鏡味完二の60年前の検討結果を引用します。
……………………………………………………………………
Honzyo,Ryoke,-ryoの地名
本所と領家の地名には次の意味がある。
渡辺氏は庄園に2種を認め,(1)占野開墾に起原をもつものと,(2)寄進系庄園というべきものとを区別している。
前者は奈良朝後半から平安初期に亘って行われ,前々項に述べた"~庄"という地名は正にこれであったと思われる。
それに対して次の寄進系庄園は,9世紀末すなわち平安初期末から中期にかけての頃に盛行したものである。
それは寄進者が私領の保全を目的として,当地の領主権(土地所有権)を権門にゆづり,領主職その他の司職(領所,庄司などの職)を,自己ないし子孫に保留することを眼目とする契約である。
この寄進が盛行した理由は,荘園の著るしい発達の結果としてあらわれた,政府の私田没収に対する方策としてであって,有勢者の荘園は不輸制であったのを利用して,院宮,摂関家,大臣家,大社寺などの上層貴族を受寄者(保護者)とした場合に,それらの保護者を指して本所といった。
またその保護者が一般有勢家である場合には,それを領家といっていた。
故にそれらの寄進系庄園となった耕地を,本所とか領家とか呼んでいるうちに,ついにそれらが地名となったのであろう。
"~領"の地名,例えば"神領"とか"法領"とかなどいう地名も,この種の荘園に職由するものであったと考えられる。
"領家"の分布は吉備地方と利根川筋までの間に密集しているが,その中央の近畿で少くなっており,"本所"のそれは吉備と濃尾の間,とくに近畿に密集している点で異なっている。
〔地図篇,Fig.104〕
この差異に対しては,"本所"の方が貴族系の庄園であったので,近畿にこの地名が多い結果になったのであろう。
全国におけるこの地名の分布を纏めてみると,Fig.22No.10のように中九州から,越後・関東中央までの広い地城が開拓地城となっている。
この寄進系荘園には,累代相伝のものと並んで新開のものが多数あったから,ここに開拓地域の語を用いても差支えない
であろう。
鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用
……………………………………………………………………
2 千葉県における地名型「本所、領家、~領」の検索結果
千葉県小字データベースから検索した結果、「本所」は抽出できませんでした。
「領家」検索結果とその分布は次の通りです。
千葉県における「領家」抽出結果と中世荘園との対応(想定)
「領家」地名分布と中世荘園
袖ヶ浦市の両家地名の場所は菅生荘に近いのですが、郡境を越えますので、とりあえず対応させませんでした。
「~領」検索結果とその分布は次の通りです。
千葉県における「~領」抽出結果と中世荘園との対応(想定)
鏡味完二の説のとおり、「~領」は荘園に由来するものもあると思いますが、皇室所有地、幕府直轄領等も含まれています。
「~領」を指標として時代を特定した開発にむすびつけることは困難のように感じますが、一つのヒントにはなると思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿