2014年6月28日土曜日

下末吉海進期バリアー島の学習 その1

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その1

第4部では下総上位面に関する検討を行います。

下総上位面が出来た頃の様子、それが地殻変動で変形していった様子などについて、5mメッシュDEM(GIS)と現場調査を友として、知ろうという趣旨です。

しかし、第1部縄文海進、第2部花見川河川争奪、第3部印旛沼筋河川争奪と比べると、下総上位面の成り立ちについての知識や問題意識は希薄であると言わざるを得ません。

そこで、第4部では既存文献の学習をしながら、徐々に自分の検討を進めたいと思います。

最初に、下総上位面が形成される直前のバリアー島について、次の文献を読みながら学習します。

1 岡崎浩子・増田富士雄(1989):古東京湾の流系、堆積学研究会報31号、25-32頁
2 岡崎浩子・増田富士雄(1992):古東京湾地域の堆積システム、地質学雑誌第98巻、第3号、235-258頁
3 増田富士雄(1992):古東京湾のバリアー島、地質ニュース458、16-27頁

バリアー島学習のこの初回記事では、このブログで何回も紹介した下末吉海進期の古東京湾とバリアー島イメージ図の意味を、私が出典とは別の意味に変更していたことに気がつかなかったという無様な様子を報告します。

正確に言えば、私が引用した地形専門図書が出典とは別の意味で説明しているのですが、てっきり、その説明が出典と同じものと早とちりしていたのです。

出典とそれを引用した専門図書の地形形成に関する考え方の差異に私が気がつかなかったのです。

このような失敗により刺激を受け、バリアー島について学習する気が強まりました。

1 増田富士雄による古東京湾とバリアー島のイメージ

増田富士雄による古東京湾とバリアー島のイメージ
増田富士雄(1992):古東京湾のバリアー島、地質ニュース458、16-27頁 より引用

少し長くなりますが、図の説明文章を引用します。

下末吉期の古東京湾は,鹿島灘と九十九里浜に広く開口した湾であったとされている(成田研究グループ, 1962). そのイメージを描けば,第9図の1のようであったろう.一方,これまでに述べてきたように,下末吉海進期のある時期に,第9図の2のように,水戸から銚子そして房総半島へとバリアー島が存在していた.バリアー島は海面が上昇するにつれて,陸側に移動してきたのだから,バリアー島が存在していた時期には外洋に広く開口した古東京湾は存在しなかったといえる.また,それ以前には海面が低かったのだから,離水軸の地帯ではむしろ陸が広がっていたはずである.

バリアー島が海進にともなって外洋側から移動してきたことは,その移動した痕跡と考えられる平坦な侵食面が,外洋側にあたる離水軸から東側の地層中に明瞭に残されている(Murakoshiand Masuda,1992 ;O kazaki,1 992)ことからも示される.この平坦な面は,外浜における波浪による侵食面と考えられ, ラヴィーンメント面(Ravinement surface:Swift,1968 ;Nummedal and Swift,1987)と呼ばれる.ラヴィーンメント面のすぐ上には細礫などの粗粒堆積物が残留しているのが特徴である.

すでに述べたように,潮汐三角州堆積物は海進期の堆積物であり,その上面付近が最高海面期と考えられるので,その後さらに海面が上昇してバリアーが海面下に溺れたことはないと考えている.もし,バリアー島が沈水したら,沿岸流や波浪による侵食がおこり,地層にその痕跡が明瞭に残るに違いない.玉造町や成田市付近の地層の例ばかりでなく,鹿島灘や九十九里浜沿岸の常総台地の木下層には,そのような痕跡が今のところみつかっていない.したがって,第9図の1のような“外洋に広く開口した古東京湾は存在しなかったのではないか”,と現在のところ考えている.離水軸で示されるバリアー島(第9図2)は,海が最も広がった最高海面期の姿であったのではないだろうか.

説明の趣旨は「図1はこれまでの学説を図にしたもので、このような古東京湾は存在しなかった。図2が真の古東京湾の姿である。」ということです。

図1と図2を対照できるように示したのは、時間的経過の違いを示そうとしたものでないことは明らかです。

2 専門図書による「古東京湾とバリアー島のイメージ」説明
専門図書「貝塚爽平他編集(2000):日本の地形4 関東・伊豆小笠原、東京大学出版会」では「古東京湾とバリアー島のイメージ」について次の情報を引用掲載しています。

専門書による「古東京湾とバリアー島のイメージ」説明
貝塚爽平他編集(2000):日本の地形4 関東・伊豆小笠原、東京大学出版会 より引用

図のキャプションで「(a)最終間氷期最盛期(同位体ステージ5e)の古東京湾、(b)その後のわずかな海面低下に伴って関東平野の東側にバリアー島が出現した。」と書いています。

出典論文とは明らかに異なる説明で、出典論文の1図(つまりa図)と2図(つまりb図)の関係を時間の経過による地形変化としています。


出典論文とそれを引用紹介している専門図書の説明の違いをこれまで気がつかなかった、自分の資料理解力の虚弱さを思い知らされました。

同時に、バリアー島についてそれがどんなものか、上記3つの論文について学習を深めたいという興味が強く湧きました。

上記3論文を自分なりに理解してみてから、それと異なる説明をしている専門図書のいいたいことのニュアンスについても考えてみたいと思います。

つづく

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