私はこれまで知らなかった「印旛沼古堀筋御普請図絵」の画像を入手しましたので紹介します。
1 経緯
このブログを見ていただいた方(長谷川智昭さん)から「印旛沼古堀筋御普請図絵」について尋ねられたのですが、当方はその図絵については知りませんでした。
長谷川さんがその図絵が掲載されていた本のキャプションから、図絵が収蔵されている船橋市図書館に出向かれてその画像を入手され、当方にもコピーを送っていただきました。
このような経緯で、長谷川さんの好意で図絵画像を入手しました。
2 印旛沼古堀筋御普請図絵
次の画像は船橋市図書館の図書目録(図録)検索用画像ですから低画質なものです。
この画像をこのブログに掲載することについては、船橋市中央図書館郷土資料室から了解をいただいています。
印旛沼古堀筋御普請図絵
(船橋市西図書館所蔵)
印旛沼古堀筋御普請図絵 部分
(船橋市西図書館所蔵)
天保期印旛沼堀割普請の全体像、特に5藩の丁場区分(工区区分)を一覧できるようにした図絵です。
天保期印旛沼堀割普請はお手伝い普請であり、幕府の命により次の全国5藩が従事しました。
1の手(平戸村~横戸村) 沼津藩(水野家) 現静岡県沼津市
2の手(横戸村~柏井村) 庄内藩(酒井家) 現山形県鶴岡市
3の手(柏井村~花島村) 鳥取藩(松平家) 現鳥取県鳥取市
4の手(花島村~畑村) 貝淵藩(林家) 現千葉県木更津市
5の手(畑村~検見川村) 秋月藩(黒田家) 現福岡県甘木市
この図絵に類似するものは他にもあるので、天保期普請当時の社会上層部にこのような図絵を所蔵する需要があったのだと思います。
部分図は「2の手(横戸村~柏井村) 庄内藩(酒井家) 現山形県鶴岡市」付近を示しています。
「高台」とよばれる台地が山のように描かれ、掘削が大変であったことを表現しています。
この図絵の名称「印旛沼古堀筋御普請図絵」の「古堀」とは天明期印旛沼堀割普請ですでに「堀割」の概形が出来ていたので、その古い堀割の工事という意味です。堀割とは「地を掘って水を通したところ。ほり。」ということです。
この図絵ができた由来などの情報は得ていませんので、いつか船橋市図書館に出向いて調べてみたいと思います。
なお、以前の活動で船橋市図書館に「続保定記」の写本があることを知っています。
「続保定記」写本や印旛沼古堀筋御普請図絵が船橋市図書館に収蔵されている経緯についても興味があります。
この図絵について教えていただき、その画像を送っていただいた長谷川さんに感謝します。長谷川さんは次のブログで情報発信しています。
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