次の写真は双子塚古墳があった場所を最近撮ったものです。
双子塚古墳があった場所(平成24年5月5日撮影)
横戸台団地開発(千葉県住宅供給公社事業)では、双子塚古墳を撤去し、消防署をつくる予定だったとのことです。
双子塚古墳は撤去されました。
しかし、団地開発後、消防署建設計画は白紙となり、土地利用計画がないまま、既に30年という時間だけが無為に経過しています。
埋蔵文化財の保全と開発との関係がこれでよいのか、疑問が浮かぶところです。
開発のために双子塚古墳が犠牲になるのはやむを得なかったとしても(今となってはそう考えるしかありません)、その犠牲が無駄になってしまっていては、双子塚古墳が浮かばれないというものです。
せめて双子塚古墳があったことの記憶が人々に残るようにすることと、その場所を人々のために有効活用することが、双子塚古墳に対する供養になると思います。
それがこの土地に住んでいた先人にたいする礼儀というものです。
そこで、次の提案をします。
1 この場所に双子塚古墳について知ることができる説明板を設置する。
2 この土地を、古墳や印旛沼堀割普請等の学習空間として有効活用するための検討を開始する。
時間がかかっても、この2つの提案の趣旨が多くの人に理解していただけるように、取組み、提案が実現するように活動したいと思います。
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双子塚古墳をモンタージュで復元してみると次のようになりました。
双子塚古墳復元モンタージュ写真
「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)掲載写真を利用して作成
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双子塚古墳について、千葉県埋蔵文化財分布図(3)(平成11年3月、千葉県教育委員会)には地図上の位置とともに次の情報が掲載されています。
埋蔵文化財包蔵地所在地名一覧(抜粋)
事項
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記載内容
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遺跡名
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双子塚(ふたごつか)遺跡
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所在地
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千葉市花見川区横戸町1346-1
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種別
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包蔵地、塚
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時代等
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縄文(中)、古墳、近世
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遺構・遺物等
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縄文土器(加曾利E)、土師器、陶器、片口鉄鍋、寛永通宝
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立地
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台地上・宅地、荒地
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文献
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文117
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備考
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双子塚古墳の埋蔵文化財種別が塚となっています。
ところが、文献117「千葉市双子塚 -横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」(1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)では次のような記述を行っています。
「本遺跡は、調査の結果、古墳時代に構築された円墳が近世に至って塚として利用されていたことがわかりました。」
つまり、古墳であることが発掘調査で判明したにも関わらず、埋蔵文化財の種別としては古墳と認定していません。
平仄があいません。
双子塚古墳を理解する上で、一番大事なことは、古墳としてつくられたことであると思います。
近世の塚利用(土地境界杭利用、旅人の目印利用等)はどんなに興味深い事象であるとしても、二義的な意味にすぎません。
二義的な意味に主として着目し、原義を忘れた種別に放置しておくことは、市民の目線からみて、文化財の取り扱いとしてふさわしいとは思えません。
ましてや、専門的知識に立脚して遂行されるべき文化財行政のあり方として、好ましいことでないことは言うまでもないことです。
この件について、双子塚古墳の種別を古墳に変更していただくよう、関係部局にお願いしたいと思っています。
連載「花見川源頭部付近にあった古墳」おわり
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