2013年7月29日月曜日

杵隈(カシワイ)と古代官道基点を結ぶ通路

古代官道跡を米軍空中写真でみる(その6
花見川地峡の自然史と交通の記憶 44

これまでこのブログでは、柏井にあった杵隈(カシワイ=船着場)と高津(古代直轄港湾)の間について、米軍空中写真を使って検討してきましたが、杵隈と双子塚古墳(官道基点)の間についての検討をしてこなかったので、ここで検討します。

柏井・高津古代官道の起終点のイメージ

これまで、柏井と高津を結ぶ官道の起点がなぜ花見川の東岸にあるのか、不思議で理解できませんでした。イメージ的にはわざわざ遠回りすることになります。

この疑問が氷解しましたので報告します。

単純な理由でした。

花見川谷津谷底を登ると、その源頭部は近隣の東京湾水系谷津源頭部と同じように急崖で終わっていて、そこを人が通ることはできなかったと考えて間違いありません。

柏井集落付近から台地上に出ようとすると、東岸には段丘状の緩斜面がありスムーズに台地に出られます。

ところが、西岸では急崖を登らないと台地にでられません。

このような地形上の理由から東岸から台地上に出て、そこにある双子塚古墳を基点にして直線道路としての柏井・高津古代官道がつくられたものと考えることができます。

そもそも、双子塚古墳が花見川東岸にあること自体も同じ理由であると思います。

私事になりますが、毎朝この緩斜面を利用して花見川に降りて、花見川サイクリングロードを通り弁天橋まで散歩しています。また、時々、自転車でこの緩斜面を上り下りしています。
一方、西岸の柏井集落から台地上にでる道は急崖を登る急坂です。とても自転車をこいで登れるような坂ではありません。
自分の体感をもって、柏井・高津古代官道の一つの起点が花見川東岸にあることの意味を理解しています。

柏井付近の地形概略と古代交通ルートの想定
(注…古柏井川谷底は印旛沼堀割普請によってほとんど消失しましたが、ゴルフ場など数か所に地形として残存しています。この地形概略に示した古柏井川谷底分布は復元想定です。)

参考 柏井付近の裸眼実体視資料

杵隈と双子塚古墳を結ぶ古代の道路は、その場所が天保期印旛沼堀割普請の捨土土手の場所となったことから推測するしかありませんが、台地縁沿いの単純なルートであったと考えます。


つづく

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