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2016年11月9日水曜日

上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居からの出土物の多さ

上谷遺跡に存在する17の被熱ピットのある竪穴住居は鍛冶遺構であると想定しています。

その17竪穴住居からの遺物出土量が多いので検討しておきます。

金属製品の出土数を遺構別にみると次のようになります。

上谷遺跡 被熱ピット出土竪穴住居の金属製品出土数

平均値でみると被熱ピットがある竪穴住居は全体の値の約2.4倍となります。

墨書土器の出土数を遺構別にみると次のようになります。

上谷遺跡 被熱ピット出土竪穴住居の墨書土器出土数

平均値でみると被熱ピットのある竪穴住居は全体の約3.5倍となります。

被熱ピットのある竪穴住居は鉄器修繕の場であり、その場は同時に商品としての鉄器流通の場であり、鉄器修繕リサイクル技術が存在する場であり、さらには木炭生産を指揮管理する場であったとも考えます。

従って、被熱ピットのある竪穴住居で小鍛冶活動を行っていたのは集落の上層部、指導層に属する家族であったと考えます。

被熱ピットのある竪穴住居が廃絶したということは集落上層部、指導層の人間が死んだ(一家を継ぐ者がいなくなった)ことを意味します。

ですから、その住居跡(穴としての空間)で死んだ人やその人が果たした役割をしのぶ祭祀が関係者によって繰り返し行われ、そのとき金属製品や墨書土器がお供え物として置かれた(埋められた、投げられた)と考えます。

発掘調査報告書では覆土層から出土する遺物を祭祀に関わるものとは見立てておらず、ゴミ捨て場のゴミのような想定をしていますが、発掘情報を子細に分析すればそのような見方(ゴミ)は根拠のない思い込みであることが判明すると考えています。

墨書土器をわざわざ割って竪穴住居跡に置く、貴重な鉄製品等を(壊れたものであるとはいえリサイクル可能にもかかわらず)わざわざ竪穴住居跡に置く、竪穴住居跡で東京湾からわざわざ取り寄せた貴重な貝を食べその貝殻を残すことなど、出土物自体が祭祀のあったことを物語っています。

参考 上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居

2016年11月8日火曜日

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居の紙上観察

2016.10.28記事「資料精査による鍛冶関連情報再ピックアップ」で被熱ピット等のある竪穴住居をピックアップして、鍛冶関連遺構の可能性を検討しました。

この被熱ピット等のある竪穴住居を詳しく紙上観察してみました。

発掘調査報告書による記述と平面図は次の通りです。

上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居

上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居(平面図) 1

上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居(平面図) 2

発掘調査報告書ではA188について「火の使用」に注目していて、A242では小鍛冶を想定しています。

A188もA142も浅い被熱ピットです。

同様の浅い被熱ピットは別に11箇所の竪穴住居から出土しています。(上図で赤字記述)

住居中央部に存在する浅い被熱ピットは鉄器修繕のための小鍛冶場跡と考えて大きな間違いはないと思います。

浅い被熱ピットではない被熱ピットもおそらく鞴の使い方が異なる別タイプの小鍛冶場であると想像します。

しかし不確かさが増す想像となります。

浅い被熱ピットは鞴送風を炭の上からおこなうタイプ、穴を掘った被熱ピットは鞴羽口を土に埋め込み、炭の下から送風するタイプと空想しています。

被熱ピットのある竪穴住居の分布図を見ると、浅い被熱ピットのある竪穴住居の分布が2カ所に分かれるように分布していて竪穴住居や掘立柱建物の分布密集と対応します。

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居

浅い被熱ピットのある竪穴住居はほぼ小鍛冶場であると考えて間違いないと思いますが、この分布図には恐らく8世紀初頭頃~10世紀初頭頃の200年間ぐらい(*)の遺構が全部プロットされているので、ある時間断面をとれば平均して1/6の2カ所程度の小鍛冶場が稼働していたのかもしれません。

*近隣の萱田遺跡群の例から類推(2016.11.09追記)
2016.02.11記事「鳴神山遺跡と萱田遺跡群の出土土器数比較」掲載図「萱田遺跡群の竪穴住居消長と蝦夷戦争に関する時代区分」参照

2016年10月28日金曜日

資料精査による鍛冶関連情報再ピックアップ

このブログでは現在、上谷遺跡の鍛冶関連遺物・遺構の検討(学習)をしています。

検討を進めるに従い発掘調査報告書精査の必要性に気が付き、鍛冶関連情報について発掘調査報告書全6冊について詳しく読み直しました。

鍛冶関連遺物情報が(鍛冶に限らず他の対象も全てですが)遺物観察表やスケッチに掲載されているとは限らず、文章中に単に「多くの鉄滓が出土した」などとさらりと書かれている場合もあるからです。

また、鍛冶関連遺物が出土しないけれども鍛冶行為が疑われる被熱ピット等が存在する遺構についてはこれまで詳しく調べてこなかったからです。

1 鞴羽口・鉄滓出土遺構

発掘調査報告書精査の結果、次の15個所の遺構から鞴羽口あるいは鉄滓出土情報を確認しました。

上谷遺跡 鞴羽口・鉄滓出土遺構

遺構種類別にみると、竪穴住居11カ所、掘立柱建物2カ所、土坑2カ所の内訳になります。

遺跡区域の北端部には出土しません。

遺跡区域の南部に出土が密であるような分布となっています。

なお当初調査では次の8遺構の情報でしたから2倍近く情報が増えたことになります。

参考 2016.10.09記事「上谷遺跡 鍛冶関連出土物」掲載 上谷遺跡 鞴羽口、鉄滓出土遺構

2 被熱ピット等のある竪穴住居

被熱ピット等のある竪穴住居をピックアップしました。

なお、「不用材を焼却した」と発掘調査報告書で書かれている竪穴住居が多数あります。遺構の床面上の覆土層に焼土がある遺構です。

このような覆土層(たとえその最下部でも)に焼土層があるものは、別に被熱ピット等が無ければ、それだけでは「被熱ピット等のある竪穴住居」には含めていません。

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居

遺跡区域北端部を除き、ほぼ全域から17ケ所ピックアップできました。

これらの被熱ピット等のある竪穴住居がほんとうに鍛冶遺構であるかどか、これからの検討課題となります。

この17遺構のうち次の2遺構はすでに検討しています。

A133竪穴住居 2016.10.24記事「上谷遺跡 鍛冶遺構を疑う竪穴住居

A102a竪穴住居 2016.10.10記事「上谷遺跡 鞴羽口出土A102a竪穴住居の検討

なお、17遺構のうち次の2遺構は発掘調査報告書の記述の中で鍛冶行為の存在を疑っています。

A188竪穴住居(火床状赤化ピット、鉄滓出土、本来の使用目的が「火の使用」)

A242竪穴住居(鉄滓と強い火熱痕、小鍛冶想定)


掘立柱建物に関連して存在する被熱ピットは存在しないようです。

土坑で被熱しているものの検討は2016.09.21記事「上谷遺跡 被熱土坑」で行っていて、現状では鍛冶に関連しているものはないと考えています。


3 被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構のオーバーレイ

被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構のオーバーレイ図を作成しました。

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構

考察

●被熱ピット等のある竪穴住居はそのほとんどが鍛冶遺構であると想定しますが、その検証が必要です。

●被熱ピットの様式が2つに分割できるような印象を持っています。(浅い被熱ピットと小さいがえぐられた焼土充填ピット)

この様式の違いが鍛冶様式の違いによるものかどうか検討が必要です。

●被熱ピット等のある竪穴住居と鉄滓等が一緒に出土している遺構は鍛冶遺構である可能性が一段と濃厚であると考えます。

したがって、その遺構状況を詳しく調べれば、その結果を被熱ピット等のある竪穴住居が鍛冶遺構であるかどうかの判断材料に使える可能性があると考えます。

●被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構が重なる割合が少ない理由を次のように考えます。

ア 鍛冶遺構であった竪穴住居が廃絶する時、他の竪穴住居と同じように、ほとんど全ての什器や道具を持ち出している。

イ 規模の大変小さな小鍛冶であり、もともと残るような遺物が少ない。

従って、アとイから、鍛冶遺構から鍛冶関連遺物が出土しにくいと考えます。

ウ 鞴羽口や鉄滓が一種の威信財のような記念物として扱われ、廃絶した竪穴住居で行われる祭祀の際に、その場所に墨書土器、鉄器などと同じようにお供え物として埋められた(置かれた、投げ込まれた)

従って、覆土層から出土している鞴羽口や鉄滓はほとんど全てお供え物であると考えます。(「流れ込んだ」という安易な考えに反対します。)