2020.09.07記事「有吉北貝塚北斜面貝層 395土器(加曽利EⅢ式有孔鍔付土器)の出土層準」で加曽利EⅢ式土器の出土層準から集落終末期に貝層が急激に形成された様子を想定できました。
土器分布図を見ると395土器の近くに67土器(中峠式浅鉢形土器)の土器片が分布しています。出土層準という点でみると加曽利EⅢ式土器とそれより以前の中峠式土器の関係がどうなっているのか興味が湧きます。そこで予察作業の一つとして67土器の層準を略推定してみました。
1 395土器と67土器の出土層準推定
395土器及び67土器の土器片出土層準 略推定作業図
395土器及び67土器の土器片出土層準(略推定)
67土器は土器片5つの接合で構成されていて、土器片は第11断面と第12断面にわたり分布しています。
395土器と67土器のそれぞれの土器片出土層準の関係について合理的な解釈が可能であるような感想を持ちましたので、次のメモします。
2 395土器と67土器の出土層準推定に関する作業上の感想
作業上の感想
67土器(中峠式)は貝層下部に、395土器(加曽利EⅢ式)は貝層中上部に
分布していて土器時期と出土貝層(地層)上下関係は整合しているように観察できます。67土器の土器片1は土器片2付近にあったものが加曽利EⅢ式期の貝層形成期に落ちてきて混入したものと考えることが可能です。
67土器と395土器の出土層準データだけではあまりに少ないデータでありますが、今後データを増やしていったときに見える全体像の姿をおぼろげながら示しているような感じを持ちます。第10断面から第14断面付近では中峠式期頃に貝層が形成され、その後貝層形成が低調化(あるいは中断)し、集落終末期の加曽利EⅢ式期に貝層が急激に形成されたというイメージを持つことができます。
中峠式期頃の貝収穫(漁獲収穫)は貧弱で、加曽利EⅢ式期頃の貝収穫(漁獲収穫)は豊かであったとい印象も貝層の様子から持ちます。
3 資料
67土器実測図、写真(発掘調査報告書情報から作成した自前データベース画面)
記載「くの字に外折する無文の口縁部をもち、頸部に連続コの字状文を持つ楕円形区画文が施され、以下は無文となる口縁部と頸部の境界にも横位連続コの字状文が巡る。」
395土器実測図、写真(発掘調査報告書情報から作成した自前データベース画面)
記載概要「球状を呈する胴部に直立する口縁部が接続し、屈折部に2個1単位の孔を有する鍔が貼付されている。胴部に沈線による渦巻形を基本とする文様を描出し、文様内の一部にLRL複節縄文を充填している。」
断面図位置
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