千葉県の轆轤(ロクロ)地名が、鏡味完二や一般に言われるような木地屋の活動、つまり木工用の装置としての轆轤に由来するのではないと想定する状況を説明します。
千葉県の轆轤地名はあるいは全部が重量物運搬装置としての轆轤に由来するのではないかと考えるようになりました。
千葉県の轆轤(ロクロ)地名分布を次に示します。
千葉県の「轆轤(ロクロ)」小字分布
この8つの小字のうち、この記事では旭市横根の六郎木工を検討します。
小字六郎木工の正確な位置は資料を所持していないので、現在私は判っていません。
しかし、小字六郎木工が含まれる大字横根の位置は千葉県郷名分布図をGIS背景地図に取り込みましたので、その概略位置をかなり正確にイメージできます。
2016.06.24記事「千葉県郷名分布図のGIS背景地図取り込み」参照
次に千葉県郷名分布図をGISに取り込んだ状況をしめします。
千葉県郷名分布図をGISに取り込んだ様子(大字横根付近)
大字横根は浜と台地の縁だけでなく、細長く台地中央部まで入り込んでいます。
古代の郡界線を検討したときの不思議な形状に対応する大字です。
2016.06.21記事「GISを使った房総古代分郡図の不合理理由検討」参照
不思議で特異な形状の大字は横根だけでなく、隣の三川も同じです。
この不思議な大字形状と、それに含まれる小字「六郎木工」を結び合わせて思考をしながら、いくつかの情報を集めました。
まず、この台地には製鉄遺跡があります。古い資料には発掘前から多くの鞴や鉄滓が見つかっているということです。
具体的な遺跡例の一つとして倉橋池田池田遺跡を挙げることができます。
また、横根の浜は砂鉄の産地として有名な場所です。
参考 千葉県の砂鉄産地
植野英夫「明治以降の千葉県における砂鉄採取について」(千葉県立現代産業科学館研究報告第18号、2012.03)から引用
このような情報から、旭市横根の小字六郎木工に関して次の想定を行いました。
旭市横根の小字六郎木工に関する想定
●小字「六郎木工」は台地上製鉄遺跡に海岸で採取した砂鉄を運び揚げる運搬用装置としての轆轤(ロクロ)に由来する可能性が高いと考えます。
現代の機械でいえばクレーンということになりますが、古代では低地と台地面の間の急斜面において、轆轤を使って人力で砂鉄を引っ張り上げたと想定します。
●木工(モツコ)は砂鉄を入れる運搬用具としてのもっこ(むしろなどで作る)を意味すると考えます。
●大字横根と三川の得意な形状は、砂鉄採取地とタタラ製鉄施設を含む古代の特定開発地域を示すと考えます。
●大字横根が海上郡、大字三川が匝瑳郡という邨岡良弼の説は再検討が必要であると考えます。
邨岡良弼の明治時代の誤謬が誰からも検討されることなく、現代でも生き続けていることは、素人からみて不思議です。
●結論として、この場所に漂泊の民である木地屋が生活し、木工用轆轤(ロクロ)を操って生活したことが地名として残ったと考えることはできません。
製鉄遺跡があったのですから、古代の早くからこの台地の木は全て木炭に化けてしまって、丸裸の土地であったに違いありません。木地屋がやってきて商売できるような環境はそもそもなかったと考えます。
記事を改めて、別個所の轆轤地名も運搬用轆轤に由来するという想定を説明します。
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