戸地名分布図作成
対象地域…千葉市、八千代市、印西市(旧印西町、旧印旛村、旧本埜村)、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市

次のような戸地名分布図ができました。

町丁目レベル戸地名分布
対象地域…千葉市、八千代市、印西市、佐倉市、酒々井町、栄町、成田市、四街道市

これらの戸地名が、極端にいうと古代のある時代の舟運ネットワークを示しているのではないだろうかという仮説を、出発点でもったのです。

これだけでは論を進めることができないので、小字レベルでの検討を現在しています。

2 小字レベルの戸地名分布図作成と検討
2-1 戸地名のリストアップ
小字レベルの戸地名は「角川日本地名大辞典12千葉県」の巻末小字一覧から収集しています。
検討視野を広げることが大切であると感じ、狭義の花見川流域と印旛沼流域に対象を絞るのではなく、対象市町の行政域全体についてリストアップし、検討しています。
戸地名の概数は次の通りです。

リストアップした小字レベル戸地名概数

自治体
小字レベル戸地名概数
千葉市
129
八千代市
25
印西市
49
佐倉市
63
酒々井町
14
栄町
6
成田市
36
四街道市
19
合計
341
将来は習志野市、船橋市なども検討範囲に含めたいと考えています。さらにもっと将来は利根川を挟んで茨城県についても検討範囲に含めたいと妄想しています。(いかに作業が膨大であろうとも、それだけの検討価値がありそうだと予感しています。)

2-2 戸地名分布図の作成
千葉市の場合、次のような方法でGIS(地図太郎PLUS)上に戸地名をプロットしています。

ア グーグルマップで町丁目位置を知る
グーグルマップの画面で当該小字がある町丁目を検索して、グーグルマップ上で当該小字のある町丁目を表示する。

イ GISで町丁目位置を表示する
グーグルマップ位置を参考に、GIS上で当該概略位置を表示する。

ウ 情報源(書籍)から当該小字の詳細位置を知る
書籍「絵にみる図でよむ千葉市図誌」上巻及び下巻の2冊から当該町丁目のページを開き、その中の情報から当該小字地名の詳細場所を知る

エ 当該小字をGIS上にプロットする
当該小字地名の詳細場所をGIS上にプロットする。

3枚のパソコン画面をフル動員して、かつ机上には片手で持つことが困難なほどの大冊書籍を2冊用意して行う作業であり、強い気力が求められます。しかし、作業を進めると、新たな情報が次々にわかってきますので、何とか根気を継続できます。

作業中の小字レベル戸地名分布図(千葉市域の一部)

厳しい作業の根気を継続させている、新たな興味ある情報の例を次に列挙します。(まだ検討していない予感的情報です。)

1 戸地名といっても色々な時代に別の意味で付けられたものがある。従って、海の民や水上生活者が最初に植民した時の戸がつく地名と、後世の戸が付く地名を区分する必要がある。(例 出戸が沢山でてくる。多くは台地上に分布していて農耕時代に発出した地名であると考える。)

2 縄文丸木舟や大賀ハスが出土した検見川の谷津合流部が木戸と呼ばれていたことが判明した。また縄文時代から古墳時代まで祭祀跡等の遺跡のある子和清水が木戸と呼ばれていたことも判明した。木戸は要塞的な戸であると考えている。遺跡面の情報と地名情報が初めて結びついたことになり、学術的にも画期的であると思う。
さらに木戸の分布を追い、それと遺跡(物的証拠)との関係を分析すると、それだけでも(花見川地峡の交通との関係が検出できるかどうかはまだ不明であるが)大成果になるような気がする。

3 語尾に「津」がつく地名がほとんどゼロである。(高津が2つある)。戸と津の関係を考える際、近隣地域(北浦など海夫注文の地域)や全国の戸と津の関係と、この地域の戸と津の関係を考察すると、古代から中世にかけての舟運の状況やそれをになった人の属性がわかるかも知れない。

4 検討主題と離れるが、戸地名の小字をリストアップする際、膨大な数の小字をすべて見たが、次のような地名が多出し、興味をそそられる。
ハナ地名…このブログで花見川のハナの検討をしたが、ハナワなどの地名が多出しており、それらをプロットし地形との関係を分析すればいろいろな新たな情報が得られると思う。
ヒョウ・ビョウ…峠地名のヒョウ・ビョウ地名が多出する。特に千葉市域で多出する。この地名はどこかで戸地名分布と関連すると予感している。
カナクソ…金属に関わる地名が散見する。それだけをリストアップするだけでも面白いだろう。いつか取り組みたい。
ハクチョウ…散見する。白鳥を捕るという意味だと思う。
トドロキ・ドウメキ…かなり散見する。滝(泉)があったことを証する地名。

つづく

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2013年6月19日水曜日

小説「花見川の要塞」

WEBをさまよっていたら、次のようなブログ記事中の文章を見つけました。

「現在の千葉市の西部を流れる「花見川」の鷹の台ゴルフ場の近くにレンガでできたトーチカがあったそうです、そしてこのトーチカを15歳の少年三平が現在も守り続けているのです。
三平は鉄道兵です。現在の千葉公園のあたりには「千葉鉄道第一連隊」があり、・・・」

WEBにはこの小説の紹介や読後感のページがなぜか沢山見つかります。人気の小説のようです。

作家稲見一良(故人)の短編小説「花見川の要塞」というものが存在し、その舞台が昨年12月に予備調査した花見川河川敷のトーチカであることは確実のようです。
早速この小説の入手をWEBで手配しました。

アマゾンの古書格安通販(※)でこの短編が収録されている文庫本「傑作小説集 セント・メリーのリボン」(稲見一良、光文社)を購入して読みました。

文庫本「傑作小説集 セント・メリーのリボン」(稲見一良、光文社)の表紙

作品中の主人公は横戸弁天、水神社などを取材し、その後柏井橋近くの大地主の旧家の紳士から鉄道とトーチカの話を聞き、花見川版「不思議の国のアリス」様のストーリーが展開して行きます。

この小説から、柏井橋近くの大地主の旧家の紳士は、トーチカについて「演習用のものだろう。」と考えていることが伝わってきて、「本土決戦用のもの」との私の考えと異なることに興味を持ちました。地元の人も本土決戦用の施設がここにあることは首肯しがたいことのようです。
鷹之台ゴルフクラブ脇の戦争遺跡(軍用鉄道橋脚、トーチカ)について千葉市教育委員会に本格調査実施を要望してありますが、それがいつの日にか実現するとよいと思いました。

………………………………………………
通販による古書購入の機会が増えていますが、私の感覚では価格の最も低いチャンネルはアマゾンの「中古品の出品」です。古書店というより、リサイクルショップの出店のようです。実質配送料だけで古書を入手できる場合も多いです。
また、WEBサイト「日本の古本屋」で検索すると、格安本を見つけることができます。ただし、立派な書棚構築を目指す人は格安本は汚れ等がありますので不適です。

………………………………………………

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2013年6月18日火曜日

香取の海付近における古代の交通

花見川地峡の自然史と交通の記憶 11

1 香取の海付近における古代の交通
最近、古代交通研究という専門ジャンルが存在し、かつて「古代交通研究」という専門誌が発行されていたことを知りました。
この専門誌を対象に、花見川地峡の交通について参考となるような研究を探したところ次の論文を見つけましたので、参考として紹介します。

山路直充(2003):「衣河の尻」と「香取の海」、古代交通研究第13号、p320

この論文に花見川地峡のことが述べられているわけではありませんが、花見川地峡の古代の交通について考えている私にとって、大変参考となるものです。

この論文では、古代(印波国造の本拠地が香取の海の要衝である長沼・根子名川流域を本拠地とした時代)の下総と武蔵との交通ルート(舟運ルート)として次の3つを考えています。

①香取の海-常陸川-印旛沼-鹿島川-千葉-東京湾
②香取の海-常陸川-手賀沼-大堀川-流山-江戸川(旧太日川)-東京湾
③香取の海-常陸川-逆川-江戸川(旧太日川)-東京湾

①と②のルートの場合は一部陸送、③のルートは逆川での引船を想定するとしています。

この3つのルートを吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代(約千年)水脈想定図に、私がプロットすると次のようになります。

吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代(約千年)水脈想定図に山路直充(2003)想定交通ルートをプロットした図

この図を見て、大まわりで長い陸行を要する①ルートがあるのならば、それより距離が短く、陸行の少ない、私が考えているルート(④のルート)が存在するという仮説について、その確からしさの信念を深めることが出来ました。

吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代(約千年)水脈想定図に山路直充(2003)想定交通ルートと私の考えるルートをプロットした図

私の考えるルート
④香取の海-常陸川-印旛沼-新川(平戸川)-花見川地峡-花見川-東京湾

この論文では、陸上交通と香取の海とのかかわりも検討していて、下総国と常陸国を結ぶ駅路について次の3つのルートを想定しています。

A:上総国(大倉駅)-鳥取駅-山方駅-荒海駅-常陸国(榎浦津駅)
B:武蔵国(豊島駅)-井上駅(下総国府)-浮島駅-河曲駅-鳥取駅-山方駅-荒海駅-常陸国(榎浦津駅)
C:武蔵国(豊島駅)-井上駅(下総国府)-茜津駅-於賦駅-常陸国(榛谷駅)

そしてAB771年)、BC805年)とルートが変遷し、それは下総と武蔵との交通ルート(舟運ルート)が①→②へ変遷したことであるとしています。そのルート変遷は印波国と王権との海上権益に関わる関係変化との対応で検討しています。

説明図
山路直充(2003):「衣河の尻」と「香取の海」、古代交通研究第13

この論文のおかげで、古代交通研究というジャンルに接触することができ、花見川地峡の交通に関する私の仮説を、世の中に存在する他の考え・情報と対比しながら考えることができるかもしれないという感触を得ました。

2 自然史的情報の発信の大切さ
なお、この論文を含め、これまでに花見川地峡の交通について論じた著作にほとんど遭遇していませんが、その理由の大きなものとして、次の2点の存在を強く感じるようになりました。

1 花見川地峡に存在する特殊地形(河川争奪による東京湾水系の深く長い谷、印旛沼水系との谷中分水界)を、自然・人文の専門家を含め、世の中の誰も知らないこと。

2 花見川地峡が印旛沼堀割普請の舞台となり、人工改変によりそこに存在した特殊地形の多くが失われたことと、普請の歴史的印象が強烈なため、印旛沼堀割普請以前の自然や歴史について、自然・人文の専門家が興味を持つ環境にないこと。

このことから、花見川地峡の交通を論じる大前提として、花見川地峡に関する自然史的検討(例 縄文海進分布)を深め、その情報を自分だけが知っているのではなく、誰でもわかるような情報として表現し、世の中に発信する必要性を痛感しました。


つづく

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2013年6月16日日曜日

吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代水脈想定図の紹介

花見川地峡の自然史と交通の記憶 10

1 吉田東伍著「利根治水論考」掲載の衣河流海古代(約千年)水脈想定図紹介
2011.11.08記事「余談」で復刻版でない吉田東伍著「利根治水論考」原本を入手した経緯を書きましたが、その「利根治水論考」に衣河流海古代(約千年)水脈想定図と明治時代の利根川水系の現況を示した中下利根水脈図が掲載されているので紹介します。

衣河流海古代(約千年)水脈想定図
吉田東伍著「利根治水論考」、日本歴史地理学会発行、明治43121
(画像を濃くしてあります。)

衣河(キヌガワ)とそれが流れ込む流海(ナガレウミ)の奈良・平安時代の水脈を想定したと本文中に説明があります。
この図に、印旛浦に流れ込む新川(平戸川)と東京湾に流れ込む花見川の水系が、近接している様子が描かれています。

印旛浦をふくむ流海一帯の植民に海の民・水上生活者がかかわり、中世になると平将門の乱の舞台ともなったことなどを知り、この内海に興味を深めつつあります。
この内海と東京湾の水系(花見川)が最も近づく場所の一つが花見川地峡です。

利根治水論考には、治水・利水以外の、流海と東京湾の交通等に関する記述はありませんでした。

中下利根水脈図
吉田東伍著「利根治水論考」、日本歴史地理学会発行、明治43121
(画像を濃くしてあります。)

吉田東伍の時代の利根川現況図です。
利根治水論考における花見川地峡に関する記述は印旛沼堀割普請と明治期の治水・利水に関わることです。お雇い外人技師のデレーケによる、花見川地峡を活用した運河構想など、興味深い記述があります。

2 このシリーズ名称の「船越」を「交通」に改める
これまで、このシリーズ名称を「花見川地峡の自然史と船越の記憶」としてきましたが、次の理由から、「花見川地峡の自然史と交通の記憶」に改めます。

1 花見川地峡を曳舟で越えたことがあると考えていますが、縄文海進時代に丸木舟を担いで越したというイメージで想定しています。地形的に曳舟(ロープとコロ使用)が可能な地形であったかどうか不明です。(曳舟の直接証拠をまだ見つけていません。)
2 船越という地名は花見川地峡にありません。
3 (これが最大の理由ですが)古語「船越」は曳舟を意味していない峠地名であると判ったことによります。(ブログ「ジオパークを学ぶ」2013.06.14記事「鏡味完二の「船越」≠曳舟説」参照)


つづく

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