ラベル 作業仮説 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 作業仮説 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年7月6日火曜日

有吉北貝塚北斜面貝層成立メカニズムに関する作業仮説

 縄文社会消長分析学習 109

有吉北貝塚北斜面貝層に関して発掘調査報告書データの分析が進んでいます。この活動の中で、いろいろな事実が判ってきました。まだ途中ですが現在までの知見に基づいてこれまでイメージしてきた貝層成立メカニズムを作業仮説としてまとめてみました。今後の分析作業を効率化するための仮説であり、不都合な点が判れば、躊躇なく加除修正するレベルの仮説です。

1 発掘調査報告書データ分析で判った事実など

分析作業で判った事実などを断面図・平面図作業画像にメモしました。


断面図・平面図作業画像メモ

1-1 北斜面貝層の位置

北斜面貝層は台地面と谷津谷底の間にある斜面の途中に発達する箱形窪地地形に形成されています。箱形窪地地形のガリー主流路左岸側(西側)だけにすっぽり収まっています。

住居近くの斜面に単純に貝を捨てたのではありません。特異な箱形窪地地形を意識してそこにだけ貝塚を形成しています。


参考 有吉北貝塚における北斜面貝層の位置

1-2 北斜面貝層の分布

箱形窪地地形の中に南北方向にガリー主流路(おそらく普段は空川)があり、その主流路を越えて貝を捨てていません。

なおガリー主流路堆積物は流心付近で明瞭に貝塚堆積物と土層に分かれます。(画像メモC参照)


参考 ガリー主流路流心を境に左右で堆積物が異なる様子

1-3 ガリー侵食地形と崩落物堆積地形

箱形窪地地形の貝塚形成前の地形は上流側はガリー侵食地形、下流側は崩落物堆積地形であると断面図や発掘写真から想定できます。ガリー浸食地形はその谷底に10群・11群土器(加曽利EⅡ式土器)をメインにして、集落最終期土器(12群土器…加曽利EⅢ式土器)を含む大形土器片層が存在します。この事実からガリー侵食地形は12群土器(加曽利EⅢ式土器)頃までアクティブであったと推定できます。つまりガリー浸食地形は加曽利EⅡ式~EⅢ式期頃急発達した可能性があります。一方、崩落物堆積地形は更新世の化石谷津であると想定します。(画像メモのAとB参照)


参考 貝塚形成直前地形の想定

1-4 貝層のほとんどが破砕貝による混土貝層と混貝土層

貝層はほとんどが混土貝層と混貝土層であり純貝層はとても少なくなっています。また純貝層以外の貝は破砕されている率が高くなっています。つまり貝層は、意図的に貝を破砕し、意図的に土と混ぜ、それを意図的に斜面や谷底に隈なく設置して、箱形窪地地形の集落側を充填するような様相を呈しています。

画像メモAではガリー侵食地形谷頭部に混土貝層と混貝土層が充填していますが、土器や獣骨の出土状況写真をみると混土貝層と混貝土層を下から積み上げて充填したもで、上から投げ込んだものではないような印象を受けます。

1-5 大形土器片

箱形窪地地形谷頭の少し下流から中央付近にかけて、基底で流路を覆うように廃用大型土器を破壊して作られる大形土器片が層を成しています。その大形土器片のメインは11群土器(加曽利EⅡ式土器の後半)ですが、12群土器(加曽利EⅢ式土器)も含まれています。12群土器は集落最後の土器群です。


参考 大形土器片の分布

1-6 縄文後期までのガリー侵食痕跡

第2断面には混土貝層・混貝土層が形成された後で後期貝層が形成される前までにガリー侵食を受けた痕跡が残されています。


縄文後期までにガリー侵食を受けた混土貝層・混貝土層の様子

2 北斜面貝層形成のメカニズム(作業仮説)

ア 11群土器頃(加曽利EⅡ式後半頃)箱形窪地地形でガリー侵食が突然発生し、集落中心部台地地形崩壊という災害危険性が顕在化しました。

イ 集落として災害防止のために土木的対処を含む取り組みを意思決定したと考えます。

ウ ガリー主流路の下方侵食防止のために、一部区間に廃用大型を持ち込み破壊して大形土器片をつくり、主流路の上に並べました。現代防災工事における床固工と類似している工事です。廃用大型土器を現場で破壊する活動は祭祀的活動であったと想像します。大形土器片と一緒にイノシシ頭骨、下顎骨が複数出土しています。

エ ついで、破砕貝を土と混ぜた混土貝・混貝土を多量につくり、それをガリー侵食地形に充填する活動を精力的に行いました。

オ さらにガリー侵食地形のみならず隣接する崩落物堆積地形にも混土貝・混貝土及び純貝層を堆積させ、箱形窪地地形全体を埋め立てるような活動を行いました。

カ この結果、ガリー浸食地形の進展は防止されました。

キ 12群土器(加曽利EⅢ式土器)を最後に集落は消滅しました。

ク その後、後期貝塚が形成されるまでの間に充填した混土貝層・混貝土層が一部ガリー侵食で失われ、それが貝層断面に記録されています。

3 メモ

・これまで崩落物堆積地形の貝層は古く、ガリー侵食地形の貝層は新しいと見立てていましたが、土器出土状況をみるとどうも逆のようです。今後詳しくデータ分析します。

・箱形窪地地形の地学的出自は貝層断面図から侵食と堆積という違いによるり、2つに区分される蓋然性が高まりました。

・第2断面図で混土貝層・混貝土層が侵食されている様子が確認できましたが、純貝層を中心にして充填物の基本は残存しています。混土貝層・混貝土層・純貝層が侵食に強い素材であることが証明されたともいえます。

・北斜面貝層形成は一種の土木事業であると見立てて間違いないという感想を持ちました。


2021年2月8日月曜日

縄文学習促進のための作業仮説

縄文社会消長分析学習 85

単調作業をする中で、縄文社会消長仮説を持つことが学習継続のために必須であることに直面し、急遽想像レベルで作業仮説を作ったので、メモします。

1 単調で根気のいる作業を遂行するためには壮大な作業仮説が必要

現在、縄文社会消長分析学習の一環手始めとして有吉北貝塚学習を進めています。その中の最初の取り組みとして出土土器学習に熱中しています。その学習では発掘調査報告書の実測図や写真をカード化したり、あるいは専門図書掲載の専門家による土器分類データをカード化したりなどの単調で時間がかかり、根気のいる作業が多出しています。これらの基礎データづくりは自分の学習で必須と直観できるのですが、この作業を飽きることなく継続するための「やる気」を醸成するのに苦労しています。その苦労のなかで、自分が壮大で魅力的な縄文社会消長作業仮説を持てれば、作業が困難であってもそれを乗り越えられることに気が付きました。

単調で、長時間かかり、根気のいる作業(例 発掘調査報告書スキャン画像の切り抜きとそのカード化)をしながら、その作業結果が「このような思考に役立つ可能性がある」とより具体的にイメージできないときはただつらいだけで、意味のない惰性の作業ですから、なかなか作業が進みません。ところが、「このような思考に役立つ可能性がある」とより具体的にイメージできたときは、時間を忘れて作業をします。膨大な作業もいろいろな工夫が生まれ、いつの間にか作業が終わっています。

2 加曽利E式土器社会成立に至る社会消長仮説(想像レベル)


加曽利E式土器社会成立に至る社会消長仮説(想像)

・社会変動を巻き起こした背景(要因)として海岸環境の変化を想定します。縄文海進が海退に転じてから縄文中期中葉頃に、一時的に海岸に河口部内湾環境が発達しました。現在の松戸や市川付近の東京湾口、村田川湾口などです。この環境は縄文社会技術レベルで利用しやすく多様形態の漁業が可能になったと考えます。経済生産性が飛躍的に向上したと考えます。

・この地形的環境変化が次のような社会変動を引き起こしたと想定します。

阿玉台Ⅲ式期頃から海岸環境変化により漁業収穫が急増した。

関東各地から海岸部に入植が進んだ。(ア)

漁業活性化により広域社会全体が豊かになった。(イ)

社会変動(ア、イ)により既存社会上部構造の物語(神話)が流動化した。(異型式土器間融合など)

東京湾沿岸漁業集落は特に豊かな社会となった。

豊かな社会における新たな物語(神話)に対応して加曽利E式土器が生まれた。

豊な社会では呪術より実務を優先する文化が生まれ、土偶は利用されなかった。

経済的・文化的発信力のある豊かな社会の物語(神話)は加曽利E式土器とともに広域に広まった。


 

2021年1月29日金曜日

中峠式期前後の貝塚文化開拓最前線の空間移動(作業仮説)

縄文社会消長分析学習 81

1 はじめに

2021.01.29記事「有吉北貝塚出土中峠式土器の観察」で中峠遺跡出土中峠式土器と有吉北貝塚出土中峠式土器がその細分タイプでも対応していることに気が付きました。


中峠式遺跡出土中峠式土器各種タイプが30㎞離れた有吉北貝塚でも出土する

同時に、有吉北貝塚は中峠遺跡(と近隣遺跡群)から飛び地的に30㎞離れていることから、2つの遺跡の関係は単に交流があった程度のものではなく、集団の移動があったと想定しました。より具体的には中峠遺跡付近の中峠式土器をつくる集団が有吉北貝塚に開拓者として入植定住したのではないだろうかと想像しました。

この記事ではこの情報とこれまで学習してきた時期別遺跡分布図から中峠式期前後の貝塚文化開拓前線の移動について作業仮説を立てました。この作業仮説が最終的に生きるか死ぬかはまだ判りませんが、これを踏み台にすれば学習を加速させることができると期待します。

2 五領ヶ台式期・阿玉台式期の貝塚分布


五領ヶ台式期・阿玉台式期の貝塚分布


参考 縄文時代の時期区分

阿玉台Ⅰ・Ⅱ式期に古鬼怒湾(千葉県北東部)に大規模貝塚が成立します。阿玉台Ⅲ式期から始まる東京湾岸大規模貝塚形成の先駆けと見ることができると考えます。

3 中峠式土器出土遺跡の分布


中峠式土器出土遺跡分布

千葉県北西部に分布の最大集中域が見られます。千葉県北東部にも集中域が見られます。

4 中期中葉の貝塚分布


中期中葉貝塚分布

加曽利EⅡ式をピークとする中期中葉の大型貝塚群は古鬼怒湾岸の千葉県北東部(古鬼怒湾中央・湾口部貝塚群)、東京湾岸の千葉県北西部(東京湾口部貝塚群)と中央部(都川・村田川貝塚群)の3ヶ所に分布します。

5 阿玉台式期頃から加曽利E式期にかけての貝塚文化開拓最前線の移動(作業仮説)

2~4の地図を並べてみると、貝塚及び中峠式土器出土遺跡の密集域の変化から次の想像が確からしく感じることができますので、作業仮説として設定します。


想像 阿玉台式期頃かあ加曽利E式期頃にかけての貝塚文化開拓最前線の移動

【作業仮説】

ア 中期中葉貝塚文化は阿玉台Ⅰ・Ⅱ式期に古鬼怒湾岸(千葉県北東部)に発生し、その開拓最前線が阿玉台Ⅲ式期・中峠式期に東京湾岸(千葉県北西部)に移動し、さらに東京湾岸(千葉県中央部)に移動したと想定します。

イ 東京湾岸(千葉県北西部)から東京湾岸(千葉県中央部)への開拓最前線移動は開拓集団の移動定着を伴ったと想定します。

【関連メモ】

ア 縄文海進ピークが海退に転じる中で、古鬼怒湾岸(千葉県北東部)→東京湾岸(千葉県北西部)→東京湾岸(千葉県中央部)の順に漁労に好適な海岸地形(海岸環境)が生まれ、順次その場所が漁労に使われ、定住が進み、大規模貝塚が形成されたと想定します。

イ 漁労活動の盛行により貝塚社会が格段に豊かになったと想定します。豊かな貝塚社会が生まれ、未開発海岸が存在する時期(例えば阿玉台Ⅲ式期→中峠式期→加曽利EⅠ式期頃)には、貝塚社会は近隣地方から多量の人口を吸い寄せたと想定します。

ウ 貝塚開拓最前線が移動する間に、流入する多様な人々が構成する社会のるつぼの中で、阿玉台式土器文化と勝坂式土器文化・大木式土器文化が融合したと想定します。その結果、新たな貝塚社会土器文化である加曽利E式土器文化が生まれたと想定します。その文化融合途中経過を指標し短期間存在した土器文化が中峠式土器文化であると考えます。中峠式土器文化は阿玉台式土器文化と勝坂式土器文化・大木式土器文化の融合様相を具体的に伝えている点で重要であると考えます。

エ 土器文様に対応して物語(神話)があるとすれば、貝塚社会で新たな物語(神話)が生まれ、それが加曽利E式土器文様として表現されていると考えます。阿玉台式土器文様・勝坂式土器文様・大木式土器文様に対応して存在していた物語(神話)が中峠式土器文様に対応する物語(神話)に変化し、さらに加曽利E式土器文様に対応する物語(神話)に変化したと考えます。

 

2020年9月8日火曜日

縄文中期アリソガイの利用原理(作業仮説)

 縄文貝製品学習 13

縄文中期の千葉市有吉北貝塚などから出土するアリソガイ製ヘラ状貝製品の用途が、現代製革工程の石灰漬けに相当するものであると作業仮説して学習を進めてきました。この記事ではさらに踏み込んでアリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理についての作業仮説を設定します。

1 現代製革工程と縄文時代アリソガイ製ヘラ状貝製品役割の対応(作業仮説)


現代製革工程と縄文時代アリソガイ製ヘラ状貝製品役割の対応(作業仮説)

2 縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)


縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)

1 アリソガイを皮に擦りつける→ペースト状の炭酸カルシウムが皮表面に塗布される。

2 皮を水で湿らせる→水とペースト状炭酸カルシウムが反応して水酸化カルシウムが生成される。

・炭酸カルシウムが水に溶解し、炭酸イオンとカルシウムイオンに乖離する。

・炭酸イオンは水のHと結びついて炭酸(弱酸性)になる。

・カルシウムイオンは水のOHと結びついて水酸化カルシウム(強アルカリ性)になる。

・全体が強アルカリが支配する状況となる。

3 皮が水酸化カルシウムにより現代製革工程石灰漬けと同じ効果を受ける。(毛・表皮の破壊、非コラーゲンタンパク質の除去、脂肪のケン化がなされ、皮は膨潤し、線維組織がゆるめられほぐされる。皮の線維構造に均質化が図られ、革となったときの柔軟性が向上する。)

この作業仮説は予備実験でアリソガイを革に擦りつけると微量のペースト状貝成分が革に塗布されることから最初のその確からしさ感触を得ています。

3 縄文中期アリソガイ製ヘラ状貝製品の利用原理(作業仮説)の問題点と検証

ア 問題点

ア-1 アリソガイ貝成分塗布の微量性

アリソガイを擦りつけると確かに貝成分(炭酸カルシウム)がペースト状に革表面に塗布できました。しかしその量は極めて微量です。この微量の炭酸カルシウムが水と反応してさらに微量の水酸化カルシウムが生成され、それが原皮の脱毛や柔軟化にどのように影響するのか、原皮に生じる化学反応の大局観を素人故にもつことができません。

おそらく、縄文中期には脱毛や柔軟化について既に既存の技術が確立存在していたことは間違いないと思います。脱毛や柔軟化の基本的工程は済んでいる状況のなかで、最後の仕上げ、上等化・高級化のステップで使われたような気がします。

例えば、脱毛や脂肪除去作業でどうしても取れない微小異物について、鋭い削器等を使うと原皮が傷つく恐れがあるとき、アリソガイを使って「魔法」のように異物を除去するというようなイメージが湧きます。

ア-2 出土アリソガイの廃棄基準

出土アリソガイの写真を見ると摩耗の程度から、貝が少し縮小して手で持ちにくくなったら廃棄しているように観察できます。

これはアリソガイ在庫が豊富にあり、使い勝手優先で考えることができる状況があり、少しでも使い勝手が悪くなると廃棄していたように感じられます。

この現象から、アリソガイの利用にあたって、貝成分をいかに多量にゴシゴシ塗布するかという問題意識より、いかに擦りつけ使い勝手を維持するかという方に重点があるように感じられます。つまり貝成分塗布ではない別の操作問題意識が存在していた可能性があります。

例えば皮なめし薬剤や染色剤の塗り込みがアリソガイで行われていた可能性もありうると考えます。貝が摩耗縮小すると薬剤の塗り込みがしにくくなるのかどうか確かめなければなりません。考察の範囲を広げなければなりません。

イ 検証

作業仮説の検証をシカ皮などの原皮(体から剥いだ直後の皮)で行う必要があります。

その場合、縄文中期製革工程モデルをいくつか作り、その中にアリソガイ利用をいろいろな場面に組み込むという多数ケースについて実験的に考察する必要があります。


アリソガイ製ヘラ状貝製品(出土物)

西野雅人先生提供資料から作成


アリソガイ(現棲)

現物は西野雅人先生から借用

2020年9月3日木曜日

アリソガイ学習の作業仮説と予備実験1

 縄文貝製品学習 8

2020.08.23記事「アリソガイ実験学習の開始」でアリソガイ学習をスタートしました。千葉市埋蔵文化財調査センター所長西野雅人先生からサポートしていただいたことは誠に心強いことです。

アリソガイ現物を借用させていただきましたので、何はともあれ、簡単な予備実験をして作業仮説の手ごたえを実感することにしました。

1 アリソガイ学習の作業仮説

縄文中期をメインとする遺跡千葉市有吉北貝塚で出土するアリソガイ製ヘラ状貝製品の用途を突き止める学習をするのですが、その用途が皮なめしに関連するものであると作業仮説して学習を進めます。

アリソガイ製ヘラ状貝製品が殻物質つまり炭酸カルシウムを他のモノに擦りつけてその役割を果たしていると想定できるので、次ような作業仮説を設定して学習を進めることにします。


現代製革工程と縄文時代アリソガイ製ヘラ状貝製品役割の対応(作業仮説)

現代製革工程で石灰漬けといわれる準備工程がアリソガイ製ヘラ状貝製品が果たしていた役割であると作業仮説します。

アリソガイ製ヘラ状貝製品の炭酸カルシムを皮に擦りつけて塗布することによって、現代製革工程における石灰漬けと同じような効果、つまり脱毛、表皮除去及び余分な物質除去による柔軟化を実現していたと想定します。

2 予備実験 1

頭でいくら物事を考えていても、学習は空転し休むに似たりですから、何はともあれ手を動かしてみました。予備実験1と称してつぎの実験をしてみました。

ア シカ革(タンニンなめし革)の入手

イ シカ革の水漬け(タンニンなめし成分の部分的除去)

ウ 水漬け後シカ革の乾燥

エ 乾燥シカ革に対するアリソガイ擦りつけ(炭酸カルシウムの塗布)

オ 炭酸カルシウム塗布の効果体感

本来シカ皮原皮で行うべき実験ですが、シカ皮原皮の入手方法がわからないので、webでタンニンなめし革を購入しました。シカ獣害対策に関連した日本産シカ革です。

タンニンなめし革は水に漬すとなめし成分が溶出して、なめし効果が薄れると何かに書いてありましたので、なめし効果減退に期待しました。


入手シカ革


水漬けの様子

水が茶色になり、革に含まれるなめし成分(?)が溶出している。


乾燥シカ革

購入製品よりゴワゴワとなり硬くなりました。


アリソガイ擦りつけの様子(革の肉側)


アリソガイ擦りつけの様子(銀面)

【実験結果 体感】

・アリソガイを革の裏側(肉側)に擦りつけると貝成分が多量に革に付着する感触があります。目で見ると白いクリーム状の成分が付着しています。アリソガイ(貝殻)からクリーム状成分が革表面に塗布できるという不思議な感覚を体験します。

・アリソガイを革の表面(銀面)に擦りつけると、滑ってしまい貝成分が表面に付着する感触はあまりありません。目でみると革表面が光っていて油を塗ったような感じに変化しています。

・アリソガイを表裏塗った部分と塗っていない部分の硬さを指の感触でくらべると、塗った方が柔らかい印象を実感します。アリソガイ成分(炭酸カルシウム)がなめし革(の水漬け後乾燥革)にも効果があり、革を柔らかくしているようです。

3 感想

ままごとのような予備実験ですが、アリソガイ製ヘラ状貝製品が皮なめしに関連して使われていたという作業仮説の確からしさをまずは体感できました。

次は脱毛の予備実験にチャレンジすることにします。


2019年2月2日土曜日

隆起線文土器の出土遺物が小さい理由

縄文土器学習 14

隆起線文土器の出土遺物が小さいことに不自然さを感じます。どの遺跡でも縄文草創期の土器片は小さいものばかりで器形が復元できるような土器片出土は稀のようです。
近々一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器を閲覧する予定ですが、所蔵機関のご担当の方から「想像するより小さいのでがっかりしないように」とのお話までありました。同じご担当の方から特大加曽利B式土器多数を見せていただいたことがありますので、当方が落胆しないようにご配慮していただいたようです。

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器
成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用

西根遺跡出土特大加曽利B式土器
一鍬田甚兵衛山南遺跡出土物所蔵機関と同じ機関が所蔵。

出土する隆起線文土器の破片が小さい理由についてその可能性を想像してみました。
1 隆起線文土器も後代の縄文土器(例加曽利B式土器)も同じ割れ方、残り方をしているが、隆起線文土器の器形の方がはるかに小さく、そして何よりも絶対数が異常に少ない。そのため出土する隆起線文土器破片が小さいものばかりのように見える。(観察における錯覚)
2 隆起線文土器の素材や焼成方法が後代のものより粗雑であるから廃用後により細かく割れる、分解する、土に戻る。土器の理化学的特性から土器片として残りにくい。そのため土器片は小さくなり、数も少なくなる。
3 隆起線文土器も後代の縄文土器も、廃用後それを意図的に破壊して原形をとどめないようにする活動(一種の祭祀活動)があった。そのため縄文土器は意図的に破壊され小片になったものが極めて多い。そのような廃用土器破壊活動が土器誕生直後は純粋かつ徹底して行われた。そのため隆起線文土器など草創期土器の破片は特に小さい。

これ以外にも隆起線文土器の破片が小さい理由があるかもしれません。また幾つかの理由が複合しているかもしれません。
しかし、次のような情報から第3の理由、つまり意図的土器破壊行為が草創期は純粋かつ徹底して行われていた蓋然性が高いと考えますので、その考えを作業仮説として縄文土器学習を進めることにします。

ア 廃用土器を破壊する活動は全世界に存在する

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用
ギリシャコルフ島の例に限らず廃用土器を破壊する行為は多く見られます。
日本でもカワラケ投げや焼き場に人を送る時の茶碗割りなど土器破壊活動に起源を有すると考えられる風習が残っています。

イ 西根遺跡における土器破壊行為

西根遺跡における土器総重量と土器片平均重量

西根遺跡における土器破壊行為の空想
西根遺跡は低地における土器塚の様相を呈していますが、土器密集場所には特大土器が集中し、その場所の土器片平均重量は周辺より小さくなっています。つまり土器密集場所(特大土器集中場所)ではより入念に土器が破壊されています。土器破壊行為は重要な祭祀行為であったと考えます。

ア、イなどの情報から廃用土器は器形を留めないように破壊するという祭祀活動が土器誕生とともに存在していて、土器誕生当初はその祭祀活動がより純粋で徹底していたと想像します。