2012年8月11日土曜日

双子塚古墳の築造工程

双子塚古墳の過去・現在・未来 その5
双子塚古墳出土物を閲覧して

3 古墳時代
3-4 古墳築造工程の検討
出土土器閲覧と少し離れますが、報告書「千葉市双子塚-横戸団地建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」1983、千葉県住宅供給公社・財団法人千葉県文化財センター)の情報から双子塚古墳本体のつくり方等について検討してみます。

報告書掲載の墳丘土層断面図を次に掲載します。

墳丘土層断面図
報告書掲載図を縦方向に2倍拡大(水平線は高さ方向に20cm間隔)

凡例
基本層
Ⅰ層:表土層(黒褐色から暗赤褐色)
Ⅱ層:旧表土層(黒色)
Ⅲ層:明赤褐色軟質ローム層
Ⅳ層:明褐色硬質ローム層

積土層
1層~5層(「いずれもローム土と黒色土の混合土を主体とするが、その割合とロームブロック・黒色硬質土ブロックが含まれる量によって分層した。」)詳細は別記。

周溝内覆土
a層:著しく黒色味の強い黒色土。やや粘性を帯びる。
b層:わずかにローム粒を含み黒褐色を呈する。
a層と同様やや粘性を帯びる。
c層:ローム粒を主体とし、ロームブロックも含む。明褐色を呈する。

古墳本体の積土層の分層について詳細を記述し、黒色土の割合等をまとめてみると次の表になります。

表 積み土層分層表

この表から、双子塚古墳のつくり方の概要が浮かびあがります。
古墳の積み土は下から上に進んだことは間違いありませんのでその順番に検討します。

1 古墳築造工事前
古墳築造前は古墳下に発見された旧地表面が付近一帯に広がっていたと考えます。

古墳築造前の地表面と旧表土層のイメージ

2 基礎工事(分層4及び分層4´の積上げ)
報告書記載から分層4、4´に黒色土が少なく、特に旧地表面付近ではロームブロックが集中し、「やや固められ」ていることが判ります。
つまり、表土(黒色土)は柔らかく使えないので、表土(黒色土)の下にあるロームだけを取り出し、古墳築造場所に敷き、突き固めたのだと思います。古墳をつくる場所に、土を積み上げる土台をつくったのです。
古墳時代に、土を突き固めるためにどのような道具を使ったのか、興味が湧きます。

基礎工事のイメージ

3 積土工事(分層3、分層2及び分層2´の積土)
基礎工事で使うためのローム層を取り出すために除けられ集められていた表土(黒色土)を分層4及び分層4´の上に積土しそれが分層3になります。
さらに表土下のローム層も掘って分層3の上に積みます。これが分層2及び分層2´となります。単純化すればこのように説明できます。
縄文土器の破片が積土中から発見されていますが、おそらく分層3から出土したものと考えます。

積土工事のイメージ

4 周溝工事
積土工事の最終段階で周溝工事をして、その掘削土を積土して古墳の姿を完成させたものと考えます。分層1がこの工事段階に該当するものと考えます。
分層1の記載が「ローム土の割合が多く積土中最も明るく赤褐色を呈する」となっていますが、周溝工事掘削土は表土(黒色土)が混ざり込む可能性が低く、分層1の土が周溝工事掘削土であることを物語っています。

周溝工事のイメージ

5 埋葬
古墳完成後、墳丘の上から穴を掘り、その底に棺を据え付け、埋め戻したものと考えます。
双子塚古墳からは主体部(墓坑、棺)が見つかっていませんが、分層5の存在が主体部の存在を暗示しています。
分層5は黒色土で古墳の頂部から旧地表面まで断片的に分布していて、古墳中央付近と東裾部の2個所に分かれています。

古墳中央付近の分層5は墓坑の跡を示すものかもしれません。
あるいは、分層5は盗掘の跡を示すものかもしれません。

分層5が黒色土であることから、おそらく盗掘の跡を示すものであると考えます。墓坑工事なら黒色土(表土)で埋め戻すのではなく、ローム層を使ったと考えられるからです。
古墳の表面に表土(黒色土)が発達した後の時代に、古墳の頂部から、あるいは東の裾から盗掘工事が行われ、その一部が断片的に調査断面に表れたのが分層5だと想像します。

分層5の分布

以上の検討で双子塚古墳築造の工程(ステップ)を土層観察結果を手がかりに、イメージすることができました。 また、基礎工事としてロームの突き固めをしていることや土層の強弱を理解していることなど、当時の土木技術の一端に触れることができました。

(つづく)

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