縄文土器学習 573
埼玉編年(1982)の加曽利EⅠ式に関する学習が曲がりなりにも完了しましたので、有吉北貝塚学習に戻り、有吉北貝塚出土加曽利EⅠ式土器の観察を改めて行うことにします。
有吉北貝塚の竪穴住居、土坑、南斜面貝層、北斜面貝層毎に代表的な加曽利EⅠ式土器を観察することにします。この記事では竪穴住居出土加曽利EⅠ式土器4点を観察します。
1 加曽利EⅠ式土器観察方法
発掘調査報告書から竪穴住居、土坑、南斜面貝層、北斜面貝層ごと大型破片や復元個体の実測図・写真をデータベース化(カード化)して、そのカードを使って観察します。
2 SB096 4番土器
SB096 4番土器
中峠式から加曽利EⅠ式にかけての土器です。
埋葬人骨頭部を上下に挟むようにして出土した土器です。
SB096 4番土器出土の様子
有吉北貝塚発掘調査報告書から引用
埋葬人骨は埋葬後一度掘り返され、骨の切断等が行われ、再度埋葬されたことが判っていて、興味深い埋葬事例です。
2021.03.20記事「加曽利博研究講座「縄文を知る」を聴講する」参照
この埋葬に関する検討・学習は後日行うことにします。
発掘調査報告書では次のように記述されています。
「口縁部に渦巻文の退化した円環文を横位の隆帯で連携し、胴部は地文縄文上にくずれた波状文および3本一組の沈線を巡らした深鉢である。」
●感想
中峠式土器に見られる連携S字文の連携部分が円環になった(くずれた)ように見えます。口縁部に縄文がないこと、波状文が隆帯ではなく沈線であることから中峠式土器本来の姿が忘れられた時期(外面的様子だけ真似ればよいと考えられるようになった型式衰退期)の作であると考えます。逆に考えれば、加曽利EⅠ式最初期に該当する蓋然性が高まります。
3 SB100 2番土器
SB100 2番土器
発掘調査報告書では次のように記載されています。
「2は4単位の波状の把手を持つ深鉢である。肥厚した口縁部下端には、竹管による刻みを1か所につき2度ずつ施す。胴部には緩いくびれ部よりやや下に2本の沈線を巡らし、肥厚した口縁部直下の1本の沈線との間に沈線で幾何学文を描いたものである。底部の残っている部分には、底部の稜線を切るような刻みが90度振れた位置に1か所ずつみられる。」
加曽利貝塚博物館平成30年度企画展「あれもE・・・」ではこの土器を加曽利EⅠ式併行期土器として紹介しています。
加曽利EⅠ式併行期土器
加曽利貝塚博物館平成30年度企画展「あれもE・・・」展示の様子
●感想
この土器は埼玉編年でいう2群土器の一種であると捉えます。
4 SB090 5番土器
SB090 5番土器
発掘調査報告書では次のように記載されています。
「5は交互刺突文と刻みのある口縁部に大きな把手と小さな突起を対向させた深鉢で、頸部に巡らした沈線から直・蛇行沈線が垂下する。」
加曽利貝塚博物館平成30年度企画展「あれもE・・・」で展示されました。
展示された様子
●感想
器形は埼玉編年でいう2群土器に該当すると考えます。
垂下する直・蛇行沈線が加曽利EⅠ式土器であることを物語るのだと思います。
5 SB185 1番土器
SB185 1番土器
発掘調査報告書では次のように記載されています。
「1は無文の口縁部下に隆帯と沈線による渦巻文及び区画文の文様帯を持つ鉢である。渦巻文には大木8b式影響を受けた剣先状おモチーフが見える。」
●感想
加曽利EⅠ式土器らしい文様です。
口縁部付近の器形が「く」の字状に近いので、加曽利EⅠ式期の後半に近い時期のモノである可能性があります。
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