鍛冶遺構の検討では次のような事柄を学習することができました。
●鍛冶遺物(鞴羽口、鉄滓)出土遺構が必ずしも鍛冶遺構ではない。
●被熱ピット出土遺構が鍛冶遺構として推定できる。
●鍛冶の規模は小さく、それ自体が専業的職業であったと考えるより、支配層有力家が鉄製品修繕技術や鉄製品流通を独占し、鉄の供給を通じて集落支配を行っていた仕組みであるように感じる。
具体的事例としてA102a竪穴住居の出土物を詳細検討して鉄製品のほとんどが床面あるいは壁から直接出土している様子を知りました。
さて、このA102a竪穴住居は上谷遺跡の代表的墨書文字「得」が最も多数出土する遺構であり、「得」集団が祭祀を行った場所であると考えました。
そこで、この記事から視点を変えて、別の上谷遺跡代表的墨書文字「西」「竹」「万」が多数出土する竪穴住居、つまり墨書文字小集団の中心的竪穴住居の遺物出土状況を詳細検討することとします。
参考 上谷遺跡の代表的墨書土器が多出する竪穴住居
なお、代表的墨書文字が他出する竪穴住居はA209を除いて鍛冶遺構・遺物と関連しています。
参考 上谷遺跡 代表的墨書土器多出竪穴住居と鍛冶鍛冶遺構・遺物との対応
「西」「竹」「万」が多出する竪穴住居の生データは次のようになります。
「西」「竹」「万」が多出する竪穴住居の生データ
この生データを使って、「得」が出する竪穴住居で行ったような検討をすることにします。
参考 A102a竪穴住居で行った検討 遺物ヒートマップ
参考 A102a竪穴住居で行った検討 鉄製品出土状況
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