2016.06.25記事「千葉県の轆轤(ロクロ)地名が重量物運搬装置に由来する状況」で千葉県の轆轤(ロクロ)地名が、鏡味完二や一般に言われるような木地屋の活動、つまり木工用の装置としての轆轤に由来するのではないと想定する状況として、旭市横根の小字「六郎木工」を検討しました。
この記事では同じ趣旨で、長南町蔵持の小字「六郎谷」と隣接する長南(宿)の小字「六郎谷」について検討します。
大字蔵持と長南(宿)の領域を示すと次のようになります。
轆轤(ロクロ)地名が存在する大字「蔵持」=車持と「長南(宿)」
「千葉県地名変遷総覧(千葉県立中央図書館編)附録千葉県郷名分布図(邨岡良弼著日本地理志料による)のGISプロット
2つの小字六郎谷の具体的な位置は現段階では資料がないため未調査です。
特筆すべきこととして、大字蔵持(クラモチ)は古代部民の車持部(クルマモチベ)の車持から転じた名称です。(角川千葉県地名大辞典による)
以前の記事で、この空間で車持部が船越における輸送に携わっていたことを学習しました。
2016.06.01記事「学習メモ 古代房総部民「車持部(クルマモチベ)」と交通」参照
その船越で車輪技術を使っていた車持部の名称が伝わる蔵持に轆轤(ロクロ)地名である六郎谷が存在するのです。
轆轤(ロクロ)は車輪技術そのものですから、六郎谷は戦略輸送部隊である車持部に関わるものであると考えます。
漂泊の民である木地屋がこの場所で活動して、その活動が地名に残ったとは到底考えられません。
この場所は古代国家が太平洋岸を地域開発するための輸送戦略地点であり、木地屋が商売をするような場所ではありません。
この場所の水系の状況を見ると、つぎのようになります。
長南町蔵持付近の地形
東京湾水系と太平洋水系が稜線を挟まないで接する珍しい地形の場所となっています。
このいわば二つの谷が直接接続する場所が水運の接続地点(船越)として利用されたのです。
大字蔵持つまり車持部の領域に東京湾水系の一部が含まれていることは、その場所が船越としてのいわば施設空間(活動空間)であったことを如実に物語っています。
この付近は東京湾水系は古代市原郡、太平洋水系は古代長柄郡ですが、船越の施設空間(活動空間)だけが流域界を超えて長柄郡が市原郡に食い込んだということになります。
もう少し詳しい地形をみて、轆轤(ロクロ)がどのように使われたか想定してみます。
古代船越付近の地形
C地点では東京湾水系の谷底を太平洋水系の谷が直接削っている様子がわかります。
谷と谷の間に稜線が無く、今まさに河川争奪が発生する時、というような珍しい地形になっています。
この地形断面を次に見てみます。
古代船越付近の地形断面と運搬手段の想定
地形断面図は10mメッシュを使って、GISソフト地図太郎PLUSの機能を使って作成
A-Bは低平、B-Cは緩傾斜、C-Dは急傾斜、D-Eは低平という地形になっています。
この地形から船越における運搬手段はA-Bは曳舟、B-Cは車、C-Dは轆轤(ロクロ)、D-Eは曳舟であると想定しました。
旭市横根では砂鉄を海岸から台地に引きずり揚げる際に轆轤(ロクロ)を使いましたが、長南町蔵持でも同じく重量物を太平洋側から東京湾側に引きずり揚げるために使ったのだと思います。
なお、急斜面からすこし離れて長南(宿)にも小字六郎谷がありますから、その地名は轆轤(ロクロ)作業に従事する人夫の宿泊場所を表していると考えます。
蔵持の小字六郎谷が轆轤(ロクロ)装置の場所を示しているのか、人夫の宿舎を示しているのか、詳細位置が判れば、その意味が判ります。
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