2011.7.28記事「子和清水」で、子和(コワ)清水のコワは強(コワ)い清水の意味で、どんな干天でもこの清水だけは水が枯れないという意味だと述べました。
その強(コワ)い理由が宇那谷1谷津縦断形の検討の中で浮かび上がってきました。
理由を箇条書きしてみます。
子和清水が強(コワ)い理由
1 背後の流域が広いこと
子和清水の地形的流域を旧版1万分の1地形図から抽出しました。
子和清水の地形上の集水流域
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
子和清水の地形上の集水流域は面積が12.5haあり、近隣の東京湾水系谷頭浸食部の中では広い面積を有しています。
広い集水流域を有する理由の一つは、小崖1より北側200m程度の土地が東京湾側水系になっているからです。
小崖1より北側が東京湾側水系になっているところは、横戸1谷津~横戸6谷津では見られませんでした。
2 流域に凹地があること
旧版1万分の1地形図には閉じた23.75m等高線で凹地が表現されています。
台地上の浅い谷の凹地は地下に対して漏斗のような役割を果たしている地下水涵養装置であると考えられます。
3 子和清水が流域狭窄部の直下にあること
子和清水流域の最下流が地形的な狭窄部になっています。このため、流域に集まった水がおのずと一か所に集まり、子和清水に流れ出すようになっています。
地形からみると、子和清水流域が地下ダムのような役割を果たしている印象を受けます。
子和清水北の地形的狭窄部
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
4 東側台地に広大な凹地があること
子和清水東側には宇那谷2谷津の広大な凹地があります。この凹地から涵養された地下水の逃げ場の一つが子和清水である可能性が濃厚です。
旧版1万分の1地形図では、子和清水は池と流路筋によって、オタマジャクシのような姿で描かれています。
流路筋は標高22.5m等高線から下に描かれていて、台地(正確には宇那谷1谷津の谷底)の標高は23.75m~25mです。このことから流路筋を流れる水は地下水といっても降雨の影響を受けやすい宙水であると考えられます。
池は17.5m付近に描かれていてここには降雨の影響を受けにくい地下水が湧いていたものと考えます。
子和清水の姿と等高線
旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
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