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2016年10月28日金曜日

資料精査による鍛冶関連情報再ピックアップ

このブログでは現在、上谷遺跡の鍛冶関連遺物・遺構の検討(学習)をしています。

検討を進めるに従い発掘調査報告書精査の必要性に気が付き、鍛冶関連情報について発掘調査報告書全6冊について詳しく読み直しました。

鍛冶関連遺物情報が(鍛冶に限らず他の対象も全てですが)遺物観察表やスケッチに掲載されているとは限らず、文章中に単に「多くの鉄滓が出土した」などとさらりと書かれている場合もあるからです。

また、鍛冶関連遺物が出土しないけれども鍛冶行為が疑われる被熱ピット等が存在する遺構についてはこれまで詳しく調べてこなかったからです。

1 鞴羽口・鉄滓出土遺構

発掘調査報告書精査の結果、次の15個所の遺構から鞴羽口あるいは鉄滓出土情報を確認しました。

上谷遺跡 鞴羽口・鉄滓出土遺構

遺構種類別にみると、竪穴住居11カ所、掘立柱建物2カ所、土坑2カ所の内訳になります。

遺跡区域の北端部には出土しません。

遺跡区域の南部に出土が密であるような分布となっています。

なお当初調査では次の8遺構の情報でしたから2倍近く情報が増えたことになります。

参考 2016.10.09記事「上谷遺跡 鍛冶関連出土物」掲載 上谷遺跡 鞴羽口、鉄滓出土遺構

2 被熱ピット等のある竪穴住居

被熱ピット等のある竪穴住居をピックアップしました。

なお、「不用材を焼却した」と発掘調査報告書で書かれている竪穴住居が多数あります。遺構の床面上の覆土層に焼土がある遺構です。

このような覆土層(たとえその最下部でも)に焼土層があるものは、別に被熱ピット等が無ければ、それだけでは「被熱ピット等のある竪穴住居」には含めていません。

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居

遺跡区域北端部を除き、ほぼ全域から17ケ所ピックアップできました。

これらの被熱ピット等のある竪穴住居がほんとうに鍛冶遺構であるかどか、これからの検討課題となります。

この17遺構のうち次の2遺構はすでに検討しています。

A133竪穴住居 2016.10.24記事「上谷遺跡 鍛冶遺構を疑う竪穴住居

A102a竪穴住居 2016.10.10記事「上谷遺跡 鞴羽口出土A102a竪穴住居の検討

なお、17遺構のうち次の2遺構は発掘調査報告書の記述の中で鍛冶行為の存在を疑っています。

A188竪穴住居(火床状赤化ピット、鉄滓出土、本来の使用目的が「火の使用」)

A242竪穴住居(鉄滓と強い火熱痕、小鍛冶想定)


掘立柱建物に関連して存在する被熱ピットは存在しないようです。

土坑で被熱しているものの検討は2016.09.21記事「上谷遺跡 被熱土坑」で行っていて、現状では鍛冶に関連しているものはないと考えています。


3 被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構のオーバーレイ

被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構のオーバーレイ図を作成しました。

上谷遺跡 被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構

考察

●被熱ピット等のある竪穴住居はそのほとんどが鍛冶遺構であると想定しますが、その検証が必要です。

●被熱ピットの様式が2つに分割できるような印象を持っています。(浅い被熱ピットと小さいがえぐられた焼土充填ピット)

この様式の違いが鍛冶様式の違いによるものかどうか検討が必要です。

●被熱ピット等のある竪穴住居と鉄滓等が一緒に出土している遺構は鍛冶遺構である可能性が一段と濃厚であると考えます。

したがって、その遺構状況を詳しく調べれば、その結果を被熱ピット等のある竪穴住居が鍛冶遺構であるかどうかの判断材料に使える可能性があると考えます。

●被熱ピット等のある竪穴住居と鞴羽口・鉄滓出土遺構が重なる割合が少ない理由を次のように考えます。

ア 鍛冶遺構であった竪穴住居が廃絶する時、他の竪穴住居と同じように、ほとんど全ての什器や道具を持ち出している。

イ 規模の大変小さな小鍛冶であり、もともと残るような遺物が少ない。

従って、アとイから、鍛冶遺構から鍛冶関連遺物が出土しにくいと考えます。

ウ 鞴羽口や鉄滓が一種の威信財のような記念物として扱われ、廃絶した竪穴住居で行われる祭祀の際に、その場所に墨書土器、鉄器などと同じようにお供え物として埋められた(置かれた、投げ込まれた)

従って、覆土層から出土している鞴羽口や鉄滓はほとんど全てお供え物であると考えます。(「流れ込んだ」という安易な考えに反対します。)




2016年10月23日日曜日

上谷遺跡 鉄滓が出土している燈明皿多出土坑

2016.09.22記事「上谷遺跡 カヤ実貯蔵用土坑」で強い興味をもったD268土坑から鉄滓が出土していますので検討します。

1 D268土坑の位置

D268土坑の位置

2 D268土坑の出土遺物

D268土坑出土遺物

3 鉄滓出土の解釈(想像)

発掘調査報告書における鉄滓出土の記載は次の通りで、遺物観察表の記載や図示等はありません。

「この他に鉄滓も出土している。」


2016.09.22記事「上谷遺跡 カヤ実貯蔵用土坑」では次のような検討(想像)を行いました。

……………………………………………………………………
遺物に燈明皿転用坏が3つ含まれ、さらに「破換面」が摩滅している坏(片)が7点出土しています。

摩滅している土器片ということですから、土器片として長期間使い込まれてきていることを示しています。

摩滅している土器片とは燈明皿として使っていた可能性を考えることができます。

これらの出土物から次のような土坑の歴史と廃絶時状況を推察します。

●D268土坑はカヤ実の果肉除去機能装置として利用された。

●カヤ実から採れる油は燈明皿を使って夜間照明に使われた。

●土坑内環境の悪化をリセットするために坑内焼却などが行われた。(焼土の存在)

●土坑は繰り返し利用され、堆積物で浅くなった。(下層、中層の存在)

●土坑が浅くなって使えなくなったとき、廃絶の儀式が行われ、使っていた燈明皿をもちより、感謝の念を込めて土坑に投げ込み埋めた。
……………………………………………………………………

この検討と鉄滓出土を結びつけると次のような状況を想定できます。

●D268土坑は夜間照明用油生産に関連した施設であった。

●生産した油は転用燈明皿を使って夜間照明につかった。

●鍛冶施設でも夜間照明により生産の促進が行われていた。

●D268土坑廃絶の祭祀の際、鍛冶施設で使った転用燈明皿と鉄滓をお供えの品、捧げ物として土坑の底に置いた、埋めた、投げた。

D268土坑から出土した鉄滓は「偶然近くにあった鉄滓が土坑に流れ込んだ」という無意味さを前面に出した想定ではなく、「祭祀の捧げ物として入れられた」という有意味さを全面に出した想定をすべきものと考えます。


……………………………………………………………………
度々引用させていただいている次の復元図もよく見ると、「照明」が当たっているように見えます。

参考 古代の鍛冶工房復元図
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用

どう見ても、この復元図は夜間作業であり、日中の太陽光を入口から採り入れた状況ではありません。

燈明皿にカヤ実から精製した油を燃やして照明とし、鍛冶作業に精を出した古代人の姿の想像が私の頭の中でよりリアルになりました。

2016年10月21日金曜日

上谷遺跡 鉄滓出土遺構

上谷遺跡の鍛冶関連出土物と鍛冶遺構について検討しています。

この記事では鉄滓出土遺構(A135竪穴住居)について検討します。

1 A135竪穴住居の位置

A135竪穴住居の位置

2 鉄滓の出土状況と解釈(想像)

A135竪穴住居の覆土層から鉄滓が出土しています。

鉄滓の記載(画像は未掲載)

長さ37×幅54×厚さ37 重量124.8g 赤褐色 砂粒含

A135竪穴住居は廃絶後に不用材の焼却を行った遺構で床面直上層には多量の炭化材が検出されていますが、鍛冶等を示すピットなどはなく、鍛冶遺構ではありません。

A135

住居廃絶後、住居を燃やして家長(一家)を弔う祭祀があり、その後の消火用投土の中に鉄滓を入れて、残された人が死んだ家長(一家)に対する思いを表現したのだと思います。

死んだ人が何らかの形で鍛冶に関係していた可能性が濃厚だとおもいます。

家長や一家が絶えて廃絶した住居を燃やして弔った空間は墓ではありません。

しかし、焼却祭祀を行った人々は竪穴住居跡という空間に対して特別の思いがあり、その場所に様々な供養の品を置いた、埋めた、投げたという風習があったと想像します。

有用なものが壊れて廃棄せざるを得なくなったとき、その大切であった壊れた物を焼却祭祀を行った竪穴住居跡のお供え物にしたという風習もあったのではないかと想像します。

竪穴住居跡から出土する遺物の多くはこのように解釈すると、単に「流れ込んだ」とか「ゴミ捨て場からの出土物」と考えるより合理的であるように考えます。遺物から読み取れる情報が格段に増大すると思います。

A135竪穴住居出土鉄滓は遺構中央部の覆土層下部からの出土であり、意識的に持ち込まれたと考えて間違いないと思います。

消火用投土の際、「偶然に鉄滓が紛れ込んだ」、「しかも空間中央部に紛れ込んだ」と考えることはできないと思います。

なお、A135竪穴住居からの遺物は「本地区の住居跡としては、比較的多い遺物の出土であった。」と記述されていて、墨痕のある土師器皿をはじめ全部で9点の土師器、1点の支脚、1点の鉄滓が遺物観察表に掲載されています。

A135竪穴住居出土物 

2016年10月9日日曜日

上谷遺跡 鍛冶関連出土物

上谷遺跡の鍛冶関連出土物を遺構別にまとめてみました。

上谷遺跡 鞴羽口、鉄滓出土遺構

鞴羽口が6遺構から6点出土していて、そのうち2点は鉄が付着しています。

また鉄滓が2遺構から2点出土しています。

これらの出土物から上谷遺跡で鍛冶業務が行われていたことがわかります。

次の記事で各遺構の鍛冶関連遺物の出土状況について検討します。