2012年2月26日日曜日

宇那谷川谷津の拡大プロセス仮説

宇那谷川谷津の幅が特段に広い理由

1 小崖1形成に伴う湖沼の成立
宇那谷川谷津はこれまで検討してきた西の諸谷津(横戸1谷津~横戸6谷津、宇那谷1谷津~宇那谷3谷津)と同じように小崖1を形成した地殻変動の影響を受けたと考えます。
その結果、小崖1の位置より南の縦断勾配が変化し(北に下る本来の勾配が水平あるいは南に下る勾配に変化し)、谷津の水が印旛沼方向へ流れにくくなり、湖沼が形成されたと考えます。
小崖1を形成した地殻変動が起こった当初の宇那谷川谷津の形状は通常の谷津と同じで、特段幅広ではなかったと考えます。

模式図1 小崖1形成前の宇那谷川谷津(概念)

模式図2 小崖1形成による宇那谷川谷津縦断形の変化(概念)

小崖1を形成した地殻変動により、谷津に水が溜まり、湖沼が出来た時、その形状は樹枝状の形状であったと考えます。

模式図3 小崖1形成後の初期の古長沼(概念)

2 火山灰降灰の陸部と水部の差別的影響による湖沼拡大プロセス
湖沼(古長沼)ができてから、この地域に火山灰降灰があり陸域は火山灰堆積深分だけ標高を増していきました。
(長沼付近のローム層高は台地一般面で約5mあります。)
湖沼(古長沼)域ではどうだったでしょうか。 ただ単に窪地に水が溜まっただけでは早期に火山灰降灰圧に負けて陸地化し、湖沼の継続は無かったと思います。
横戸4谷津などはそのような経緯をたどったと想像します。

現代まで、おそらく10万年以上長沼が継続してきたのは、湖沼が継続するだけの浸食・運搬・堆積のバランスがある程度取れていたからだと思います。万年単位でみて、湖沼は最終的に堆積が進み陸域に向かうのですが、ここでは、万年単位でみて、火山灰降灰圧に負けずに湖沼が継続するシステムがあったことに着眼することが大切です。
具体的には、湖面に降る火山灰や周辺陸地から流れ込む火山灰やシルト・細砂を湖沼から吐き出すシステムが備わっていたから湖沼が継続し、それだけでなく湖沼の面積が拡大したのだと思います。
次のような地形形成が行われたと考えます。

模式図4 宇那谷川谷底幅拡大のシステム(概念)

火山灰降灰により陸域では標高が増します。
一方水域でも湖底における堆積により湖底標高が上昇しそのため湖面標高も上昇します。
これにより標高の低い尾根は水没したものと考えます。
そのため湖沼の面積が拡大したと考えます。
つまり宇那谷川谷津の谷底幅が拡大しました。
しかし、湖沼から堆積物が掃流により流出するため、湖沼がすぐに陸化することはないというバランスが保たれていたものと考えます。なぜこのようなバランスが生じたのか、今後の検討としたいと思います。なお、そのバランスの検討要因には、地殻変動のスピードと火山灰降灰のスピードの関係が大きなものとして含まれることになります。

一旦湖沼が安定して成立すれば、風による波の影響で浸食作用が生じ、火山灰で構成される軟弱な陸域を浸食して、湖沼が拡大したことも考えられます。

3 湖沼の終焉
小崖1形成を伴う地殻変動で古長沼が成立し、湖沼範囲を拡大した(谷津を拡大した)プロセスの後、万年単位の湖沼陸化プロセスがあったと考えます。
その最終段階において人の長沼池利用がありました。
そして、自らの地史的背景を誰に知られることもなく、長沼池は戦後すぐに全て干拓されてしまいました。

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