西根遺跡縄文時代の土器集中地点と焼骨分布が重なります。
さらに、土器のかけらの間に焼骨(とそれを焼いた木の燃えカス)が見られます。
破壊した土器のかけらと焼骨が混然一体となって出土する意味がおぼろげながら判ってきたような思考が生れています。
そのおぼろげな思考を忘れないうちに、今後の学習の参考とするために、下にメモしておきます。
1 トチの実アク抜きによる主食づくりの道具としての土器(加曽利B式土器 粗製土器)が壊れて使用に耐えなくなる。
2 それに代わる新しい土器をつくり、古い土器は廃用とする。
3 土器を更新することにより、道具(設備)の面から主食づくりの継続性が集落で担保できる。(食物調達に関する持続可能性)
4 堅果類による主食づくりのメドがついた秋~冬に収穫祭を行う。
5 収穫祭で廃用土器を送り、土器に感謝する。(土器送り…土器破壊)
6 狩猟民である縄文人は主食である堅果類の収穫祭を狩猟の祭(イノシシ、シカの共食と骨焼き行為)の中で(の一環として)行った。
[恐らく狩猟の祭(イノシシ祭などと呼ばれる縄文社会普遍の狩猟祭)に後から堅果類収穫祭が加わった。]
7 縄文時代後期の印旛浦周辺地域は下総地域における主要な狩場では決してないのでイノシシやシカの入手は困難であり、祭祀用の幼獣を特別に入手したり、飼育していたと想像する。
8 縄文社会の伝統である狩猟祭(イノシシ祭)の一環として堅果類収穫祭が位置づけられ、廃用土器の破壊(送り)が行われた。
9 飼育幼獣などを利用してイオマンテ類似行為により獣を共食し骨を焼きそれを散布する行為は縄文社会を営むために必須の祭であった。狩猟行為の実態が存在しない、あるいは虚弱な集落であっても、狩猟祭は必須であった。その必須狩猟祭の一環として(新たに主食化が成功した)堅果類の収穫祭を行った。
土器破片と焼骨が一体となって出土する意味とは、狩猟民としての精神性を示す狩猟祭(イノシシ祭)を冠として、主食である堅果類の収穫祭が行われたことを示していると考えます。
狩猟祭(イノシシ祭)では頭部を体部と切り離して祭壇に飾ったと考えます。
狩猟祭(イノシシ祭)について、今後学習を深めます。
体部の骨を焼く行為の意味については、送り行為の一環(火葬)であると想像しますが、今後学習を深めます。
狩猟祭としての焼骨行為は精神性(象徴性)が強いと考えますので、焼骨散布による修景機能(祭壇付近を白く染める)や土木機能(祭壇付近の地面を固める)は結果として生まれるサブ機能であったと考えます。
参考 西根遺跡出土焼骨
発掘調査報告書から引用
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