2016年11月15日火曜日

上谷遺跡 小鍛冶遺構出土鉄製品の解釈変更

上谷遺跡A102a竪穴住居の中央には被熱ピットがあり、小鍛冶遺構であると考えています。

この竪穴住居から12点もの鉄製品が出土しています。

その出土状況を平面図でみると住居の縁辺部に多いのですが、断面図を見ると床面から出土している物は少なく、住居廃絶後の祭祀で持ち込まれ覆土層に埋まったものと考えていました。

ところが、発掘調査報告書掲載の平面図・断面図を子細に対照してみると、この認識が間違っていることが判りました

次の図は鉄製品と石・土製品(土器を除く)の平面図と断面図を対照させたものです。

上谷遺跡 A102a竪穴住居 (存被熱ピット住居)
鉄製品の殆どが床面・ピット・壁から出土

平面図と断面図を対照して線で結ぶとA-A’断面近くの出土物は床面及び出入り口ピットの底から出土している物が確認できます。

それ以外の遺物はA-A’断面に「投影」して表現されています。

A-A’断面に「投影」していますので、見かけ上は覆土の中にあるようにこれまで誤解していたのですが、実際に確実に覆土層中にあるものは35、36の刀子と31の鞴(羽口)の3点だけです。

それ以外は床面・壁・壁に掘り込んだピット(物入れか?)などから出土していて、全て「非覆土層」であることが判明しました。

鉄製品のほとんどが、この住居がアクティブであった時に由来するものであることが判明しました。

住居中央の被熱ピットで小鍛冶が行われ、紡錘車、刀子、鏃、斧などが修繕されていたと考えます。

溝状でえぐりを有する軽石が出入り口ピットから出土していますが、刀子や鏃を研ぐ道具だったと考えられ、この住居が小鍛冶遺構であることを重ねて示しています。

12点の鉄製品には略完形の紡錘車2、鏃2が含まれていますので、この住居が廃絶するときこれらの鉄製品等が意識的に残されたものと考えます。

この場所は墓ではありませんが、墓に副葬品を納めるように、廃絶した小鍛冶機能を有する有力家の住居跡に鉄製品を意識的に残し、弔ったあるいは思い出の場所にしたと考えます。

住居跡が人々の心の中で意味のある空間であったと考えます。

住居跡が人々の心の中で意味のある空間であった時間は世代を超えることは考えづらいので、長くて30年くらいと想像します。

その程度の時間の間に墨書土器をこの空間に持ち込んで行う祭祀が何回かあったものと想像します。




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