2017年7月14日金曜日

大膳野南貝塚 漆喰炉

大膳野南貝塚漆喰炉の学習を発掘調査報告書「まとめ」の項目を引用しながら行います。

赤字は発掘調査報告書からの引用です。

1 屋内漆喰炉
漆喰炉とは純度の高い漆喰の堆積が認められた炉の総称である。調査開始後J34号住において炉に堆積した白色粘土状物質を認めることができ科学分析を実施した。その結果は、貝を主要素材とする漆喰であるとの見解が示され(詳細は第Ⅲ分冊の科学分析編に掲)、このような物質の堆積が認められる炉を漆喰炉と呼称するに至った。なお、発掘調査現場での白色粘土状物質が漆喰であるか漆喰以外であるかの判断については、炭酸カルシウムを主成分とする漆喰は希硫酸に反応して激しく発泡するため、対象物に希硫酸(例えばトイレ洗浄剤など)を少量滴下することで簡易的に判定が可能であった。

調査が進行する中で、漆喰炉には掘り方が存在し、この掘り方を埋め、掘り方より一回り小さな炉本体が形成され、素掘り地床炉に見られない構造を有していた。また、漆喰の凹レンズ状積層堆積からは炉床が徐々に上昇する使用過程が推定できること等、漆喰炉の構築・使用状態を想定できた点は大きな成果といえる。

今回の発掘調査により確認した加曽利E 4 式期~加曽利B 2 式期間の住居址総数は93軒であり、そのうち住居の床(漆喰貼床)や炉(漆喰炉)に漆喰が使用された例は37軒である。

屋内漆喰貼床・漆喰炉

2 屋外漆喰炉
屋外漆喰炉は北貝層地区北側R・S-27区に1 ・2 号、北西側R-25区に3 ~ 5 号の計5 基、南貝層地区東側R-25区には6 ~ 8 号の3 基が、それぞれの地区に隣接分布し、合計8 基を確認した。

遺構確認面は貝層直下もしくは表土層直下の暗褐色土(屋外漆喰炉より古い住居址覆土)上面であり、各々の屋外漆喰炉の周囲には住居址を推定できる貼床や硬化面、上屋施設を想定可能な柱穴配置は存在しない。
その時期は出土遺物から堀之内1 式期である。

屋外漆喰炉の平面は楕円形、断面は皿状~角の丸い逆台形を呈する。炉底・壁は火を受け、赤変・硬化し、純度の高い漆喰の積層堆積が認められる。また、この漆喰積層堆積(炉覆土)を掘り込み、深鉢形土器完形~略完形品および底部を埋設(埋甕)している。

屋外漆喰炉では炉の漆喰積層堆積層を掘り込んで略完形土器等の埋設(埋甕)が特徴的であり、1 号( 6個体)・2 号( 2 個体)・4 号( 1 個体)・6 号( 2 個体)・8 号( 3 個体)屋外漆喰炉では1 ~ 6 個体の土器埋設(埋甕)が確認でき、土器内には高純度の漆喰堆積が認められた。

屋外漆喰炉からの埋設土器(埋甕)以外の出土遺物の中で注意される遺物としては、大形アワビ製貝刃があげられる。1 号屋外漆喰炉南西外縁部から内面を上にした状態で出土した。貝内面は漆喰と焼土粒を微量含む褐色土が充塡状態であり、本屋外漆喰炉に伴う遺物である。
この大形アワビ製貝刃がどのような意図のもとに設置されたかについては明らかではないが、全く破損しておらず、屋外漆喰炉の構築・使用等に係わる何らかの儀礼的意図が存在した可能性があり、注意されよう。

漆喰が何を目的として精製され、どのような理由で炉に使用されたのかといった根源的な問題点については明確な回答を導き出せていないのが現状であり、その解明にあたっては今後の研究課題とせざるを得ない。

屋外漆喰炉

3 考察
屋内外漆喰炉は貝殻を原料としていて、炉としては高機能であることが想定されるので、漁業活動の中で生まれた漁獲物の効率的調理技術であったと考えます。

屋外漆喰炉が集落の共同調理場であり、そこで調理される漁獲物は交易品として出荷されるものであったのではないかと想像します。

屋内漆喰炉がある竪穴住居は漁業活動に従事する家族の住居であったと想定します。

屋内外の漆喰炉の他、漆喰土坑、貝層竪穴住居、貝層土坑も直接間接に漁業活動と関連する指標になると考えます。

参考 漆喰土坑

参考 貝層竪穴住居

参考 貝層土坑

上記の漁業活動に関連する指標を全てオーバーレイすると次のような分布図になります。

屋内漆喰貼床・漆喰炉、屋外漆喰炉、漆喰土坑、貝層竪穴住居、貝層土坑オーバーレイ1

このオーバーレイされた空間は北貝層と南貝層付近で半円を成し、全体としても円をめざしていたように感じられますが、その場所が大膳野南貝塚の主要漁業従事者の生活活動ゾーンであったということです。

逆にこのオーバーレイに含まれいない竪穴住居は主要漁業活動従事家族以外の家族の住居であった可能性が高くなります。
その分布を次に示します。

オーバーレイ2

漆喰貼床・漆喰炉及び貝層が出土しない竪穴住居住民は労働力として集められた(集まった)社会的ランクの低い住民がメインで、残りは漁業活動以外の活動に従事していた住民であったと考えます。

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