花見川地峡の自然史と交通の記憶 41
3-4 C調査区
C地区は戦前に鷹之台ゴルフ倶楽部が造成され、戦中から開拓がはじまり畑地に変わったところです。従って2回にわたる土地改変が行われた場所です。
鉄道連隊軌道跡から高台南古墳までの間には線上の地形、施設、土地利用境界はありませんが、畑地に細長い影(ソイルマーク)が見えます。
このソイルマークの意味は不明ですが、この場所に柏井・高津古代官道があり、その廃滅後馬防土手として利用されたことを考えると、そのどちらかの痕跡の可能性があります。
ソイルマークの幅が広いことを顧慮すると柏井・高津古代官道の痕跡が表現されてていると考える方が妥当性があります。
C地区説明図
3-5 高台南古墳
高台南古墳とソイルマークの関係を拡大してみました。
高台南古墳とソイルマークとの関係
参考 高台南古墳付近の裸眼実体視資料
この写真から、ソイルマークが後円部(主丘)頂部に向かって「ドンヅケ」になっていることが判ります。
柏井・高津古代官道の起終点のイメージ
柏井・高津古代官道は二つの古墳に「ドンヅケ」で一旦終端となる極めて特徴的な道路施設です。このことが意味することを今後十分に検討したいと思っていますが、現在次のような考えについて、その適否を検討してみたいと思っています。
1 直線路をつくるために単純に古墳を測量目標として利用した。
2 律令国家の権威を示すために、地元豪族の聖地をわざと俗空間に取り込み、国家中央の支配性を民衆にわかるようにした。(聖地[墓]の価値をおとしめる。)
3 東京湾水系豪族の聖地と印旛沼水系豪族の聖地を直接結ぶことにより、東京湾水系世界と印旛沼水系世界の連絡性、一体性、融和性等を律令国家が演出した。(聖地[墓]の価値の活用。)
4 東京湾水系豪族の聖地と印旛沼水系豪族の聖地を直接結ぶことにより、国家官僚や一般民衆が参拝しやすいようにした。それにより、双方の聖地に対する民衆の尊崇の念や律令国家が払う敬意を表現しようとした。(聖地[墓]の価値の増進)
5 古墳が備える機能(沢山の人が集まれる広場併置、古墳を維持管理する要員の常駐等)を律令国家中央が活用しようとした。(地元豪族に対する強制的な土地・役務提供命令。)
6 古墳を人質にとることにより、地元豪族に対する支配性を強めた。
7 全くの未開発地である台地上にあって古墳は唯一人工施設であり、万人の地理的目標になる。そこで古墳の地理的目標機能を活用して官道の起終点とした。起終点には、通行者に対する利便施設(水・トイレ・休憩等)も併置されたかもしれない。
8 二つの古墳ともその墳丘頂部に立てば対する古墳が見えたので、広幅員直線官道を古墳にドンヅケすることにより、古墳から見る官道風景の印象を強烈なものに演出した。柏井・高津古代官道は(実用性もさることながら)古墳と広幅員直線道路が織りなす、強烈なインパクトを持つ景観施設であった。古墳は人々に官道を見せる重要な視点場(見晴台)であった。
9 全くの未開発地である台地上にあって、古墳は付近で唯一の人工施設である。この古墳に官道をドンヅケすることにより、官道から脇道などを通るルートに人や物が流れないようにし、通行者や物のチェック、徴税等を一元的に行えるようにした。
10 古墳に官道をドンヅケすることにより、官道を通って攻めてくる敵軍を古墳で効果的に迎え撃てるようにした。軍事的防御機能。要塞的機能。
11 杵隈(カシワイ=船着場)と高津(直轄港湾)の狼煙通信や旗・幟通信の場として古墳を利用した。そのため、古墳同士の見通しをよくするために、官道を古墳にドンヅケした。
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「高台南古墳」という名称は、「鷹之台カンツリー倶楽部」のクラブハウス南側にある古墳だからという理由で付けられたものと推察します。適切な命名ではありません。
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つづく
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