大膳野南貝塚発掘調査報告書で作成されている遺構分布図を通しで見てみて、自分なりに遺跡概要のイメージを深めつつあります。
詳しい分析的検討の前に全体像を見てみます。
この記事では「1草創期~前期中葉の遺構と遺物」で掲載されている縄文時代早期遺構分布図を概観して自分なりの問題意識、検討課題を整理してメモしました。
1 遺構の位置データ取得
縄文時代早期遺構分布図をGISにプロット(貼り付け)し、その画面で遺構別(炉穴、陥し穴別)にその位置をプロットしたレイヤを作成しました。
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 遺構分布図のGISプロットと遺構位置データ取得
この作業の後、遺構別レイヤをcsv形式で出力すると、位置データを取得できます。
陥し穴レイヤのcsv出力結果
このcsvファイルをExcelに読み込み、陥し穴番号毎にデータを記入すれば、そのデータの分布図をGIS上で作成することができます。
今回の学習で行うGIS分析の最も基本的作業となります。
2 炉穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 炉穴分布図
7か所の炉穴が分布しますが、平坦面中央付近の2つの炉穴と斜面に分布する3つの炉穴の違いが気になります。
とりあえず、これまでの旧石器時代学習等の印象から次のような作業仮説を設け、詳しい検討における使い捨ての道具としたいと思います。
【作業仮説】
平坦面中央の炉穴(2カ所)
平坦面中央の炉穴は少なくとも、そのそばに分布する陥し穴を使った狩と両立しないことは確かです。
旧石器時代のブロックは平坦面中央から出土してます。
旧石器時代の狩は動物を追いかけ台地面から崖に落とし、狩ったと考えます。
狩の後(活動の区切りがついた後)、台地面で食料が続く限りキャンプしたと考えます。
このように考えると、平坦面中央の炉穴は旧石器時代と同じように崖を使った狩を行った縄文人のキャンプ跡であり、時代的に斜面の炉穴より古いものであると考えます。
斜面の炉穴(5カ所)
斜面の炉穴は平坦面に分布する陥し穴と両立できる関係にあると思います。
動物を追って陥し穴に落とすという狩場(狩施設のある空間)から離れ、かつ、地形上(高度上)動物から見えない位置にあります。
斜面の炉穴は陥し穴を使った縄文人のキャンプ地であり、それ以前の地形(崖)だけを使った狩より新しい時代の進化した狩形式であると考えます。
2 陥し穴分布図
大膳野南貝塚 縄文時代草創期~前期中葉 陥し穴分布図
陥し穴が平坦面と斜面の双方の分布していることが気になります。
平坦面の陥し穴と斜面の陥し穴ではその狩方法が違うのではないだろうかと考えます。
陥し穴は細長い形式のものが多いのですが、その長軸方向を見ると特定方向のものが平坦面に群として分布しています。
特定の方向性を備える陥し穴群
特定の方向は、動物を追ってきて、障害物等で陥し穴に動物を追い詰めていた活動の方向性を示していると考えることができます。
つまりこの付近の台地中央部から南南西の方向に動物を追ってきて、狭まった台地平坦面(大膳野南貝塚遺跡付近)に陥し穴施設を設けておき、そこで仕留めたのだと思います。
旧石器時代には崖から落として仕留めていたのですが、縄文時代になると陥し穴という狩施設を設けるという進歩があったのだと思います。
同時に、特定の方向性は陥し穴の利用がアクティブな活動を物語っています。
たまたま通る動物が落ちるという趣旨ではなく、追ってきた動物を仕留める場という意味が長軸の方向性から読み取ることができます。
なお、群として陥し穴があるのですが、それぞれ別の時間に別の人々によって利用されたものであると予想します。
施設として陥し穴群(列)を作った例の学習は千葉市内野第1遺跡で行ったことがあります。
ブログ花見川流域を歩く番外編2015.04.20記事「千葉市内野第1遺跡 縄文時代大規模落し穴シカ猟」など
参考 千葉市内野第1遺跡の土壙列(落とし穴列)の工夫の相違
新旧土壙列の狩における工夫の相違を説明した図
次の記事では縄文時代前期後葉の遺構分布について概観してみます。
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