イナウに関する付け焼刃学習の第3回目です。
梅原猛「日本の深層」でイナウに関する学習を行いました。
2017.07.26記事「イナウ学習 梅原猛「日本の深層」による」
この図書(集英社文庫)の解説を赤坂憲雄という方が書いていて、その中で柳田國男「花とイナウ」について次のように触れています。
「戦後の柳田には、「花とイナウ」と題された論考がある。柳田の最初にして、最後の本格的なアイヌ文化論であった。祭りの庭に神霊の依代として立てられる樹木ないし枝である、花/イナウ。削りかけ・御幣・ヌサ・手草などの名で呼ばれる、日本人の信仰のなかの祭りの木つまり花を、アイヌの人々はイナウと称する。花とイナウはあまりに似ている。だからこそ、柳田はそれを「二つの種族における一つの習俗」である、と語らざるをえなかった。ほかの信仰・習俗・伝承については、日本文化/アイヌ文化のあいだに切断線を引くことにためらいを見せなかった柳田が、花/イナウの前では途方に暮れている。「花とイナウ」の漂わせるひき裂かれた雰囲気は、日本文化/アイヌ文化の切断それ自体にたいする確信の揺らぎを暗示している、そんな気がする。
二つの種族における一つの習俗とは、いかにも苦しい。説得力に欠ける。梅原さんならば、迷わずに、それは一つの種族における一つの習俗である、と断言することだろう。わたしには断言するだけの自信は、残念ながらない。しかし、花/イナウとかぎらず、一つの種族における一つの習俗であると仮定することで見えてくるものが、ことに東北の文化のなかには、あまりに多い。」
赤坂憲雄「梅原猛「日本の深層」集英社文庫収録解説」から引用
柳田國男がイナウについて考察していること自体興味がありますし、解説文の趣旨が本当にそうであるかも興味が湧きましたので、早速読んでみました。
柳田國男「花とイナウ」定本柳田國男集第11巻から
(文中の鉛筆線は30年前に自分が引いたものです。30年くらい前に定本柳田國男集全31巻、別巻5巻を入手し第1巻から読みだし15巻くらまで読んで、全巻読破できなかった思い出があります。)
柳田國男「花とイナウ」の初出は「昭和22年1月、2月、北方風物2巻1号、2号」です。
書き出しは次の通りです。
「北地原住民の神を祭る日に立てる木、彼等の言葉でイナウ又はイナオといふものは、こちらにもよほど似よつた風習があつて、最も普通にはこれを花と呼んでゐる。関東北部では木花、信州の一部には花の木といふ名もあり、正月十三日をそのために花掻き日、同十四日の晩から十五日へかけての年越を花正月、また大正月の松の内に対して、小正月の幾日かの休みを、花の内といつてゐる例も東京の近くにはある。
古い時代には、これを本ものの花と区別するために、削り花と呼んでゐたことが文献の上に伝わり、それを後々は又ケヅリカケともいつたやうで、今も九州方面にはこの名が行はれてゐる。最初の心持は削って掛けるといふのだったらしいが、近頃少しづゝその技術が衰へて来て、何か未完成のやうな感じを伴ふやうになった。しかしもしこのカケが作りかけなどのカケであつたならば、これを改った信仰の儀式に、用意する筈はないのである。
花とイナウと、隻方一つ一つの作品を比べ合せて見ると、あちらのは念入りで手が込んでをり、こちらのは簡略で無造作なものが多いので、たつたこれだけの近頃の事實によつて、或は一方を摸倣であり、眞似そこなひであるやうに、想像する人もないとは限らぬが、さういふ早合點が一番いけない。以前も今の通りであつたといふ根拠は一つもないばかりか、寧ろ反対の推測を下すべき理由が幾つもある。つまりはかういふ目に立たぬ事物にも、まだわれわれの知らなかつた歴史があるのである。」
柳田國男「花とイナウ」から引用
この論考で柳田國男はアイヌのイナウという風習が和人の花(削り花)と瓜二つであり、それがどのように関係しているのか興味を持っているということをメインテーマにしています。
アイヌのイナウ習俗のほかにヌサ、タクサなどの神に関する言葉の相似もあり「お互いに内部の生活まで、理解しあってゐたことが想像せられ、たとへやうもないなつかしさを感ずる」と述べています。
そして最後に「一方の信仰が他の信仰の一部までも、置き換へたものとは解することができないのである。」と結んでいます。
この柳田國男の最後の文章は和人の神道などの風習や言葉がアイヌに影響を与えて、それがアイヌのアイデンティティになって現在に至っているという単純な結論を排除しているのです。
和人とアイヌに信仰にかんして花とイナウにみられるように相似の風習や言葉があり、その起源が同じか違うのかわからないと結論付けているのです。
むしろ、和人の神道などの影響でアイヌの信仰を説明しようということではなく、花とイナウの相似の根拠はまだ証拠(データ)の上でその原理を説明できるものがないといっているのです。和人とアイヌの信仰が同根であることを排除していません。
これは終戦直後の昭和22年の文章です。
今から批判すればいくらでもできます。上記赤坂憲雄の文章は昭和22年の柳田國男にたいして少し酷なような印象を持ちました。
寧ろ柳田國男の「花とイナウ」を、柳田國男がアイヌと和人の信仰が同根であると考えようとした可能性があるものとして肯定的に扱うべきものであると考えます。
柳田國男「花とイナウ」は梅原猛にインスピレーションを与えたに違いありません。
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定本柳田國男集第11巻 中表紙
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