1 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録が決まり、事前のイコモス勧告が残念なものだっただけに、構成資産が完全登録されてとても喜ばしいことです。
文化庁資料では次のように説明されています。
「本資産は,「神宿る島」沖ノ島を崇拝する文化的伝統が,古代東アジアにおける活発な対外交流が進んだ時期に発展し,海上の安全を願う生きた伝統と明白に関連し今日まで継承されてきたことを物語る稀有な物証である。
沖ノ島には4世紀から9世紀の間の古代祭祀の変遷を示す考古遺跡が,ほぼ手つかずの状
態で現代まで残されてきた。沖津宮,中津宮,辺津宮の古代祭祀遺跡を含むこれらの三つの場は,宗像大社という信仰の場として現在まで続く。18世紀までに成立した沖津宮遙拝所は,上記で述べたような沖ノ島を遥拝する信仰の場である。そして,その信仰を担い育んだ宗像氏の存在を物語る資産が,新原・奴山古墳群である。」
【構成資産】
宗像大社沖津宮(沖ノ島,小屋島,御門柱,天狗岩),宗像大社沖津宮遙拝所,宗像大社中津宮,宗像大社辺津宮(以上,福岡県宗像市),新原・奴山古墳群(福岡県福津市)
地図
構成資産をGoogle earth proでながめるとつぎのようになります。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
2 下総宗像13社
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録の報に接し、下総宗像13社の存在に強く興味を掻き立てられます。
下総には宗像神社13社が集中して存在していて、各社それぞれが現在の福岡県宗像市の宗像大社からの勧請と伝えられています。13社もの宗像神社が集中して祀られているのは、本社のある福岡県はもとより、全国にも例を見ないもので、この地の宗像神社圏は特異な存在となっているそうです。
下総宗像13社
小倉博「印旛沼の神社と古代氏族」(1994、印旛沼-自然と文化創刊号)では、印波初代国造の伊都許利(いつこり)命の支配のもとで開拓事業に従事した人々のなかに宗像海洋族がいて、そのままこの地に定住し、東岸の麻賀多神社とは異質の宗像神社圏を築いたという可能性を論じています。
さらに、当時の印旛沼はそれこそ大海であり、沼を行き来するのに航海技術に優れた宗像海洋族の力が必要だったのであり、この地の宗像神社13社は、すべて沼またはそれに注ぐ師戸川・神崎川など小河川に沿って鎮座していることも見逃せないと言及しています。
この論文に基づくと、宗像神社を祀った航海技術にたけた氏族は古墳時代にはこの地に定住していて、その後鳴神山遺跡や船尾白幡遺跡の時代(8世紀、9世紀)を経て現在まで神社を祀る人は途絶えていないということです。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録を一つの契機として捉え、宗像海洋族が下総にやってきた経緯などについて情報を渉猟してみたいと思います。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群と下総宗像13社
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