2019年1月17日木曜日

前三舟台遺跡 隆起線文土器出土遺跡

縄文土器学習 5

千葉県出土縄文土器の形式学習を始めていて、その最初として隆起線文土器について取り組んでいます。隆起線文土器出土遺跡を「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)掲載事例により学習を進めています。この記事では富津市前三舟台遺跡を学習します。

1 前三舟台遺跡の位置

前三舟台遺跡の位置
小糸川下流左岸にあり、三舟山(標高138m)の北麓に広がる緩斜面に位置します。

2 遺物集中地点と出土物
「縄文時代草創期の土器・石器・礫によって構成される2か所の遺物集中地点(第1、第3遺物集中地点)を検出した。両地点は、互いに30mほど離れているが、いずれも、急斜面の三舟山と麓の緩斜面との傾斜変換地点にある。出土層は、暗褐色の漸移層から立川ローム層最上部のソフトローム層上部である。」

第1遺物集中地点出土遺物実測図
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用
「第1地物集中地点からは、縄文時代草創期の土器177点と石器462点が出土した。また、礫群1基が検出できた。
土器には、 隆起線文土器・爪形文土器・縄の圧痕をもつ土器・無文土器がある。隆起線文土器は、口縁部直下に1・2条の粘土紐を貼り付け押圧している。隆起線が1条の例は、口唇部に押圧やキザミを施し、2条の隆起線と同様の効果をあげている。垂下する隆起線を組み合わせた例もある。
石器には、槍先形尖頭器・有舌尖頭器・削器・打製石斧・敲石があり、このほかに、尖頭器類の未成品とその製作過程で生じた剥片(石くず)が多量にともなっている。石器の製作技術は、拳よりもやや小振りの円礫を台石の上に置き、これを両極打撃によって尖頭器類の素材となる剥片を生産している。同時に、残された石核も尖頭器類の素材に供されたと思われる。石材は、全体の8割以上が安山岩で、これに砂岩・ホルンフェルスなどが加わる。」

→南原遺跡の土器拓本は小さすぎて記述を実感として理解できませんでしたが、前三舟台遺跡隆起線文土器の説明「口縁部直下に1・2条の粘土紐を貼り付け押圧している。」は画像として理解できます。しかし、それ以上の詳しい説明は実物と拓本との関係を知らない者にとってはどれを指すのかわかりません。是非とも実物(あるいは鮮明な写真)を観察したいと思います。

→石器生産場所から土器が出土しているのですから、ある程度その場所で定住している様子がうかがえます。礫群の存在もその場所が狩周遊ルートにおける礫保管場所であった可能性があります。

第3遺物集中地点出土物実測図
「千葉県の歴史 資料編 考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用
「第3遺物集中地点からは、少量の土器に、石鏃・掻器・削器などの製品18点が出土した。石材は、すべて半透明の黒曜石である。遺跡内で製作された形跡がないことから、別の場所で製作され、搬入したものと考えられる。」

→少量とはいえ土器が石器とともに出土するのですから、隆起線文土器の時代には全てのグループが土器を使っていたという仮説を支持する材料になります。

→黒曜石の産地が気になります。旧石器時代にはすでに神津島の黒曜石も房総では使われています。

3 まとめ
「以上のように、 2か所の遺物集中地点は、石器の組成、石材の構成、分布の形状と規模などがきわめて対照的な様相を示している。遺物集中地点の形成過程は不明であるが、両地点は異なる作業空間として機能し、短期間に形成されたと考えられる。」

→隣接する2箇所の遺物集中地点の間に時間のズレと集団のズレがあると考えると、この場所が狩前後にキャンプする場所として好都合だった場所であるからだと考えます。定住がはじまる初期の様子、つまり立地有利な場所でキャンプが繰り返し行われる様子を前三舟台遺跡は表現していると推測します。急斜面と緩斜面の傾斜変換点という立地から飲み水(湧水)の存在が重要な要件になっていたのかもしれません。

4 参考 千葉県の隆起線文土器出土遺跡

千葉県隆起線文土器出土遺跡

千葉県隆起線文土器出土遺跡

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