参考学習として、千葉県の陥し穴分布と炉穴分布の関係を考察してみました。
1 千葉県 陥し穴分布ヒートマップ
千葉県 陥し穴分布ヒートマップ
半径パラメータ5㎞、輪郭をトレース
陥し穴の時期はデータベース(ふさの国文化財ナビゲーション)で中近世の「シシ穴」を別建てにしていますから、ほとんど全て縄文時代のものであると考えます。
陥し穴の時代区分
2 千葉県 炉穴分布ヒートマップ
千葉県 炉穴分布ヒートマップ
半径パラメータ5㎞、輪郭をトレース
炉穴の時期はほとんど縄文時代早期であると考えます。
炉穴の時代
3 陥し穴と炉穴の関係
陥し穴と炉穴のヒートマップ対照図
陥し穴分布ヒートマップの赤色地域を炉穴分布ヒートマップに白点線でプロットしてみました。
陥し穴が赤色で炉穴も赤色の地域(A)は縄文時代早期の狩猟好適地を示していて、その場所に狩猟に従事した人々の生活があり、獲得した動物の干し肉や燻製を作成した場所であると想定できます。
陥し穴が赤色で炉穴は黄色や青色の地域(B)は縄文時代早期には未開発で、縄文時代前期以降に新規開発された狩猟好適地であると考えます。
陥し穴は黄色や青色で炉穴が赤色の地域(C)は縄文時代早期に、主に狩猟以外の生業に従事した人々の生活の場所であり、海産物や堅果類などの産物を乾燥させ保存食品を作った場所であると考えます。
2017年3月29日水曜日
2017年3月8日水曜日
千葉県の炉穴分布
大膳野南貝塚の炉穴学習で、炉穴が狩場に直接設けられたキャンプ施設であるという印象を持ちました。
狩のあと動物を仕留めたその場所で、あるいは狩期間中において動物から見えにくい場所という違いはありますが、大きくみると、動物を仕留めるゾーン内に炉穴が設置されたと想定しました。
旧石器時代と同じような狩が炉穴設置時代には行われていたと考えます。
このように想定すると、炉穴分布が炉穴設置時代の狩場を示すことになります。
炉穴分布が狩場想定の重要な指標になります。
ふさの国文化財ナビゲーション(千葉県教育委員会)からダウンロードしたデータを炉穴で検索すると320以上の遺跡でヒットします。
この炉穴が発見された遺跡分布図を作成して、縄文時代早期の狩の様子を想定してみました。
手持ち資料では炉穴の時代区分は次のようになります。
炉穴の時代区分
このブログでは、炉穴設置は縄文時代早期特有の事象であると、とりあえず割り切って思考を進めます。
千葉県の炉穴分布図を作成すると次のようになります。
炉穴分布図
縄文時代早期の人の活動領域がこの分布図でわかることになります。
分布図をよく見ると、炉穴が密集している場所が存在します。
その場所が縄文時代早期の狩場であったと考えます。
次の図は拡大して、大膳野南貝塚付近の炉穴分布をみたものです。
大膳野南貝塚付近の炉穴分布と狩様子の想定
大膳野南貝塚付近は千葉県でも有数の炉穴密集地帯です。
また土気付近とその北(大網白里市の西端付近)にも炉穴密集地帯があります。
これらの炉穴密集地帯は縄文時代早期の千葉県における有数の狩場であったと考えます。
狩の対象となる動物は下総台地中央部に広く生活していて、狩の時にそれらの動物を集めて追い立て、狩施設に追い込み、効率的な狩を行っていたと想定します。
狩場(狩施設)は動物を追い詰めやすい特有の地形があり、同時に陥穴を設置していました。
この時代は縄文海進がピークに達した時代であり、海面が台地谷津に最も深く入り込んだ時代ですが、炉穴分布は海とはあまり関係しないで、もっぱら動物の狩との関わりで存在していると考えます。
なお、大膳野南貝塚炉穴出土土器の1つが貝殻で模様をつけているので、炉穴を設置利用した縄文人が貝を食していたことは間違いありません。
狩のあと動物を仕留めたその場所で、あるいは狩期間中において動物から見えにくい場所という違いはありますが、大きくみると、動物を仕留めるゾーン内に炉穴が設置されたと想定しました。
旧石器時代と同じような狩が炉穴設置時代には行われていたと考えます。
このように想定すると、炉穴分布が炉穴設置時代の狩場を示すことになります。
炉穴分布が狩場想定の重要な指標になります。
ふさの国文化財ナビゲーション(千葉県教育委員会)からダウンロードしたデータを炉穴で検索すると320以上の遺跡でヒットします。
この炉穴が発見された遺跡分布図を作成して、縄文時代早期の狩の様子を想定してみました。
手持ち資料では炉穴の時代区分は次のようになります。
炉穴の時代区分
このブログでは、炉穴設置は縄文時代早期特有の事象であると、とりあえず割り切って思考を進めます。
千葉県の炉穴分布図を作成すると次のようになります。
炉穴分布図
縄文時代早期の人の活動領域がこの分布図でわかることになります。
分布図をよく見ると、炉穴が密集している場所が存在します。
その場所が縄文時代早期の狩場であったと考えます。
次の図は拡大して、大膳野南貝塚付近の炉穴分布をみたものです。
大膳野南貝塚付近の炉穴分布と狩様子の想定
大膳野南貝塚付近は千葉県でも有数の炉穴密集地帯です。
また土気付近とその北(大網白里市の西端付近)にも炉穴密集地帯があります。
これらの炉穴密集地帯は縄文時代早期の千葉県における有数の狩場であったと考えます。
狩の対象となる動物は下総台地中央部に広く生活していて、狩の時にそれらの動物を集めて追い立て、狩施設に追い込み、効率的な狩を行っていたと想定します。
狩場(狩施設)は動物を追い詰めやすい特有の地形があり、同時に陥穴を設置していました。
この時代は縄文海進がピークに達した時代であり、海面が台地谷津に最も深く入り込んだ時代ですが、炉穴分布は海とはあまり関係しないで、もっぱら動物の狩との関わりで存在していると考えます。
なお、大膳野南貝塚炉穴出土土器の1つが貝殻で模様をつけているので、炉穴を設置利用した縄文人が貝を食していたことは間違いありません。
2017年2月5日日曜日
大膳野南貝塚 遺構分布概要 縄文時代早期
大膳野南貝塚発掘調査報告書で作成されている遺構分布図を通しで見てみて、自分なりに遺跡概要のイメージを深めつつあります。
詳しい分析的検討の前に全体像を見てみます。
この記事では「1草創期~前期中葉の遺構と遺物」で掲載されている縄文時代早期遺構分布図を概観して自分なりの問題意識、検討課題を整理してメモしました。
1 遺構の位置データ取得
縄文時代早期遺構分布図をGISにプロット(貼り付け)し、その画面で遺構別(炉穴、陥し穴別)にその位置をプロットしたレイヤを作成しました。
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 遺構分布図のGISプロットと遺構位置データ取得
この作業の後、遺構別レイヤをcsv形式で出力すると、位置データを取得できます。
陥し穴レイヤのcsv出力結果
このcsvファイルをExcelに読み込み、陥し穴番号毎にデータを記入すれば、そのデータの分布図をGIS上で作成することができます。
今回の学習で行うGIS分析の最も基本的作業となります。
2 炉穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 炉穴分布図
7か所の炉穴が分布しますが、平坦面中央付近の2つの炉穴と斜面に分布する3つの炉穴の違いが気になります。
とりあえず、これまでの旧石器時代学習等の印象から次のような作業仮説を設け、詳しい検討における使い捨ての道具としたいと思います。
【作業仮説】
平坦面中央の炉穴(2カ所)
平坦面中央の炉穴は少なくとも、そのそばに分布する陥し穴を使った狩と両立しないことは確かです。
旧石器時代のブロックは平坦面中央から出土してます。
旧石器時代の狩は動物を追いかけ台地面から崖に落とし、狩ったと考えます。
狩の後(活動の区切りがついた後)、台地面で食料が続く限りキャンプしたと考えます。
このように考えると、平坦面中央の炉穴は旧石器時代と同じように崖を使った狩を行った縄文人のキャンプ跡であり、時代的に斜面の炉穴より古いものであると考えます。
斜面の炉穴(5カ所)
斜面の炉穴は平坦面に分布する陥し穴と両立できる関係にあると思います。
動物を追って陥し穴に落とすという狩場(狩施設のある空間)から離れ、かつ、地形上(高度上)動物から見えない位置にあります。
斜面の炉穴は陥し穴を使った縄文人のキャンプ地であり、それ以前の地形(崖)だけを使った狩より新しい時代の進化した狩形式であると考えます。
2 陥し穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 陥し穴分布図
陥し穴が平坦面と斜面の双方の分布していることが気になります。
平坦面の陥し穴と斜面の陥し穴ではその狩方法が違うのではないだろうかと考えます。
陥し穴は細長い形式のものが多いのですが、その長軸方向を見ると特定方向のものが平坦面に群として分布しています。
特定の方向性を備える陥し穴群
特定の方向は、動物を追ってきて、障害物等で陥し穴に動物を追い詰めていた活動の方向性を示していると考えることができます。
つまりこの付近の台地中央部から南南西の方向に動物を追ってきて、狭まった台地平坦面(大膳野南貝塚遺跡付近)に陥し穴施設を設けておき、そこで仕留めたのだと思います。
旧石器時代には崖から落として仕留めていたのですが、縄文時代になると陥し穴という狩施設を設けるという進歩があったのだと思います。
同時に、特定の方向性は陥し穴の利用がアクティブな活動を物語っています。
たまたま通る動物が落ちるという趣旨ではなく、追ってきた動物を仕留める場という意味が長軸の方向性から読み取ることができます。
なお、群として陥し穴があるのですが、それぞれ別の時間に別の人々によって利用されたものであると予想します。
施設として陥し穴群(列)を作った例の学習は千葉市内野第1遺跡で行ったことがあります。
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」など
参考 千葉市内野第1遺跡の土壙列(落とし穴列)の工夫の相違
新旧土壙列の狩における工夫の相違を説明した図
次の記事では縄文時代前期後葉の遺構分布について概観してみます。
詳しい分析的検討の前に全体像を見てみます。
この記事では「1草創期~前期中葉の遺構と遺物」で掲載されている縄文時代早期遺構分布図を概観して自分なりの問題意識、検討課題を整理してメモしました。
1 遺構の位置データ取得
縄文時代早期遺構分布図をGISにプロット(貼り付け)し、その画面で遺構別(炉穴、陥し穴別)にその位置をプロットしたレイヤを作成しました。
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 遺構分布図のGISプロットと遺構位置データ取得
この作業の後、遺構別レイヤをcsv形式で出力すると、位置データを取得できます。
陥し穴レイヤのcsv出力結果
このcsvファイルをExcelに読み込み、陥し穴番号毎にデータを記入すれば、そのデータの分布図をGIS上で作成することができます。
今回の学習で行うGIS分析の最も基本的作業となります。
2 炉穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 炉穴分布図
7か所の炉穴が分布しますが、平坦面中央付近の2つの炉穴と斜面に分布する3つの炉穴の違いが気になります。
とりあえず、これまでの旧石器時代学習等の印象から次のような作業仮説を設け、詳しい検討における使い捨ての道具としたいと思います。
【作業仮説】
平坦面中央の炉穴(2カ所)
平坦面中央の炉穴は少なくとも、そのそばに分布する陥し穴を使った狩と両立しないことは確かです。
旧石器時代のブロックは平坦面中央から出土してます。
旧石器時代の狩は動物を追いかけ台地面から崖に落とし、狩ったと考えます。
狩の後(活動の区切りがついた後)、台地面で食料が続く限りキャンプしたと考えます。
このように考えると、平坦面中央の炉穴は旧石器時代と同じように崖を使った狩を行った縄文人のキャンプ跡であり、時代的に斜面の炉穴より古いものであると考えます。
斜面の炉穴(5カ所)
斜面の炉穴は平坦面に分布する陥し穴と両立できる関係にあると思います。
動物を追って陥し穴に落とすという狩場(狩施設のある空間)から離れ、かつ、地形上(高度上)動物から見えない位置にあります。
斜面の炉穴は陥し穴を使った縄文人のキャンプ地であり、それ以前の地形(崖)だけを使った狩より新しい時代の進化した狩形式であると考えます。
2 陥し穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 陥し穴分布図
陥し穴が平坦面と斜面の双方の分布していることが気になります。
平坦面の陥し穴と斜面の陥し穴ではその狩方法が違うのではないだろうかと考えます。
陥し穴は細長い形式のものが多いのですが、その長軸方向を見ると特定方向のものが平坦面に群として分布しています。
特定の方向性を備える陥し穴群
特定の方向は、動物を追ってきて、障害物等で陥し穴に動物を追い詰めていた活動の方向性を示していると考えることができます。
つまりこの付近の台地中央部から南南西の方向に動物を追ってきて、狭まった台地平坦面(大膳野南貝塚遺跡付近)に陥し穴施設を設けておき、そこで仕留めたのだと思います。
旧石器時代には崖から落として仕留めていたのですが、縄文時代になると陥し穴という狩施設を設けるという進歩があったのだと思います。
同時に、特定の方向性は陥し穴の利用がアクティブな活動を物語っています。
たまたま通る動物が落ちるという趣旨ではなく、追ってきた動物を仕留める場という意味が長軸の方向性から読み取ることができます。
なお、群として陥し穴があるのですが、それぞれ別の時間に別の人々によって利用されたものであると予想します。
施設として陥し穴群(列)を作った例の学習は千葉市内野第1遺跡で行ったことがあります。
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」など
参考 千葉市内野第1遺跡の土壙列(落とし穴列)の工夫の相違
新旧土壙列の狩における工夫の相違を説明した図
次の記事では縄文時代前期後葉の遺構分布について概観してみます。
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