大膳野南貝塚の陥し穴について学習します。
1 陥し穴の記述
発掘調査報告書における陥し穴の概要は次のように説明されていて、他には33基の図版を伴う詳細記載が行われています。
それ以外にまとめにおける考察はありません。
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調査区内から検出された陥し穴は33基を数える。
分布は、調査区北端部を除く調査区全域に散在する状態で、可視的には規則性は看取できない。
陥し穴という遺構の性格上、詳細な時期は特定し難いが、覆土中の遺物は早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が主体であった。
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
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2 陥し穴のタイプと分布及び動物捕獲想像
次に陥し穴の図版と写真をまとめてみました。
陥し穴
陥し穴写真
陥し穴は逆木を設置して動物殺傷力を強化したと考えられるタイプと、スリットタイプの2つに分類できるようです。
番号の色を逆木設置タイプは赤で、スリットタイプは青で区別してみました。
なお、出土土器細片の年代を図中にメモしました。
逆木設置タイプとスリットタイプの動物捕獲方法は次の図のようにイメージできるようです。
陥し穴による動物捕獲想像図
「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用
陥し穴は動物の進行方向に長軸方向を合わせて設置している様子がこの想像図から判ります。
陥し穴の分布は次のようになります。
陥し穴の分布
3 陥し穴の時期
陥し穴から早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土していますが、次の理由から前期後葉において陥し穴は既に廃絶していたと考えます。
次の図は陥し穴と前期後葉遺構の分布図をオーバーレイしたものです。
陥し穴の分布と前期後葉竪穴住居・土坑の分布
前期後葉の竪穴住居と土坑の分布から、遺跡発掘区域はほぼ全域集落域になっています。
集落の真ん中に陥し穴を設置することはあり得ません。
陥し穴から前期後葉土器細片が出土したということは、陥し穴の存在した場所の上に、前期後葉の時期に土器細片が偶然落ちたという事象に過ぎないと考えます。
陥し穴の時期は早期後半がメインではないかと想像します。
4 陥し穴の長軸方向から推測する狩ルート
陥し穴の長軸方向を図示すると次のようになります。
陥し穴の長軸方向
陥し穴は動物を追い立てる方向に長軸方向を合わせていると考えられますから、上記長軸方向分布図から次のような狩ルートを推測できます。
陥し穴の長軸方向から推測する動物追い詰めルート
大金沢支谷に沿って追い詰めるルート、台地中央を追うルート、旭谷に沿って追い詰めるルートの3つが想定できます。
旭ルートはダイナミックに動物を追い詰めています。
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参考メモ 陥し穴に祭祀がないこと
全体の1/3にあたる11基の陥し穴からは早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土しています。
炉穴の土器出土状況とは全く異なることが確認できます。
つまり、意識的に陥し穴に土器を埋めたという事例が皆無であるということです。
当たり前といえば当たり前ですが、炉穴や竪穴住居や土坑のグループと陥し穴は、縄文人の見る目が全く異なっていたことが推察できます。
炉穴や竪穴住居や土坑はその空間(施設)が祭祀に関わるのに、陥し穴は祭祀に関わらないということです。
縄文人の心性からみて、人工空間(施設)に祭祀に関わるようなものと、そうでないものの2種類あるということです。
学習初心者にとっては、このような当たり前のことも新鮮で重要なこととして捉えることができました。
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