2016.11.28記事「遺構内遺物は祭祀供え物かゴミか?投げ込まれたか置かれたか?」で、遺物多出竪穴住居跡の遺物は祭祀に際して投げ込まれたお供え物であることを思考しました。
これまでの検討で次のようなイメージを持つことができました。
集落内空間位置や鍛冶遺構を伴うことなどから判明する有力家の廃絶跡で、集団の参拝をしめす同一文字集団の打ち欠き土器出土がみれら、それらの遺物は投げ込まれたということです。
有力家当主の死亡後、故人を弔う祭祀が行われ、墨書土器や貴重品等(鉄製品、鞴羽口など)が投げ込まれたと想定しました。
参考 遺構のゾーン
参考 A233竪穴住居の出土物
さて、この投げ込むという行為と神社の賽銭箱にお金を投げ込むという行為が似ていて、心性の根っこが同じであるように直観しました。
祖先や神(社会共通の祖先)を祀るという心性と「お金や有価物を投げる行為」が竪穴住居跡と神社賽銭箱で同じであるということです。
竪穴住居跡に有価物や記念品を投げるという古代の一般的祭祀行為が神社賽銭箱の起源に関係するのではないかと想像します。
一つの仮説誕生です。
参考 香取神宮の正月の賽銭箱
平成22年正月撮影
(賽銭箱に白布を巻いて神と参拝者に敬意を表していますが、お金を投げるという一般にはゾンザイで不敬な行為に、神社サイドも参拝者サイドも疑問を持っていません。)
よくよく考えると、神社賽銭箱は、神(社会共通の祖先)に有価物を献上するという意味ですが、その肉体的動作は投げるというゾンザイな動作、不敬な動作です。素直に考えればこの動作に違和感が生じるはずです。
しかし昔からの風習で、違和感を生じません。
ところが、今も昔も買い物でコインや札を相手にちょっとでも投げたら(反対にちょっとでも投げられたら)強烈な違和感を感じます。失礼な動作です。
竪穴住居で故人(つまり直接の祖先)を祀り、その時墨書土器や貴重品を投げ込んだ風習が起源となり、社会共通の祖先である神の祀りに際して(つまり神社の祀りに際して)、お金を賽銭箱に「投げ込む」風習が続いていると考えると、賽銭箱にお金を投げる意味にガテンがいきます。
賽銭を「投げ込む」という動作が一種の祀り動作になっているのだと思います。
賽銭箱にお金を投げ込むという動作に不敬感を持たない理由は、古代における竪穴住居廃絶後の祭祀の風習がその起源にあるからだと仮説します。
泉や水辺にコインを投げる行為は世界中にあり、その動作も違和感を感じません。
これも原始古代の祭祀における動作がその起源にあり、それが世界共通だからだと仮説します。
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