2020年12月24日木曜日

縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚) 観察記録3Dモデル

 縄文骨角器学習 1

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚)の3Dモデルを作成して観察しました。関連土器を含めて以前から気になっていた遺物です。

1 縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文中期箆状腰飾(千葉市有吉南貝塚) 観察記録3Dモデル

イルカ類下顎骨製

埋葬関連遺物

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」 

撮影月日:2020.12.09 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.016 processing 54 images


展示の様子


展示の様子


説明パネル


関連土器


3Dモデルの動画

2 メモ

・向かって右側の穴が割れて、別の穴を補修して開けていますから、この腰飾は長期間使われていたことがわかります。

・詳しく観察すると下部に三角状の掘り込みが2ヶ所あるほか、刺突点に沿って浅い掘り込みが各所にあります。

・中央より少し下に表面が断続的に直線状に表面が削られた模様があります。この製品に意識してつけられたものであると考えます。この腰飾りを付けている人物が、祈願のために腰飾りに模様(傷)を付けたと考えることが合理的であるように直観します。

・赤い色が左穴付近の刺突点付近で観察できます。染料の色であるようです。

・青い色も各所に観察できますが、染料の色であるのか、骨の色(の画像の写り)であるのか、確認できません。

・これらの観察から、模様と色をある程度復元することが3Dモデルと撮影多数写真からだけでも可能かもしれません。


2020年12月23日水曜日

縄文晩期手燭形土製品(市原市能満上小貝塚) 観察記録3Dモデル

 縄文土器学習 515

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文晩期手燭形土製品(市原市能満上小貝塚)の3Dモデルを作成して観察しました。

1 縄文晩期手燭形土製品(市原市能満上小貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文晩期手燭形土製品(市原市能満上小貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」 

撮影月日:2020.12.09 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.016 processing 36 images


展示の様子


展示の様子


3Dモデルの動画

2 メモ

・全体の姿はカタツムリのような印象を受けますが、カタツムリのリアルな描写は無いようです。

・先端部分は2つ(2匹)のモノ(虫)が交接している様子を表現していると想像します。

・持ち手に入組文が刻まれています。

・容器部分には3つの穴が開いていて空気補給口かもしれません。

・結婚式などの集落繁栄(増殖)関連祭祀において、灯火をとる道具だったのかもしれません。


2020年12月22日火曜日

有吉北貝塚 炉穴・陥穴・土器の分布

 縄文社会消長分析学習 61

2020.12.20記事「有吉北貝塚の早期遺構」で有吉北貝塚の早期炉穴、早~前期陥穴状土坑の分布について学習しました。この記事ではその分布に遺構外出土早期土器分布図をオーバーレイして考察を深めました。

1 早期炉穴・陥穴・土器分布


有吉北貝塚 早期 炉穴 陥穴 土器分布(2D QGIS画面)


有吉北貝塚 早期 炉穴 陥穴 土器分布(3D Qgis2threejs画面)

2 考察

・遺跡区域は半島状台地になっていて、炉穴は半島状台地の北西部に、陥穴は半島北西部の先端と南東部に分布します。

・炉穴分布域の台地北西部には遺構外土器の分布が密になります。炉穴は一定期間そこで人々がキャンプした場所ですから土器片が沢山残ることは当然です。

・中期に形成された南斜面貝層から沢山の早期土器が出土します。発掘調査報告書では台地面に存在していた早期土器片が中期に貝層に流れ込んだと説明しています。中期の人々が意識して、あるいは意識しないで早期土器片を斜面に捨てたのだと思います。

・陥穴分布域の早期土器分布は極わずかで、陥穴と早期土器の関係を見つけることは困難です。

・3D図を見る中で、半島状台地の南斜面は傾斜が緩やかで日当たりがよい、北斜面は傾斜が急で日当たりが悪いことに気が付きました。炉穴は半島状先端だけでなく、南斜面の縁にも分布しています。この分布から炉穴の設置(つまりキャンプ地の設置)要件の一つとして日当たりのよい斜面が好まれるに違いないという想定が生まれました。日当たりのよい緩斜面があれば動物の皮をなめす時の干場などに有効活用できます。また不要物の送り場としても祭祀がやりやすく好適です。

・おそらく縄文人にとって南斜面は北斜面より価値のある空間であり、その場所に中期南貝層が形成された事になります。

・逆に発想すると、中期北貝層の存在はそれなりに特別の理由があると推定できます。


縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点)入組文の解釈

縄文土器学習  514 

2020.12.21記事「縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点) 観察記録3Dモデル」で印西市馬場遺跡第5地点出土土版を観察しました。土版中央にとても印象的な入組文が描かれていて、特段に考えることも無かったのですが、気が付くと次のような印象(空想)が生まれていて、自分にはもっともらしく直観できるのでメモしておきます。

1 土版の3Dモデルオルソ画像


縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点)3Dモデルオルソ画像


縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点)3Dモデルオルソ画像(加工)

2 入組文の解釈 その1

入組文はもともと2本の糸やヒモを撚る状況をデザインした象形であると直感しました。その直観の主な根拠は渦を巻く中心で2本の糸(ヒモ)が最後まで絡み合うのではなく、揃う形状になっているからです。この様子は2本の糸(ヒモ)を撚る状況そのものです。


入組文と2本糸を撚る状況

3 入組文の解釈 その2

2本の糸(ヒモ)を撚ると1本の強い糸(ヒモ)になります。その変化から入組文という象形は結合・結束・縛るなどの意味をそなえていたと想像します。

次の君津市三直貝塚出土耳飾りの入組文もよく観察すると渦の中心は最後まで絡み合いするのではなく、揃います。この文様は2つの結合を意味し、男女が出会い家族を構成する(=結婚)を意味するものかもしれません。


君津市三直貝塚出土耳飾

4 入組文の解釈 その3

土版入組文は殺された女神が木に縛り付けられた様子を表現しているものと空想します。木に縛ったヒモの結び目を入組文で暗喩しています。この女神は眼窩の上半分から上の頭蓋骨が切り落とされた恐ろしい状況に置かれていますが、その女神が木に縛り付けられ、衆人の眼に晒されて辱められている状況がこの土版のテーマです。

千葉市内野第1遺跡出土の晩期土版も愛くるしい顔をしていますが、テーマは同様で、背面に描かれた入組文が木に緊縛されている様子を表現していると空想します。


千葉市内野第1遺跡出土の晩期土版 実測図

内野第1遺跡発掘調査報告書から引用



2020年12月21日月曜日

縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点) 観察記録3Dモデル

 縄文土器学習 513

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点)の3Dモデルを作成して観察しました。

1 縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点) 観察記録3Dモデル

縄文晩期土版(印西市馬場遺跡第5地点) 観察記録3Dモデル

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」 

撮影月日:2020.12.09 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.014 processing 68 images


展示の様子


展示の様子


3Dモデルの動画

2 メモ

・最上部の2つの半円は人の目でしょうか、それとも別のモノを表しているのでしょうか?

・上部真ん中の小さいくぼんだマルは人の口でしょうか、それとも別のモノでしょうか?

・私の超空想では、目から上の頭蓋骨が切断されて無くなった顔半分下が表現された「怖い」人面土版になります。銚子市余山貝塚出土土偶と同じ頭蓋骨「半分喪失」です。女神を残酷に殺害する様子を表現すればするほど、そのお守りの霊験は強くなったのだと想像します。晩期社会は精神的に病んでいたと考えます。

・土版中央部の2つの手が握り合ったようなデザインは晩期遺物によく見かけるものです。


参考 千葉市内野第1遺跡出土人面付き土版の背面に見られる2つの手が握り合ったようなデザイン類似デザイン 千葉市内野第1遺跡発掘調査報告書から引用

・各所のくぼみに赤い染料が残っています。もともとは全面赤彩であったと想像します。


参考 大膳野南貝塚の地形3Dモデル

 縄文社会消長分析学習 60

有吉北貝塚学習の中で大膳野南貝塚を参考にしましたので、早速大膳野南貝塚の地形3Dモデルを1960年代千葉市都市図の等高線情報から作成しました。

等高線からDEMを作成する方法はブログ花見川流域を歩く番外編2020.12.19記事「紙地図等高線から地形3Dモデルを作成する方法」にメモしました。このメモを手掛かりに作業しました。メモした操作そのものは1960年代千葉市都市図をQGISにジオリファレンスする手間に2時間、等高線デジタイズに2時間、パソコン処理に10分くらいで問題なくできました。


大膳野南貝塚の地形3Dモデル(3D)


大膳野南貝塚の地形(QGIS画面)

千葉市内の学習対象遺跡はほとんど大規模開発(=大規模地形改変)に伴うものですから、旧版地図等高線から開発前地形を復元するスキルは大いに役立つことを実感します。

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参考 1960年代都市図4葉を結合し、北が上になるように45度回転させた地図の世界測地系座標(EPSG6677)を求めた資料。QGISにジオリファレンスするために使いました。

参考 大膳野南貝塚の炉穴と陥穴

 縄文社会消長分析学習 59

2020.12.20記事「有吉北貝塚の早期遺構」で早期の炉穴と陥穴の分布を観察しました。この記事で炉穴の分布要因として飲料水の確保が効いていることを述べました。記事を書いた跡、炉穴の場所と陥穴の場所が大局的に関連していることに気が付きましたので、過去検討を引用しながらメモします。

1 参考 大膳野南貝塚の炉穴と陥穴の分布と考察

以下の地図は2018.07.10記事「狩猟方法イメージ」、2017.02.28記事「大膳野南貝塚 炉穴」から引用。


大膳野南貝塚陥穴分布


大膳野南貝塚早期後半炉穴分布


炉穴と陥穴の地形との対応


炉穴と狩との関係イメージ

2017年、2018年の大膳野南貝塚検討を踏まえると、早期後半の狩猟方法の一つが(おそらくメインの方法が)陥穴方式であると想像します。人々は動物行動の変化(例えば季節ごとの変化)に対応して狩猟場所を変えて広域を移動し、ある季節には大膳野南貝塚の場所にキャンプを置き、そこに炉穴を残したのだとおもいます。大膳野南貝塚に炉穴を作った時に狩猟場所(陥穴を設置した場所)がどこだったのかということが問題になります。ここで重要なことはキャンプを置いた場所は陥穴猟の邪魔にならない場所であることは確実であるということです。人々は必ず動物行動に遠慮して「片隅に」キャンプを置いたということです。

そのような視点から「炉穴と狩との関係イメージ」図を見ると、9号・5号炉穴の位置は尾根状台地の中央部に位置していますから、この尾根状台地部に動物が入ってくることを前提にしていません。つまり9号・5号炉穴にキャンプを置いた人々の狩猟場所は大膳野南貝塚付近ではなく、別の場所であったと癒えます。

一方、1号・4号・8号・6号炉穴は台地縁辺部の地形的に影になった場所であり、ここにキャンプを置いた人々の狩猟場に大膳野南貝塚付近が含まれていた可能性が浮かび上がります。

1号・4号・8号・6号炉穴の人々の狩猟場がどこであったのか、その答えをより蓋然性をもって検討することは将来可能であると考えます。

2 炉穴位置(キャンプ地)選定の絶対条件は自分の狩の邪魔をしないこと

大膳野南貝塚1号・4号・8号・6号炉穴の人々の狩猟場がどこであったのかその答えはさておき、この思考から縄文早期後半の人々が炉穴位置(キャンプ地)選定に際して、絶対的に優先する条件は自分の狩りの邪魔をしない場所を選ぶということです。動物の季節的移動特性の邪魔する場所にキャンプを置かないことは確実です。空間利用という点では人ファーストではなく、動物ファーストです。

狩りの邪魔をしない場所にキャンプを置く、その際飲料水の確保場所を優先するということになります。飲料水が確保できる場所では、動物解体に必要となる水も得られます。

3 有吉北貝塚炉穴を作った人々の狩猟場


有吉北貝塚 早期炉穴と早~前期陥穴状土坑の分布(3D)

有吉北貝塚炉穴を作った人々の狩猟場がどこであったのか、答えを絞るだけの情報はありませんが、少なくても炉穴周辺で見つかる陥穴を使っていなかったことは確実です。おそらく有吉北貝塚が立地する半島状台地だけでなく、かなり広域のエリアに陥穴を多数設置して移動する動物を捕えていたと想像します。


2020年12月20日日曜日

縄文後~晩期土偶(八街市滝台地区) 観察記録3Dモデル

 縄文土器学習 512

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文後~晩期土偶(八街市滝台地区)の3Dモデルを作成して観察しました。

1 縄文後~晩期土偶(八街市滝台地区) 観察記録3Dモデル

縄文後~晩期土偶(八街市滝台地区) 観察記録3Dモデル

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」 

撮影月日:2020.12.09 

ガラス面越し撮影 

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.014 processing 66 images


展示の様子


展示の様子


3Dモデルの動画

2 メモ

・ミミズク土偶です。

・目と口の周りの2重の小刻みの線が黒く写って印象的です。黒い色は影ではなく、染料の色のようです。

・頬にある2重の刻み線は何を意味しているのでしょうか?

・どこかで見たことがあると思案していたら、縄文遺物J1グランプリ2019のポスターで見たことがあることに気が付きました。


縄文遺物J1グランプリ2019のポスター

14番が八街市滝台地区ミミズク土偶

このポスター掲載遺物の多くが企画展「ちばの縄文」で展示されていたことに、今更ですが、気が付きました。


有吉北貝塚の早期遺構

 縄文社会消長分析学習 58

地形3Dモデルという学習分析インフラが出来たので、有吉北貝塚学習を本格スタートすることにします。この記事ではウォーミングアップを兼ねて早期遺構の分布図を作成してみました。

1 中期以外の遺構と遺物

有吉北貝塚は中期遺構・遺物がメインです。中期として住居跡168軒、土坑770基(いわゆる小竪穴を含む)、埋設土器2基、ピット群1ヶ所、斜面貝層5ヶ所を検出しています。それ以外の時期についても次の遺構が検出されています。

・早期炉穴8群25基

・早~前期陥穴状土坑12基

・前期土坑1基

・前期土器埋設遺構1基

・後期竪穴住居跡1軒

・後期土坑2基

・後期斜面貝層1ヶ所

中期遺構・遺物の学習の前に、発掘調査報告書詳細分析学習のウォーミングアップを兼ねて中期以外遺構について学習することにします。

2 早期炉穴と早~前期陥穴状土坑の分布

早期炉穴と早~前期陥穴状土坑の分布を次に示します。


早期炉穴と早~前期陥穴状土坑の分布(2D)

これを3D地形モデルで示します。


早期炉穴と早~前期陥穴状土坑の分布(3D)

有吉北貝塚は根本がくびれた細長い半島状台地を利用して立地しています。早期炉穴はその半島状台地の先端部に集中して分布します。

早期後半の条痕文土器小片が出土しています。

炉穴の存在はその場所に定期的に来訪して一定期間棲み付いた跡であると考えられます。台地先端部に炉穴が分布する最も大きな理由は、その場所が飲み水を得るために最適だったからであると考えます。台地先端直下の斜面下部で湧水が得られたのだと想定できます。あるいは谷津を流れる小川が水源だったのかもしれません。


炉穴の例

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

早~前期陥穴状土坑は半島状台地の南東部の相対的に広い場所と先端部にまとまって存在し、中央付近にも見られるという分布をしています。

中期土器片が出土していますが正確な所属時期は不明です。

先端部と南東部に動物が立ち寄ることが多かったという当時の動物生態特性を表現していると考えられます。移動しながら草を食べるシカの群れがこの半島状の台地に入り込み、先端まで行ってから引き返すという行動があったと想像します。


陥穴状土坑の例

有吉北貝塚発掘調査報告書から引用

3 3D地形モデルのデフォルト表示画面

3D地形モデルのデフォルト表示画面は上図にしめしたように遺跡北西上空から南東方向を俯瞰したものを使うことにします。

また垂直倍率は地形の様子をある程度誇張して判りやすくするために×3.0を使うことにします。


垂直倍率の違い

4 グリッド分割情報を使った分布図作成

炉穴の分布図は発掘調査報告書には掲載されていませんがグリッド(4m×4m)の位置は記載されています。このような情報はグリッドの位置から分布図を作成することにします。


グリッドの様子(2D)


グリッドの様子(3D)


2020年12月19日土曜日

縄文晩期土偶(芝山町境貝塚) 観察記録3Dモデル

 縄文土器学習 512

千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」で展示された縄文晩期土偶(芝山町境貝塚)の3Dモデルを作成して観察しました。

1 縄文晩期土偶(芝山町境貝塚) 観察記録3Dモデル

縄文晩期土偶(芝山町境貝塚) 観察記録3Dモデル

撮影場所:千葉県立中央博物館令和2年度企画展「ちばの縄文」

撮影月日:2020.12.09

ガラス面越し撮影

3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v5.014 processing 62 images


展示の様子


展示の様子


3Dモデルの動画

2 メモ

・造形がお面のようになっていて立体性が弱いことと顔の様子が他の晩期土偶と異なることから、この遺物は土偶ではなく、土器等に付属する造形物かもしれないという感想がうかびます。

・顔正面から見えない穴が耳付近に垂直方向に開いています。耳や耳飾を表現する穴ではなく、何かを差し込む機能をもつ穴のような印象を受けます。