村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 6
村田川河口低地付近縄文集落の消長分析の一環として、私家版暫定版GIS連動千葉県遺跡データベースにpdfコンテンツとして収録した「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載「遺跡資料」をテキストとして事例学習を行います。事例(15遺跡)は参考として下に示した学習マップに掲載しています。
この記事では草刈遺跡(旧石器)を学習します。
縄文時代の様子を理解するためには旧石器時代の様子と比較することが大切であると考え草刈遺跡(旧石器)を対象としました。同様の趣旨で今後弥生時代遺跡も事例学習対象に含める予定です。
なお、事例学習は旧石器→縄文前期→縄文中期→縄文後期の時期別に個別遺跡毎に進めていきます。
1 草刈遺跡の概要
「草刈遺跡とその隣接地では,武蔵野ローム層上部から立川ローム層最上部にかけての10枚にも及ぶ文化層から,遺物集中地点130か所以上,石器総数18000点もの旧石器時代資料が出土している。とくに,姶良Tn火山灰(AT)よりも下位の,後期旧石器時代前半期の資料が充実しており,南関東地方における指標的役割を果たすものと考えられる。特筆される点は,草刈遺跡C区で,武蔵野ローム層最上部から県内最古の石器群が出土したこと,草刈六之台遺跡で, 立川ローム層Ⅹ層からIX層上部にかけて,石斧をともなう3枚の文化層が確認され,大型の台形様石器,石斧用の砥石などが出土したことがあげられる。」「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
2 草刈遺跡周辺の旧石器時代遺跡
「「ちはら台ニュータウン」事業地内には, 村田川に沿って, 旧石器時代の遺跡が数多く分布している。西端部に草刈遺跡・草刈六之台遺跡があり,東に向かって中永谷遺跡・川焼台遺跡・鶴牧辿跡・ナキノ台遺跡・押沼遺跡群が並んでいる。とくに, 押沼遺跡群からは,草刈遺跡に匹敵する規模と内容の旧石器時代遺物が出土している。」「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
この記述を地図に表現すると次のようになります。
草刈遺跡と台地尾根でつながる旧石器時代遺跡
村田川北岸の台地尾根に沿って旧石器遺跡がつづきます。この台地尾根に沿って動物の移動ルートがあり、その動物移動を追って旧石器時代人が狩をしていたと考えます。この台地尾根は現在では海食崖で終わってしまいますが、旧石器時代には村田川まで尾根を下って降りることができた場所です。下総台地を周回した動物がこの尾根を通って村田川におりて渡河し、上総台地に移動していたのかもしれません。
3 旧石器時代遺物集中地点
旧石器時代遺物集中地点 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
4 出土遺物
●最古の石器群…草刈遺跡C区では武蔵野ローム層最上部から遺物集中地点1カ所が検出さ先端の鋭利な斜軸尖頭器など約30点が直径3mほどの円形の範囲にまとまって出土しました。
●Ⅹ層の石器群…草刈六之台遺跡では立川ローム層Ⅹ層上部から遺物集中地点2カ所が検出され約260点の遺物が出土しました。石器石材のうち珪質頁岩の一部は千葉県嶺岡産、黒曜石は栃木県高原山産と推定されています。
●Ⅸ層下部の石器群…草刈六之台遺跡ではⅨ層下部から遺物集中地点5カ所が検出され約145点の遺物が出土しました。石器石材のうち黒曜石は神津島産と推定されています。
●Ⅸ層上部の石器群…草刈六之台遺跡ではⅨ層上部から遺物集中地点12カ所が検出され約1750点の遺物が出土しました。石器石材の大半が信州産の黒曜石で構成されナイフ形石器が急増します。
●Ⅶ~Ⅵ層の石器群…草刈遺跡C区ではⅦ層からⅥ層にかけて硬質な頁岩の石刃がまとまって出土しています。
●Ⅳ層下部の石器群…草刈遺跡H区ではⅣ層下部の隣接する2カ所の遺物集中地点から5000点を超える石器・焼礫が出土しています。焼礫は近隣の露頭からもたらされたと考えられています。
●Ⅲ層の石器群…Ⅲ層からは多種多様な石器群が出土しています。
草刈遺跡群出土遺物 「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」から引用
概ね上列が古く下列が新しい時代の遺物となっています。最上列左が武蔵野ローム層最上部出土斜軸尖頭器
参考 学習マップ
学習マップ 「千葉県東南部地区」付近の「千葉県の歴史 資料編」事例(旧石器・縄文時代)
2018年9月3日月曜日
2018年9月1日土曜日
参考 村田川河口低地付近 弥生・古墳・奈良平安時代遺跡
村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 4
参考として村田川河口低地付近の弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布を時期別にみてみました。
1 弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布
弥生時代住居軒数
縄文時代から引き続きこの地域に人が居住していた様子を知ることができます。
古墳時代前・中期住居軒数
色塗りは最大値と最小値の間を5段階に均等区分してグラデーションで示しています。(以下の地図も同様です。)
対象域(千葉東南部地区…開発地域)の北側に分布が集中します。
古墳時代後期住居軒数
対象域全体に分布は広がりますが、その中心はあくまで北側です。
古墳基数
古墳の分布は対象域全体に広がりますが、その中心は南側です。住居と古墳が対象域を南北で二分して棲み分けしているように観察できます。
奈良・平安時代住居軒数
奈良・平安時代の分布中心も対象域の北側にあるようです。
2 感想
村田川河口低地付近の縄文時代遺跡消長を詳しく学習する活動の一環で旧石器時代、弥生・古墳・奈良平安時代遺跡の分布も参考として調べました。いずれの時代人も対象域を濃密に利用しています。3万年ほど前から途切れることがなくこの土地(台地とそれが細尾根状に浸食された地形)が異なる趣旨で利用されつづけてきていることに一種の感動をおぼえます。
同時に、その感動が生れた原因の大きな部分が、そのような事実が調査されて情報があるという発掘調査蓄積にあることに気が付きます。開発により地形も大きく姿を変え、消滅した遺跡も少なくありませんが、それと引き換えに、面的・悉皆的と表現してもよい発掘調査の蓄積が存在しているので、上記感動をおぼえることができるのです。
縄文時代集落の消長をこれから詳しく検討する意欲が湧いてきます。
参考として村田川河口低地付近の弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布を時期別にみてみました。
1 弥生・古墳・奈良平安時代遺跡分布
弥生時代住居軒数
縄文時代から引き続きこの地域に人が居住していた様子を知ることができます。
古墳時代前・中期住居軒数
色塗りは最大値と最小値の間を5段階に均等区分してグラデーションで示しています。(以下の地図も同様です。)
対象域(千葉東南部地区…開発地域)の北側に分布が集中します。
古墳時代後期住居軒数
対象域全体に分布は広がりますが、その中心はあくまで北側です。
古墳基数
古墳の分布は対象域全体に広がりますが、その中心は南側です。住居と古墳が対象域を南北で二分して棲み分けしているように観察できます。
奈良・平安時代住居軒数
奈良・平安時代の分布中心も対象域の北側にあるようです。
2 感想
村田川河口低地付近の縄文時代遺跡消長を詳しく学習する活動の一環で旧石器時代、弥生・古墳・奈良平安時代遺跡の分布も参考として調べました。いずれの時代人も対象域を濃密に利用しています。3万年ほど前から途切れることがなくこの土地(台地とそれが細尾根状に浸食された地形)が異なる趣旨で利用されつづけてきていることに一種の感動をおぼえます。
同時に、その感動が生れた原因の大きな部分が、そのような事実が調査されて情報があるという発掘調査蓄積にあることに気が付きます。開発により地形も大きく姿を変え、消滅した遺跡も少なくありませんが、それと引き換えに、面的・悉皆的と表現してもよい発掘調査の蓄積が存在しているので、上記感動をおぼえることができるのです。
縄文時代集落の消長をこれから詳しく検討する意欲が湧いてきます。
2018年8月28日火曜日
参考 村田川河口低地付近 旧石器時代遺跡
村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 3
参考として村田川河口低地付近の旧石器時代遺跡分布を時期別にみてみました。
1 旧石器時代遺跡時期別分布
ナイフ初
ナイフ前
ナイフ後
末~草創期
時期による数の消長は顕著でナイフ前とナイフ後でその数が多くなります。しかし時期別に地形の利用の仕方に特徴を見出すことは出来ませんでした。
旧石器時代の狩は獲物を仕留める場所とその獲物を解体したり皮を干したりする場所が遠く離れていることはあり得ないと考えます。従って上記遺跡分布図(=旧石器出土場所)は獲物を仕留めた場所でもあり獲物を解体し、その皮を干したりしたキャンプの場所でもあったと考えます。おそらく台地平坦面を季節移動する動物を追って細尾根まできて、その地形(崖)を利用して獲物を仕留めたと考えます。細尾根が続く複雑な地形が旧石器時代人の絶好の狩場であり、キャンプの場所であったと考えます。この場所なら谷底には湧き水がありますから動物の解体には絶好の場所です。
縄文時代早期遺跡(=炉穴出土場所)も同じように、その付近がある時期(ある年)には陥し穴による狩猟の場であり、ある時期(ある年)にはキャンプの場であったと考えました。2018.08.26記事「村田川河口低地付近 遺跡と地形との関係」参照
参考 縄文時代早期遺跡の分布
2 千葉県旧石器時代遺跡分布
千葉県旧石器時代遺跡を正確に地図にプロットすると次図のようになります。
千葉県旧石器時代遺跡分布
広々とした台地面に遺跡は少なく、台地縁が開析されて細尾根になった場所に遺跡が密集しています。これは狩の様子を表現していて、台地縁の細尾根の急崖を利用して動物を仕留めていたからだと考えます。村田川河口低地付近の台地縁細尾根はまさに旧石器時代人が好んだ狩場であったのです。
なお、千葉県では台地からはなれた山間地では旧石器時代遺跡は極めて少なく、狩場ではなかったことは確実です。これは全国的に共通していて、広い台地が広がる平野以外の場所では旧石器時代遺跡は大変少なくなっています。
1 旧石器時代遺跡時期別分布
ナイフ初
ナイフ前
ナイフ後
末~草創期
時期による数の消長は顕著でナイフ前とナイフ後でその数が多くなります。しかし時期別に地形の利用の仕方に特徴を見出すことは出来ませんでした。
旧石器時代の狩は獲物を仕留める場所とその獲物を解体したり皮を干したりする場所が遠く離れていることはあり得ないと考えます。従って上記遺跡分布図(=旧石器出土場所)は獲物を仕留めた場所でもあり獲物を解体し、その皮を干したりしたキャンプの場所でもあったと考えます。おそらく台地平坦面を季節移動する動物を追って細尾根まできて、その地形(崖)を利用して獲物を仕留めたと考えます。細尾根が続く複雑な地形が旧石器時代人の絶好の狩場であり、キャンプの場所であったと考えます。この場所なら谷底には湧き水がありますから動物の解体には絶好の場所です。
縄文時代早期遺跡(=炉穴出土場所)も同じように、その付近がある時期(ある年)には陥し穴による狩猟の場であり、ある時期(ある年)にはキャンプの場であったと考えました。2018.08.26記事「村田川河口低地付近 遺跡と地形との関係」参照
参考 縄文時代早期遺跡の分布
2 千葉県旧石器時代遺跡分布
千葉県旧石器時代遺跡を正確に地図にプロットすると次図のようになります。
千葉県旧石器時代遺跡分布
広々とした台地面に遺跡は少なく、台地縁が開析されて細尾根になった場所に遺跡が密集しています。これは狩の様子を表現していて、台地縁の細尾根の急崖を利用して動物を仕留めていたからだと考えます。村田川河口低地付近の台地縁細尾根はまさに旧石器時代人が好んだ狩場であったのです。
なお、千葉県では台地からはなれた山間地では旧石器時代遺跡は極めて少なく、狩場ではなかったことは確実です。これは全国的に共通していて、広い台地が広がる平野以外の場所では旧石器時代遺跡は大変少なくなっています。
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