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2020年4月15日水曜日

縄文草創期隆起線文土器の出土遺物と復元模造土器

縄文土器学習 400

縄文草創期隆起線文土器は土器出現最初期頃の土器ですから特別の興味がありますが、これまで出土遺物(土器片)だけの閲覧観察にとどまっていて、復元模造土器には巡り会ってきませんでした。
2019.06.16記事「隆起線文土器片 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル」など多数

ところが長野県立歴史館の縄文土器展示で出土隆起線文土器片の現物とそれから復元模造した土器に巡り会うことができました。大変参考になります。

1 縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 観察記録3Dモデル

縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 観察記録3Dモデル 
約13000年前
出土土器片および復元模造土器 
撮影場所:長野県立歴史館 撮影月日:2020年2月14日 ガラス面越し撮影 実寸法付与 3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 26 images

展示の様子
左端の土器が縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡)

縄文草創期隆起線文土器(岡谷市中島B遺跡) 3Dモデルから作成したアニメ

2 感想
出土土器片から草創期特有の硬質な感じが伝わってきます。
長年の風雪に耐えてボロボロになったという印象とは正反対で、固く締まり、色が明るく薄手の印象を受ける質感です。土器というものがハイテク製品で超高級製品であった時代の産物です。草創期土器は人々の生活に革命を起こし、人々はその生活革命を実感しながら丁寧に土器を作り扱っていたと想像します。

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3 長野県立歴史館縄文コーナー入り口の他の3土器

縄文草創期~早期表裏縄文土器(信濃町日向林A遺跡) 観察記録3Dモデル
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
実寸法付与
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 42 images

縄文早期貝殻条痕文土器(長野市村東山手遺跡) 観察記録3Dモデル
約7500年前
二枚貝などで土器の内外面を整えた土器。貝をひきずった時の条痕(筋目)が残っている。
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 31 images

縄文前期羽状縄文土器(佐久市栗毛坂遺跡) 観察記録3Dモデル
約6000年前
右撚りと左撚りの縄を交互に転がす事で、羽のような縄模様が表現されている。
撮影場所:長野県立歴史館
撮影月日:2020年2月14日
ガラス面越し撮影
3Dモデル写真測量ソフト 3DF Zephyr で生成 v4.530 processing 28 images

2019年7月17日水曜日

縄文草創期土器の分布

縄文土器学習 194

縄文土器形式別に出土遺跡分布図を作成しています。これまでに加曽利E式から晩期荒海式までの遺跡分布図を作成しました。この記事から草創期土器から時間を追って勝坂式土器までの遺跡分布図作成を順次行い、千葉県に関係する縄文土器形式全部の出土遺跡分布図作成を完成させることにします。

1 千葉県 隆起線文土器出土遺跡分布図

千葉県 隆起線文土器出土遺跡分布図
9遺跡がプロットされています。

2 千葉県 爪形文土器出土遺跡分布図

千葉県 爪形文土器出土遺跡分布図
2遺跡がプロットされています。

3 千葉県 多縄文土器出土遺跡分布図

千葉県 多縄文土器出土遺跡分布図
4遺跡がプロットされています。

4 参考 千葉県 有舌尖頭器出土遺跡分布図
早期~晩期遺跡の時期区分はほとんどすべて出土土器を指標に行われていると考えられます。しかし草創期遺跡は土器が出土しないものも多くあります。土器だけを指標にして草創期遺跡を見つけることはできません。
草創期特有の石器として有舌尖頭器がありますので、その分布図を作成しました。これらの遺跡は草創期遺跡であると言えます。

千葉県 有舌尖頭器出土遺跡分布図
30遺跡がプロットされています。
なお、草創期特有の出土物として矢柄研磨機がありますが、データベースには矢柄研磨機の記載はありませんでした。

5 千葉県 縄文草創期遺跡分布図
草創期土器出土と有舌尖頭器出土等を指標にして縄文草創期遺跡分布図を作成しました。

千葉県 縄文草創期遺跡分布図
48遺跡がプロットされています。
草創期遺跡における土器出土状況は次の通りで土器を指標に草創期遺跡としたものは全体の1/3です。まだ土器が十分に普及していなかったために遺跡では必ず土器が出土する状況が生れていなかったと考えます。どの縄文人グループも定住的生活を送り土器を作って使っていたけれども、その数が少なかったと解釈しておくことにします。

草創期遺跡における土器出土状況


千葉県 縄文草創期遺跡分布ヒートマップ
遺跡密集域が成田市の成田空港付近に出現します。
この付近を千葉県縄文時代幕開けの地と呼んでよいのかもしれません。
この幕開けの地を次の記事で詳しく観察することにします。

6 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

2019年6月22日土曜日

隆起線文土器に関する興味 まとめ

縄文土器学習 158

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土物を閲覧し、主要なものについて3Dモデルを作成するなかで次のような興味を憶えましたのでメモしておき、今後の学習に備えることにします。

1 隆起線文土器の器形
一鍬田甚兵衛山南遺跡の発掘調査報告書では隆起線文土器片の記載はありますが、器形復元は行われていません。発掘された土器片が少量でかつ小型であるため器形復元できなかったのだと思います。どのような土器器形であったのか興味が湧きます。
小林達雄編「総覧縄文土器」では次の図が掲載されていて説明がありますので、この図書から一般的な隆起線文土器器形をイメージすることはできます。

隆起線文土器の器形
小林達雄編「総覧縄文土器」から引用

今後千葉県の遺跡で器形復元された隆起線文土器があれば注目したいと思います。

2 隆起線文土器の隆起線の意義
小林達雄著「縄文土器の研究」第7章第1節「縄文土器の文様」によれば草創期縄文土器の文様は無文→豆粒文→隆起線文→爪形文・円孔文→多縄文と変遷し、豆粒文と隆起線文では施文具はなく、爪型文・円孔文ではより複雑な模様がつくられ、多縄文になると施文原体の多様性とともに手法が発達し文様要素の多様化が大幅に増加したことが述べられています。単純から複雑へという文様変化プロセスはよくわかりますが、もう少し詳しく豆粒文、隆起線文がなぜ最初なのか知りたいという興味を抑えられません。更に詳しく関係図書を読んでみたいと思います。また網籠などの他の材料の容器の模様やしつらえのイメージを土器に投影したという上図書の説明も説得力があり、さらに詳しく学習を進めたいと思います。

3 出土する隆起線文土器破片はなぜ小さいのか
2019.02.02記事「隆起線文土器の出土遺物が小さい理由」ですでに検討している興味ですが、土器専門家は興味を感じていないような印象を受けるテーマであり、ますます興味が深まります。
小林達雄著「縄文土器の研究」では大きな項目「第6章第2節縄文世界における土器の廃棄について」を設け12ページにわたって土器廃棄について詳述しています。

土器廃棄パターンの時代的変遷模式図
小林達雄著「縄文土器の研究」から引用

この中で土器廃棄をA、B、C1、C2、D、Eの6パターンに分け、意図的あるいは意図的でない場合という区分を軸に詳細な検討を行っています。この小論文はあらためて詳しく分析的に学習するつもりです。
しかし、自分の視点からみるとこの小論文では廃棄が意図的であるか否かという点に焦点があります。廃用土器を破壊する(粉々にしてばら撒く)という意識的行動に焦点は当たっていません。
なぜ隆起線文土器破片が小さいのか、検討を深めることにします。

4 隆起線文土器片と石器が共伴出土する「その区画」の状況推察
隆起線文土器片と有舌尖頭器などが共伴出土する場所は特定の区画とその周辺です。この場所からは住居祉などは見つかっていません。この区画付近が住居に近いような使われた方をした場所であると推察してよいのかどうか、発掘調査報告書掲載情報からそのような推察の根拠がどのように導かれるのか、機会があれば専門家のご意見を伺いたいと思います。

縄文時代草創期遺物出土状況(石器・土器)
一鍬田甚兵衛山南遺跡の発掘調査報告書から引用

5 土器量が時代とともにどのように変化しているか
隆起線文式の時代とその後の早期の時代では土器がどのように増加するのか、一例として一鍬田甚兵衛山南遺跡の統計をとりたいと思います。「土器量(土器破片数?)/石器量(石器片数?)」のような指標を設定して統計をとってみて、縄文人1人当たりが残した土器量が草創期と早期では確かに違うことを統計的知りたいと思います。
1人が一生に使う土器量(に比例した指標値)の違いがどれだけであるのかによって、土器利用の場面なども違ってくるはずです。土器がどれだけ貴重品であるのか、あるいはどれだけ日常的な用具であるのか知りたいということです。

6 尖頭器の大きさの違いが意味することがら
出土有舌尖頭器・尖頭器の大きさにかなりの開きがあります。大きなものは槍としてつかわれたと考えられますが小さなものは弓の矢先であるような印象も受けます。専門家によればそうした判別が確立しているものであるのかどうか、知りたいと考えています。書物からの学習ではなく、ヒアリングが必要です。
投槍器は発見されていませんがその存在の確実視がどの程度のモノであるのか、矢柄研磨器で研磨した柄は何の柄であるのか、考古学の最先端がどこまで解明しているのか、知りたいと思います。
参考 2019.06.17記事「参考 矢柄研磨器 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル

7 土器と石器種別のセットのタイプが時代とともにどのように変化しているか
特に草創期~早期~前期あたりまでを最初の興味対象にして、土器の器種や大きさ・量、石器の器種や素材・大きさ・出土量など組み合わせセットが時代とともにどのように変化したのか、学習を深めたいと希望しています。


2019年6月17日月曜日

隆起線文土器片(爪形文付) 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 157

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土の縄文草創期隆起線文土器片のうち、爪形文が付いているピースの観察記録3Dモデルを作成しました。

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室
撮影月日:2019.05.27

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵
白い小点は光っている鉱物(石英)です。

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3DモデルにおけるMatcap表示

隆起線文土器片(45図-29) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 発掘調査報告書挿図

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土遺物の最初の観察では3Dモデル作成に失敗してのですが、その時撮影した通常写真ではこの土器片の爪形文の形状をリアルに確認できることができませんでした。そのような経緯があり、千葉県教育委員会に再度3Dモデル作成のための閲覧申請をお願いしてこの3Dモデルを作成した次第です。
写真ではわかりにくい爪形の凹みを3Dモデルで確認観察することができます。特に写真を消してMatcap表示すると確実な観察になります。

観察記録3Dモデルを作成することにより千葉県出土縄文土器の最初期のものの意匠の一部を自分の目でシッカリと観察できました。この結果次のような問題意識をもつことができました。
・隆起線文と爪形文がどのような意味を持っているのか。具象物の象徴であるのか、抽象模様と言い切れるのか。機能から生れたのか(滑り防止、煮沸後の放熱促進、・・・)。
・最初期の縄文土器になぜ隆起線文と爪形文が使われたのか。(模様だけなら沈線でも自由に書けるはず。)

2019年6月16日日曜日

隆起線文土器片 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル

縄文土器学習 156

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土の縄文草創期隆起線文土器片の観察記録3Dモデルを作成しました。

隆起線文土器片(44図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3Dモデル
千葉県教育委員会所蔵
撮影場所:千葉県教育庁文化財課森宮分室 
撮影月日:2019.05.27

隆起線文土器片(44図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土
千葉県教育委員会所蔵


隆起線文土器片(44図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 観察記録3DモデルにおけるMatcap表示

隆起線文土器片(44図-1) 一鍬田甚兵衛山南遺跡出土 発掘調査報告書挿図

幅5~7mmの隆起線を口縁に平行して多条に貼り付けています。
観察記録3Dモデルとしての出来栄えは満足感のあるものになっています。

参考
2019.01.13記事「隆起線文土器

2019年5月28日火曜日

縄文草創期隆起線文土器片の3Dモデル化成功

縄文土器学習 138

縄文草創期隆起線文土器のかけらに観察される微細な模様・凹凸を3Dモデルにすることができました。2月の観察では初歩的なミスで失敗したのですが、5月27日の資料閲覧での撮影写真でようやく3Dモデル化に成功しました。

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器片の3Dモデル 44図-5土器 (千葉県教育委員会所蔵)

44図-5土器の挿図
一鍬田甚兵衛山南遺跡発掘調査報告書から引用
土器片の大きさは大よそ3.5cm×3.5cmです。

隆起線文と口唇部の微細な刻みを3Dモデルで表現することができました。自分の技術レベルでは「快挙」です。
ボーっとしながら撮った写真を見返すだけではこれらの模様・凹凸を観察できるとは限りません。
閲覧した隆起線文土器片5点と共伴出土尖頭器5点・矢柄研磨機1点の3Dモデルを作成して順次観察考察できることは素晴らしい学習体験となります。
一鍬田甚兵衛山南遺跡出土資料の閲覧を2回にわたり許可していただいた千葉県教育委員会に感謝します。

2019年3月29日金曜日

隆起線文土器と共伴出土石器の観察

縄文土器学習 78

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器と共伴出土石器を閲覧しました。

1 閲覧した隆起線文土器と石器

閲覧した隆起線文土器と石器
隆起線文土器と石器は千葉県教育委員会所蔵
これらの土器及び石器はD1-26グリッド(5m×5m)付近から集中出土した遺物です。
隆起線文土器と有舌尖頭器が共伴して出土しています。
隆起線文土器と共伴石器の出土状況は2019.01.27記事「一鍬田甚兵衛山南遺跡遺物出土状況」で既に説明しました。

2 隆起線文土器の観察

隆起線文土器 1
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器1挿図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)(以下発掘調査報告書と略称します。)から引用

隆起線文土器 1
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器1は口縁部を有する2つの破片からなり、口縁部に平行に4条の波型隆起線が平行しています。土器の厚さは6~8mmで比較的明るい褐色で、黒あるいは白く光る鉱物多数を含んでいます。土器片の質感は硬く締まった様相を呈していて、ボロボロ崩れるような質感とは正反対の様相です。長年月の風化に耐えてきたという質感とは異なります。

隆起線文土器 2
隆起線文土器は千葉県教育委員会所蔵

隆起線文土器2挿図
発掘調査報告書から引用

隆起線文土器2は波型隆起線の下にハの字状の爪形文を付加するものです。

この遺跡から隆起線文土器は約100点出土し、口縁部の破片から、最低でも11個体以上あったと推定されています。

3 有舌尖頭器の観察

有舌尖頭器 94-1
有舌尖頭器は千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器94-1挿図
発掘調査報告書から引用

有舌尖頭器 96-2
有舌尖頭器は千葉県教育委員会所蔵

有舌尖頭器96-2挿図
発掘調査報告書から引用
有舌尖頭器はこの遺跡から44点出土していて、その数は全国屈指のものです。

4 感想
・隆起線文土器片を実際にまじかで観察することによって、その質感(材質感)がその後の縄文前期~晩期の土器と全く異なり、固く締まっていて、色も明るいことを知ることができました。また薄手です。さらに微細な鉱物が沢山入っており、所々で光っています。このような印象は書物で何回もみた写真からでは決してわからないことです。
・隆起線文土器が簡単には風化しないようなつくりであることから、それが実用品であるにも関わらず素材入手や焼き方の工夫に惜しみの無い時間をかけたことがしのばれます。隆起線文土器は生活における特別な高級品であり、丁寧に扱われたことが感得できます。粗雑な作り方、粗雑な扱い方とは正反対の作り方、扱われ方がされたモノであると推察します。

2019年2月14日木曜日

隆起線文土器現物閲覧が叶う

縄文土器学習 25

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器9点と共伴出土石器12点の閲覧が叶いました。

現物を観察するのと、書物のなかの写真を見るのとでは、そこから得られる情報量と質が全く異なります。
隆起線文土器現物を目の当りにみて、最初に浮かんだ感想はそれが当時貴重物、宝物であったに違いないということです。
現物をみるまでは草創期土器は粗雑で壊れやすいにちがいないと想像していたのでしたが、全く正反対でした。草創期土器は材質も焼きも整形もすべてしっかりしていて、丁寧に使われたにちがいないという印象を受けました。
今後閲覧土器、石器の写真を詳しく観察して考察を深めることにします。

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器閲覧の様子(千葉県教育委員会所蔵)

隆起線文土器(千葉県教育委員会所蔵)

一鍬田甚兵衛山南遺跡隆起線文土器と共伴出土した石器(有舌尖頭器)閲覧の様子(千葉県教育委員会所蔵)

土器、石器ともに3Dデータ化を意識してミニ台に乗せて360度で多様な角度から多数写真を撮影しました。

隆起線文土器(千葉県教育委員会所蔵)

尖頭器(千葉県教育委員会所蔵)

今後検討結果を随時記事にします。

2019年2月2日土曜日

隆起線文土器の出土遺物が小さい理由

縄文土器学習 14

隆起線文土器の出土遺物が小さいことに不自然さを感じます。どの遺跡でも縄文草創期の土器片は小さいものばかりで器形が復元できるような土器片出土は稀のようです。
近々一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器を閲覧する予定ですが、所蔵機関のご担当の方から「想像するより小さいのでがっかりしないように」とのお話までありました。同じご担当の方から特大加曽利B式土器多数を見せていただいたことがありますので、当方が落胆しないようにご配慮していただいたようです。

一鍬田甚兵衛山南遺跡出土隆起線文土器
成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21(千葉県文化財センター調査報告第517集)から引用

西根遺跡出土特大加曽利B式土器
一鍬田甚兵衛山南遺跡出土物所蔵機関と同じ機関が所蔵。

出土する隆起線文土器の破片が小さい理由についてその可能性を想像してみました。
1 隆起線文土器も後代の縄文土器(例加曽利B式土器)も同じ割れ方、残り方をしているが、隆起線文土器の器形の方がはるかに小さく、そして何よりも絶対数が異常に少ない。そのため出土する隆起線文土器破片が小さいものばかりのように見える。(観察における錯覚)
2 隆起線文土器の素材や焼成方法が後代のものより粗雑であるから廃用後により細かく割れる、分解する、土に戻る。土器の理化学的特性から土器片として残りにくい。そのため土器片は小さくなり、数も少なくなる。
3 隆起線文土器も後代の縄文土器も、廃用後それを意図的に破壊して原形をとどめないようにする活動(一種の祭祀活動)があった。そのため縄文土器は意図的に破壊され小片になったものが極めて多い。そのような廃用土器破壊活動が土器誕生直後は純粋かつ徹底して行われた。そのため隆起線文土器など草創期土器の破片は特に小さい。

これ以外にも隆起線文土器の破片が小さい理由があるかもしれません。また幾つかの理由が複合しているかもしれません。
しかし、次のような情報から第3の理由、つまり意図的土器破壊行為が草創期は純粋かつ徹底して行われていた蓋然性が高いと考えますので、その考えを作業仮説として縄文土器学習を進めることにします。

ア 廃用土器を破壊する活動は全世界に存在する

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用

ギリシャコルフ島の「壺投げ」 WEBサイト日テレNEWS24から引用
ギリシャコルフ島の例に限らず廃用土器を破壊する行為は多く見られます。
日本でもカワラケ投げや焼き場に人を送る時の茶碗割りなど土器破壊活動に起源を有すると考えられる風習が残っています。

イ 西根遺跡における土器破壊行為

西根遺跡における土器総重量と土器片平均重量

西根遺跡における土器破壊行為の空想
西根遺跡は低地における土器塚の様相を呈していますが、土器密集場所には特大土器が集中し、その場所の土器片平均重量は周辺より小さくなっています。つまり土器密集場所(特大土器集中場所)ではより入念に土器が破壊されています。土器破壊行為は重要な祭祀行為であったと考えます。

ア、イなどの情報から廃用土器は器形を留めないように破壊するという祭祀活動が土器誕生とともに存在していて、土器誕生当初はその祭祀活動がより純粋で徹底していたと想像します。




2019年1月30日水曜日

林跡№1遺跡 隆起線文土器出土遺跡

縄文土器学習 12

隆起線文土器出土遺跡の学習を「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載事例により進めています。この記事では鎌ヶ谷市林跡№1遺跡を学習します。

1 林跡№1遺跡の位置

林跡№1遺跡の位置 QGIS画面 現在地形と現在地図のオーバーレイ

2 林跡№1遺跡付近の地形

旧版25000分の1地形図(大正年間測量図)
空色は谷津筋線を、青色は凹地を表現しています。

3 出土土器と石器
「採集された遺物は土器片33天、石器類186点である。土器はいずれもこまかく割れているために、器形や文様構成をうかがうことができないが、いくつかに分類することができる。①貼り付け粘土紐による細隆起線文土器(図2-1~7)。細隆起線文には押し潰しのあるものとないものがある。また、並行に貼付されるものや斜行するもの、縦位置に短隆線状に並行貼付されるものなどいろいろな変化がある。②押引手法による微隆線文に近いもので、緩く外反する口頸部に4条以上の隆線が観察される(8)。③無文のもの(9・10)。ただし、 9は小破片であり、細隆起線文土器の口縁部である可能性がある。また、
これら以外に,爪形文の観察される小破片や縄の圧痕のつくものなどがあるが,詳細は不明である。
石器の内訳は、有舌尖頭器2点・小型木葉形石器1点・削器3点・楔形石器2点・ナイフ形石器1点・彫器1点・剥片158点・礫片18点である。旧石器時代の遺物が混入しており、縄文
時代の遺物との識別が困難であるが、剥片の多くはいわゆるポイント・フレイクであり、縄文時代の所産と判断した。12は硬質の砂岩製の有舌尖頭器である。基部と先頭部を欠損する。13は黒色緻密質安山岩の具殻状剥片を素材とする粗製の有舌尖頭器。11は黒色頁岩製の木葉形の石器である。下端が欠損する。削器は固示しなかったが、不整形剥片の一部に剥離痕の認められるものである。剥片類には黒色緻密質安山岩・黒色頁岩・ 砂岩製のものが多い。なお,本遺跡の土器群は県内では市原市南原遺跡に後続するものと考えられる。」

図2 採集された遺物
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用

4 メモ
林跡№1遺跡は手賀沼に流入する大津川上流の左岸に位置していますが、この付近は東京湾水系との分水嶺地帯であり、台地面が形成する尾根筋線が狭窄・湾曲していて、動物移動の要衝になっていると考えることができます。同時に台地面に等高線凹地表示でしめされる湿地・池が分布し動物の水飲み場等として機能していたことが考えられます。
つまり林跡№1遺跡は格好の狩場近くに位置していたと考えることができます。狩りにとって特別に好都合の立地場所であるということと、そこから縄文草創期の隆起線文土器が出土しているという関係は一鍬田甚兵衛山南遺跡でも見られました。
一過性の狩場ではなく、その場所で継続的に狩が可能である(定住的な生活が可能である)という条件があってはじめて土器の利用が生れたと考えます。
隆起線文土器出土から、その場で土器を使った生活が営まれていて、その生活が持ち運びに不便な土器を使わない(使えない)程の移動性の高い生活ではなかったことがしのばれます。

2019年1月27日日曜日

一鍬田甚兵衛山南遺跡遺物出土状況

縄文土器学習 11

一鍬田甚兵衛山南遺跡の隆起線文土器と有舌尖頭器等石器の共伴出土状況を発掘調査報告書の記述により学習しました。

1 層序と遺物のイメージ

隆起線文土器出土場所付近の層序と遺物のイメージ
隆起線文土器出土場所は遺跡域の北端附近に限られていますが、その付近では旧石器時代遺物(ナイフ形石器等)の出土層と縄文時代遺物(隆起線文土器等、有舌尖頭器等)の出土層が異なっています。

2 縄文時代草創期遺物の出土状況

隆起線文土器出土分布図
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記
遺跡北端部に隆起線文土器出土域が限られ、D1-26グリッド(5m×5m)が最も集中出土している場所です。

C1-26グリッド付近の土器・石器出土状況
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記

C1-26グリッド付近の全石材出土状況
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用追記

C1-26グリッド付近のⅡc層から集中的に隆起線文土器と有舌尖頭器を含む石器群が出土している状況を発掘調査報告書では次のように記述しています。
「第1群土器草創期隆起線文系土器(第35図)
草創期は調査区の関係から北側の大グリッドのC1区を中心に土器は第1群土器(隆起線文土器)が100点余り出土している。C1-13~C1-58グリッド付近に広く拡散している。特にC1-26・27グリッド付近に多く検出されている。特にC1-26グリッドでは密集している状況が見られるためこれらの土器群と石器群は伴うものとして考えても良いと思われる。土器群に伴って有舌尖頭器を伴う草創期の石器群が出土している。」

隆起線文土器と有舌尖頭器
「成田国際空港埋蔵文化財調査報告書21 -多古町一鍬田甚兵衛山南遺跡(空港№12遺跡)-」(平成17年3月、成田国際空港株式会社・財団法人千葉県文化財センター)から引用

3 メモ
・旧石器時代遺物と縄文時代遺物は出土層準が異なることから区別されています。
・隆起線文土器の平面分布域の特別な集中域(数m×数m程度)と有舌尖頭器を含む石器群の分布域がほぼ重なり、かつ出土層準が同じであることから、草創期土器と石器が共伴するものであることが結論づけられています。