上谷遺跡の主な人面土器、多文字土器を地図にプロットしました。
上谷遺跡主な人面・多文字土器
人面土器のうちA204遺構出土はヘラ書人面土器であり、焼成前に書かれたものですから他の人面土器とは意義が異なる可能性があります。
多文字土器は延命祈願の文字が書かれています。
その分布は掘立柱建物群から離れた竪穴住居から出土していて、集落の「住宅地区」から出土しているように観察できます。
一方単文字の墨書土器のうち出土数の多いものは掘立柱建物群に取り囲まれた広場の位置が集中出土場所です。
単文字墨書土器は集落の「業務地区」から出土しているように観察できます。
参考 上谷遺跡掘立柱建物分布と墨書土器出土ヒートマップ及び主要文字
この出土場所が異なるという観察から人面土器、多文字土器と単文字墨書土器はその意義が異なると考えます。
単文字墨書土器は生業集団の業務発展等の祭祀(酒宴)に使われ、打ち欠きされて祭祀場所近くの竪穴住居跡穴に投げ込まれたと考えます。
人面土器、多文字土器は出土状況が覆土ではなく底面からのものがあり(A112出土4点など)、出土竪穴住居で使用されていた可能が高いものがあります。
人面土器、多文字土器は集落支配層が酒宴の余興でかいたような印象を受けます。
文字が書けるという教養の自慢やその行為をとがめる人がいないという支配層としての地位を誇示するために書いたのだと考えます。
なお、発掘調査報告書などでは「延命祭祀」に使われたと書かれていますが、有る個人が延命祈願文字を土器に書いたという行為が即「祭祀」になるのならば、その通りだと思います。
しかし、指導層個人の延命祭祀を家族や関係集団が執り行ったという考えには強い違和感を持ちます。
奈良・平安時代にあっても、指導層が家族や集団の健康や安全を祈願することはあっても、逆に家族や集団に自分の健康や安全を祈願させるということはコミュニティの心性に反すると思います。
A112遺構出土多文字土器のうち2点には延命祈願文字の他に「西」が書かれています。
「西」の集中出土域はA112遺構から直線距離250m離れた場所にあります。
A112遺構のある場所は集落内の「住宅地区」であり、そこに住む指導幹部が昼間は250mほど離れた集落西部の掘立柱建物群の業務地区に出勤していたと考えられます。
墨書文字「西」多出域の近くには溝状遺構があり、この遺構を「住宅地区」と「業務地区」を結ぶ集落内道路と考えることもありうると思います。
上谷遺跡 溝状遺構の場所
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