この被熱ピット等のある竪穴住居を詳しく紙上観察してみました。
発掘調査報告書による記述と平面図は次の通りです。
上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居
上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居(平面図) 1
上谷遺跡 被熱ピットのある竪穴住居(平面図) 2
A188もA142も浅い被熱ピットです。
同様の浅い被熱ピットは別に11箇所の竪穴住居から出土しています。(上図で赤字記述)
住居中央部に存在する浅い被熱ピットは鉄器修繕のための小鍛冶場跡と考えて大きな間違いはないと思います。
浅い被熱ピットではない被熱ピットもおそらく鞴の使い方が異なる別タイプの小鍛冶場であると想像します。
しかし不確かさが増す想像となります。
浅い被熱ピットは鞴送風を炭の上からおこなうタイプ、穴を掘った被熱ピットは鞴羽口を土に埋め込み、炭の下から送風するタイプと空想しています。
被熱ピットのある竪穴住居の分布図を見ると、浅い被熱ピットのある竪穴住居の分布が2カ所に分かれるように分布していて竪穴住居や掘立柱建物の分布密集と対応します。
上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居
浅い被熱ピットのある竪穴住居はほぼ小鍛冶場であると考えて間違いないと思いますが、この分布図には恐らく8世紀初頭頃~10世紀初頭頃の200年間ぐらい(*)の遺構が全部プロットされているので、ある時間断面をとれば平均して1/6の2カ所程度の小鍛冶場が稼働していたのかもしれません。
*近隣の萱田遺跡群の例から類推(2016.11.09追記)
2016.02.11記事「鳴神山遺跡と萱田遺跡群の出土土器数比較」掲載図「萱田遺跡群の竪穴住居消長と蝦夷戦争に関する時代区分」参照
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