花見川地峡の自然史と交通の記憶 57
1 杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道ルート
杵隈(かしわい)=船着場と双子塚古墳を結ぶ古代官道ルートの検討選択肢はないと考えてよいと思います。
双子塚古墳と高台南古墳を結ぶ官道が真直線であることから、杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ官道も直線と考えます。
次の図にその直線官道ルートを示しました。
杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線(官道ルートの想定)
便宜上、直線に後谷津左岸の土塁部分等も含めている。
このルートの地形断面を示すと次のようになります。
杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線の地形断面図
杵隈の土塁(後谷津右岸の土塁)の背後にはもともと印旛沼水系谷津の谷底があり、河岸段丘地形のようになっていたと考えられます。(このブログで古柏井川と呼ぶ河川の谷底が花見川の河岸段丘のようになっていたと考えます。)
土塁をつくるとき、この河岸段丘(古柏井川谷底)を削りその土を利用するとともに、後谷津谷底(杵隈=船着場の場所)から台地トップに向けてスムーズな傾斜の土地をつくり、官道建設にふさわしい地形環境をつくったものと考えます。
次のような地形改変が古代に行われたと考えます。
官道ルートの地形の様子を3Dで表示すると、次のようになります。
杵隈(かしわい)と双子塚古墳を結ぶ直線(官道ルートの想定)の3D表示
2 官道ルートの現況写真
2012年撮影空中写真に想定した官道ルートをプロットし、写真位置を示しました。
基図は国土ポータルの空中写真利用、DMデータ(千葉市提供)をオーバーレイ
写真1
土塁付近を俯瞰した写真です。
写真2
この場所では印旛沼堀割普請の捨土はありません。従って、古代からの地形がほぼそのまま残っていると考えられます。
写真3
写真に写っている道が古代官道の名残であるということになります。古代官道の幅員は10m以上あったものと想定しています。
この場所を掘れば、古代道路の遺構が出てくる可能性が濃厚です。
写真4
この道でノウサギとばったり出会い、一瞬目が会ったことがあります。この道が古代の大道の存在を伝えているというのですから、驚きです。
つづく
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