2013年7月1日月曜日

古代水上交通関係地名・施設としての「津」と戸

花見川地峡の自然史と交通の記憶 19

1 東国における古代水上交通関係地名・施設のリスト
中村太一著「日本古代国家と計画道路」(吉川弘文館、平成8年)では古代東国の水上交通について検討しており、東国における古代水上交通関係地名・施設のリストとその分布図を掲載しています。

このリストの中から津がつく名称について、次の区分をしました。
・「津がつく古代地名・施設名が、比定地地名では戸になっているもの」
・「津がつく古代地名で、比定地地名に戸の存在が疑われるもの」
・「津がつく古代地名が、そのまま比定地地名になっているもの」
・「津がつく古代地名・施設名で、比定できていないもの、比定地名が変わってしまっているもの」
この区分で中村太一の表に色刷りでわかりやすく表現してみました。

東国における古代水上交通関係地名・施設のリスト
出典:中村太一著「日本古代国家と計画道路」(吉川弘文館、平成8年)
色刷りとその説明、誤植訂正は引用者が書き加える

このリストには全部で41の古代地名・施設名が掲載されています。そのうち津がつくものは23あります。

そのうち次の3つ(13.0%)は古代地名・施設名が津で、比定地地名が戸になっています。
●上総国 湿津郷(うるいづのごう)→市原市潤井戸(うるいど)
「潤井戸:村田川中流左岸に位置する。地名は、当地の南の水神谷から豊かで清澄な地下水が湧出することに由来する。同所には水神宮が祀られている。「和名抄」の湿津(うるいづ)郷の遺称と考えられる。」(角川日本地名大辞典12千葉県)
●常陸国 津宮→(比定地地名大船津)→舟戸
(※ 重複して抽出)
●常陸国 平津駅家→水戸市平戸町
2013.06.30記事「古代駅名「平津」と戸」参照

これらの情報は津と戸の関係を考えるうえで貴重な手がかりとなる文化情報です。

津がつく古代地名で、比定地地名に戸の存在が疑われるものとして次の1つ(4.3%)をピックアップしました。
●武蔵国 石津郷→日野市石田
現在は根拠のないことですが、石戸という地名があり、それが石田に変化したのではないかと疑っています。検討結果によっては、津と戸の関係を知るうえで貴重な情報を得られるかもしれません。

一方、津がつく古代地名が、そのまま比定地地名になっているものとして次の5つ(21.7%)がピックアップできます。
●伊豆国 川津郷→静岡県賀茂郡河津町
●武蔵国 埼玉津→行田市埼玉付近
●安房国 置津郷→勝浦市興津
●常陸国 津宮→(比定地地名大船津)→舟戸
(※ 重複して抽出)
●常陸国 島津郷→茨城県稲敷郡阿見町島津

これらの地名がなぜ津として現在まで伝わってきているのか、その理由について考察することによって、津と戸の関係を知るための情報を得られると思います。

津がつく古代地名・施設名で、比定できていないもの、比定地名が変わってしまっているものは1565.2%)になります。

以上の情報から、津がつく古代地名・施設名で現代の地名に何らかの影響を保持しているものは、23のうち834.8%)であることが判ります。この8つの情報は貴重な文化情報であると思います。

2 分布図
中村太一著「日本古代国家と計画道路」(吉川弘文館、平成8年)掲載の東国における古代水上交通関係地名・施設分布図に1で検討した結果を記入して示しました。

東国における古代水上交通関係地名・施設の分布図
出典:中村太一著「日本古代国家と計画道路」(吉川弘文館、平成8年)
色刷りとその凡例は引用者が書き加える

古代地名・施設名で津がつくものは、現在では戸が付く地名になっている場所と、津がつく地名になっている場所と、他の名称になっている場所の3類型あることが判りました。

以下は、他の名称になっている場所に比定された例を除いて、考察します。

その分布上の特性はデータ数が少ないので、現在のところなんとも言えないと思います。ただ、双方とも局所的分布はしていないと考えることができると思います。

私の仮説では、律令国家が港湾をつくるような場所は、律令国家成立以前からどこでも○○戸と呼ばれていたのではないかと考えます。

律令国家が港湾をつくる時に、はじめてその施設名に「津」をつけたのだと思います。
具体的には、それまで「○△戸」とよばれていた場所につくる港湾施設名は「○△津」にしたのだと思います。

その時、地名はあいかわらず「○△戸」であったのだとおもいます。

その後、長い年月を経て、港湾施設(津)の意義や実態が薄らいだ時、施設名称「○△津」は忘れられ、地名「○△戸」が残った場所と、施設名称「○△津」が地名化して、古い地名「○△戸」が忘れられた場所の2つのケースがうまれたのだとおもいます。

なぜ、2つのケースが生まれたのか、強引に想像するならば、港湾施設「○△津」が短期間しか運用されなかったり、地元地域の社会インフラとしての意義が少ないものは、その施設名称「○△津」が地名化しないで、もともと使われていた「○△戸」がその後も地名として使われ、現在に至っているのだと思います。

逆に港湾施設「○△津」が長期間運用され、地元地域の社会インフラとしての意義が大きかったものは、その施設名称「○△津」が地名化したのだと思います。

古代律令国家の港湾施設の名称「○△津」ですらそのまま地名化できない場合があるのですから、中世等において時の権力者が「××戸」を「××津」と称してローカルな港湾施設をつくって、それが文書に刻まれても、時間が経てば地名は「××戸」で変わらず、現在まで伝わってきていることも多いのだと思います。


つづく

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