2017年3月12日日曜日

ピラミッドはオリオン座三ツ星、稲荷台遺跡は北斗七星

1 オリオン座三ツ星を模したギザ3ピラミッドの配置

昨晩夕食時にテレビで「日立世界ふしぎ発見!」を見ました。

ドローンでギザピラミッドの精細測量を行い3D画像を作成して分析するとしている導入部が自分の興味に一致して、ついつい最後まで見てしまいました。

番組最後の方で、ギザ3ピラミッドの最後のメンカウラー王ピラミッドは星への信仰からオリオン座三ツ星を摸して建設したと説明図入りで解説していました。

ピラミッドとオリオン座三ツ星との関係
番組ホームページ動画から引用

ピラミッドとオリオン座三ツ星との関係
番組ホームページ動画から引用

この画面を見て、星座と遺跡配置との関係という意味で、西野雅人先生著「古代上総国府の北斗祭祀」(千葉氏顕彰会定例講演会 平成26年5月31日)を強く思い出さざるを得ませんでした。

2 稲荷台遺跡における北斗状にならぶ古墳と北斗信仰の想定

西野雅人先生著「古代上総国府の北斗祭祀」(千葉氏顕彰会定例講演会 平成26年5月31日)では次の諸点をあげて、詳しく北斗状古墳配置と北斗信仰の様子を分析・考察しています。

・北斗状に並ぶ古墳(円丘)から、古代の遺物が多数出土
・それ以外の古墳は削平ないし、区画溝により地区除外
・円丘のうちとくに遺物の多い2基に伴う単独建物の存在
・夜間の祭祀、大規模な焚火
・「月」「斗」などの墨書土器が出土

北斗状円丘分布
「千葉県の歴史 資料編考古3(奈良・平安時代)」(千葉県発行)から引用塗色

論文では北斗状配置が実際の星座とは逆の配置になっていることを「地上に降臨したものとして、逆像こそ正しいと考えられたと推察」しています。

さらに北斗状円丘列と国分二寺の空間関係について詳しく分析しています。

稲荷台遺跡と国分二寺の位置関係
西野雅人先生著「古代上総国府の北斗祭祀」(千葉氏顕彰会定例講演会 平成26年5月31日)から引用

論文ではさらに本来の最大の興味…北斗祭祀…について詳しく論じています。

さて、ここで、北斗七星が逆像になっていること、ギザピラミッドのオリオン座が見た目の通りの図柄である点の相違に気が付きました。

北斗七星がそのまま地上に降臨すれば、地上での北斗七星は逆像(鏡像)になります。

北斗七星が地上で逆像(鏡像)になる仕組み

3 オリオン座三ツ星を摸したギザ3ピラミッドの配置 再考

稲荷台遺跡では北斗七星が降臨すると逆像になることを知っていた人々が古墳配置の設計や完成した古墳の星祭施設活用を行っていたと考えることができます。

メンカウラー王のピラミッドがもし本当に三ツ星信仰に関わるものならば、ピラミッドは三ツ星の地上への降臨であり、当時の神官がその配置を夜空の星座とは逆像として配置したはずです。

ピラミッドを建設できるほどの技術と思考ができる集団が、星座が地上に降臨すれば逆像になるということに気がつかないはずはありません。

そこで、テレビ紹介の画面にオリオン座逆像(降臨したオリオン座)を書き込んでみました。

ピラミッドとオリオン座三ツ星との関係 オリオン座逆像書き加え
番組ホームページ動画から引用加筆

ピラミッドとオリオン座三ツ星との関係 オリオン座逆像書き加え
番組ホームページ動画から引用加筆

ピラミッド配置と降臨した三ツ星の配置は異なってしまいます。

ピラミッドとオリオン座三ツ星の関係というロマンあふれる仮説は、研究の進んだ古墳と北斗七星の関係からみると、俗説で終わるのかもしれません。

逆に、西野雅人先生著「古代上総国府の北斗祭祀」(千葉氏顕彰会定例講演会 平成26年5月31日)を読み返して、広範な分野を詳しく調べ上げ、なおかつ豊かな想像力と明瞭な論旨で星の考古事例を論じていることに強い魅力を感じました。



2017年3月11日土曜日

大膳野南貝塚 陥し穴猟 大金沢支谷ルート1

2017.03.10記事「大膳野南貝塚 陥し穴」で大膳野南貝塚陥し穴の長軸方向分析から猟のルートが3つあることが判りました。

陥し穴の長軸方向から推測する動物追い詰めルート(2017.03.11改訂)

この記事から猟ルート別にどこまで詳細分析が可能であるか、チャレンジしてみます。

この記事では大金沢支谷ルートにある陥し穴のうち同時利用された可能性の高い陥し穴について検討します。

大金沢支谷ルートと関連陥し穴を抜き書きすると次のようになります。

大金沢支谷ルート

よく見ると18と23、15と16、33と34と32の陥し穴が近接しています。

近接性は次の図に示す通り、18と23は4.2m、15と16は5.7m、33と34は6.3m、34と32は5.3mになります。

陥し穴23と18の距離計測 4.2m

陥し穴15と16の距離計測 5.7m

陥し穴33と34、32の距離計測 33-34は6.3m 34-32は5.3m

これら近接陥し穴に類似性があるか、記載図版で確かめてみました。

陥し穴 大金沢支谷ルート

18と23は同じスリットタイプです。

15と16も同じスリットタイプです。

33、34、32は同じ逆木設置タイプです。

このように長軸方向が同じで近接する陥し穴のタイプが同じであることから、これら近接陥し穴は狩猟効果を増幅するために同時に設置されて利用された可能性が生まれます。(A)

同時に複数の陥し穴を利用したのではなく、同じ集団が作り直した跡であると考えることもできます。(B)

Aと考えるにしても、Bと考えるにしても、近接類似陥し穴が存在する空間位置が狩猟上重要なポイントであったことが推測できます。

ただし、18と23は大きさが違い、メインとサブのような機能分担が見え隠れします。

また、33、34、32ではその順に殺傷力が小さくなります。33は丸太逆木3本、34は丸太逆木1本、32は竹やり多数です。ここでも機能分担が見え隠れします。

親子連れの動物など体格の異なる群れを効率的に捕獲するために複数の陥し穴を配置した可能性も検討する必要があります。

実際の狩猟イメージについて次の記事で検討します。





2017年3月10日金曜日

大膳野南貝塚 陥し穴

大膳野南貝塚の陥し穴について学習します。

1 陥し穴の記述

発掘調査報告書における陥し穴の概要は次のように説明されていて、他には33基の図版を伴う詳細記載が行われています。

それ以外にまとめにおける考察はありません。
……………………………………………………………………
調査区内から検出された陥し穴は33基を数える。
分布は、調査区北端部を除く調査区全域に散在する状態で、可視的には規則性は看取できない。
陥し穴という遺構の性格上、詳細な時期は特定し難いが、覆土中の遺物は早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が主体であった。
千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書から引用
……………………………………………………………………

2 陥し穴のタイプと分布及び動物捕獲想像

次に陥し穴の図版と写真をまとめてみました。

陥し穴

陥し穴写真

陥し穴は逆木を設置して動物殺傷力を強化したと考えられるタイプと、スリットタイプの2つに分類できるようです。

番号の色を逆木設置タイプは赤で、スリットタイプは青で区別してみました。

なお、出土土器細片の年代を図中にメモしました。

逆木設置タイプとスリットタイプの動物捕獲方法は次の図のようにイメージできるようです。

陥し穴による動物捕獲想像図
「千葉県の歴史 資料編 考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用

陥し穴は動物の進行方向に長軸方向を合わせて設置している様子がこの想像図から判ります。

陥し穴の分布は次のようになります。

陥し穴の分布

3 陥し穴の時期

陥し穴から早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土していますが、次の理由から前期後葉において陥し穴は既に廃絶していたと考えます。

次の図は陥し穴と前期後葉遺構の分布図をオーバーレイしたものです。

陥し穴の分布と前期後葉竪穴住居・土坑の分布

前期後葉の竪穴住居と土坑の分布から、遺跡発掘区域はほぼ全域集落域になっています。

集落の真ん中に陥し穴を設置することはあり得ません。

陥し穴から前期後葉土器細片が出土したということは、陥し穴の存在した場所の上に、前期後葉の時期に土器細片が偶然落ちたという事象に過ぎないと考えます。

陥し穴の時期は早期後半がメインではないかと想像します。

4 陥し穴の長軸方向から推測する狩ルート

陥し穴の長軸方向を図示すると次のようになります。

陥し穴の長軸方向

陥し穴は動物を追い立てる方向に長軸方向を合わせていると考えられますから、上記長軸方向分布図から次のような狩ルートを推測できます。

陥し穴の長軸方向から推測する動物追い詰めルート

大金沢支谷に沿って追い詰めるルート、台地中央を追うルート、旭谷に沿って追い詰めるルートの3つが想定できます。

旭ルートはダイナミックに動物を追い詰めています。

……………………………………………………………………
参考メモ 陥し穴に祭祀がないこと

全体の1/3にあたる11基の陥し穴からは早期後半条痕文から前期後葉土器の細片が出土しています。

炉穴の土器出土状況とは全く異なることが確認できます。

つまり、意識的に陥し穴に土器を埋めたという事例が皆無であるということです。

当たり前といえば当たり前ですが、炉穴や竪穴住居や土坑のグループと陥し穴は、縄文人の見る目が全く異なっていたことが推察できます。

炉穴や竪穴住居や土坑はその空間(施設)が祭祀に関わるのに、陥し穴は祭祀に関わらないということです。

縄文人の心性からみて、人工空間(施設)に祭祀に関わるようなものと、そうでないものの2種類あるということです。

学習初心者にとっては、このような当たり前のことも新鮮で重要なこととして捉えることができました。


2017年3月8日水曜日

千葉県の炉穴分布

大膳野南貝塚の炉穴学習で、炉穴が狩場に直接設けられたキャンプ施設であるという印象を持ちました。

狩のあと動物を仕留めたその場所で、あるいは狩期間中において動物から見えにくい場所という違いはありますが、大きくみると、動物を仕留めるゾーン内に炉穴が設置されたと想定しました。

旧石器時代と同じような狩が炉穴設置時代には行われていたと考えます。

このように想定すると、炉穴分布が炉穴設置時代の狩場を示すことになります。

炉穴分布が狩場想定の重要な指標になります。

ふさの国文化財ナビゲーション(千葉県教育委員会)からダウンロードしたデータを炉穴で検索すると320以上の遺跡でヒットします。

この炉穴が発見された遺跡分布図を作成して、縄文時代早期の狩の様子を想定してみました。

手持ち資料では炉穴の時代区分は次のようになります。

炉穴の時代区分

このブログでは、炉穴設置は縄文時代早期特有の事象であると、とりあえず割り切って思考を進めます。

千葉県の炉穴分布図を作成すると次のようになります。

炉穴分布図

縄文時代早期の人の活動領域がこの分布図でわかることになります。

分布図をよく見ると、炉穴が密集している場所が存在します。

その場所が縄文時代早期の狩場であったと考えます。

次の図は拡大して、大膳野南貝塚付近の炉穴分布をみたものです。

大膳野南貝塚付近の炉穴分布と狩様子の想定

大膳野南貝塚付近は千葉県でも有数の炉穴密集地帯です。

また土気付近とその北(大網白里市の西端付近)にも炉穴密集地帯があります。

これらの炉穴密集地帯は縄文時代早期の千葉県における有数の狩場であったと考えます。

狩の対象となる動物は下総台地中央部に広く生活していて、狩の時にそれらの動物を集めて追い立て、狩施設に追い込み、効率的な狩を行っていたと想定します。

狩場(狩施設)は動物を追い詰めやすい特有の地形があり、同時に陥穴を設置していました。

この時代は縄文海進がピークに達した時代であり、海面が台地谷津に最も深く入り込んだ時代ですが、炉穴分布は海とはあまり関係しないで、もっぱら動物の狩との関わりで存在していると考えます。

なお、大膳野南貝塚炉穴出土土器の1つが貝殻で模様をつけているので、炉穴を設置利用した縄文人が貝を食していたことは間違いありません。


2017年3月4日土曜日

炉穴廃絶祭祀の跡

大膳野南貝塚の縄文時代早期後半の炉穴から割れた土器片が出土しますが、出土状況写真を見て、それが炉穴廃絶祭祀の跡であるという見立てをしました。

その見立てとほぼ同じ見立てを、別遺跡の炉穴で専門家がおこなっていることを知りましたので、メモするとともに、その情報を分析し、炉穴廃絶祭祀についての思考を深めます。

1 飛ノ台貝塚の炉穴

「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)の縄文時代早期の章に飛ノ台貝塚(千葉県船橋市)の事例が紹介されていて、その中の小見出し炉穴の項を次に引用します。

……………………………………………………………………
炉穴

長径1~1.9m・短径0.4~0.9mのものが多く、ほとんどが楕円形を呈している。

まれに円形に近いものもあるが、これは後世の削平によるものであり、当初のプランではないと考えられる。

深さはさまざまであるが、ほとんどのものは燃焼部に向かうほど深くなっている。

また足場と燃焼部の境でくびれるものが多いが、これは煙道部にブリッジが設けられていたためであろう。

煙道部が崩落した状況を確認できたものもいくつかある。

したがって、煙道付炉穴が特殊な炉穴なのではなく、発掘される今日まで煙道部が残っていたものが煙道付炉穴であると考えられる。

煙道部は、炉穴の構造上必要不可欠な施設であると考えられる。

また、「飛ノ台パターン」とした、燃焼部の焼土上面から一括土器が出土する事例が、第1次調査では多くが確認された。

完形個体がそのまま潰れた出土状況ではなく、大型破片が重なりあっていた。

割った土器を、煙道の口から滑り落としたような状況を彷彿とさせるものである。

使用しなくなった、あるいは使用できなくなった炉穴に対する儀礼を想定させる興味深い事例である。

炉穴の重複は、多いところでは30~40基にもなる。

重複にはいくつかの規則性があり、最も多い例は、方向を90°ほど変えながら前進するパターンである。

また、時期が新しくなるにつれ重複の回数が多くなる傾向にある。

これは炉穴を新たに構築するエリア(遺構が設営されていない地山の部分)が少なくなったためとも考えられる。

炉穴全景

太字は引用者
……………………………………………………………………

壊れた土器の破片を炉穴に落とした様子が、使用しなくなった、あるいは使用できなくなった炉穴に対する儀礼を想定させる興味深い事例であるとしています。

壊れて使い物にならなくなった土器の一部を壊して炉穴に落とし(置き)、炉穴廃絶の祭祀が行われたという仮説は縄文時代早期の房総では普遍的に成り立つのかもしれません。

2 飛ノ台貝塚炉穴写真からわかること

飛ノ台貝塚炉穴全景写真を見ると、それが煙道ブリッジが崩れて使えなくなった炉穴の廃絶祭祀跡であると推測しましたので、メモしておきます。

飛ノ台貝塚炉穴全景写真からわかること
写真は「千葉県の歴史 資料編考古1(旧石器・縄文時代)」(千葉県発行)から引用編集

なお、写真から見る限り、土器片は大きく、その土器片が打ち砕かれてひびがはいっているものはBの位置にある1枚だけです。大膳野南貝塚の例とはかなり違います。

3 大膳野南貝塚 第4号炉穴

第4号炉穴の土器片は炉穴覆土層4の直上から出ています。

第4号炉穴

覆土層4とその上の覆土層1の記載を確かめてみました。

覆土層4と1の記載

覆土層4の記載は「暗褐色土 焼土粒多量 ローム粒微量」となっていますから、炉穴の外の土で埋めたという状況よりも、炉穴の一部が崩れたと考えることの方が矛盾が少なくなります。

この情報だけだは決定的なことは言えませんが、飛ノ台の例から、炉穴煙道部ブリッジが崩落してしまい「焼土粒多量」の土が堆積し、その結果炉穴が使えなくなって、炉穴廃絶祭祀を行った。その結果、覆土層4の上に土器片が置かれてたと考えることもできます。

覆土層4の上に土器片があるにもかかわらず、炉穴廃絶と土器片が置かれた時間がほぼ同時であったと考えてもよいことになります。

なお第4号炉穴出土土器は意図的に細かく打ち砕かれていて、飛ノ台貝塚炉穴出土土器片とは壊し方の様子が大いに異なります。

炉穴第4号出土土器に見られる打ち砕かれた跡
〇は蜘蛛の状に割れて、なおかつその中心が粉々になったと考えられる場所です。棒等で打ち砕いたのかもしれません。





2017年3月3日金曜日

Google Earth Engine Workshop

参加しているメーリングリストでGoogle Earth Engine Workshopの案内があり、場所が近くの千葉大学でしたので参加してきました。

この手のワークショップの参加は5年前のデジタル写真測量講習会以来です。(2012.12.30記事「地物の3次元モデル化ソフト image master ビギナーズ」参照)

Google Earth Engine Workshopの案内

Google Earth Engineのチラシ

講師のGoogle社技術職員松岡朝美さんからGoogle Earth Engineの意義・使命について熱く詳しい説明を聞くとともに、次の項目について自分のパソコンをいじりながら実践的操作技術講習を受けました。

ワークショップの項目
●Google Earth Engineの使用方法
●Google Earth Engine入門編
●Landsat衛星データ解析方法
●教師付き分類
●Open Data Kit(ODK)導入編
●ODKとは何か?
●ODK導入方法

ワークショップの様子

Google Earth Engineの一部についてはすでにブログ活動で活用していますので、自分にとっては大変収穫の大きかったワークショップとなりました。

ワークショップでは申し込み者に事前にGoogle Earth EngineサイトにサインアップしておくこととCODE EDITORを使うので、その事前申請をしておくように、その具体的操作もふくめて案内がありました。

その事前準備をしただけでもGoogle Earth Engineが自分にとってかなり身近なものになりました。

ワークショップではGoogle Earth Engineサイトに入りTIMELAPSE DATASETS PLATFORMなど項目をいじり、PLATFORMの中のEXPLORERとCODE EDITORの操作がメインとなりました。
 
この実技講習の中で、Landsat衛星データを過去から最近のものまで全世界について自由にダウンロードできること、その高度な解析が特段のソフトを用意しなくてもできることを知りました。

またその作業が極めて効率的に出来ることを知り、そこまでは期待していなかったので、驚き、うれしくなりました。

ワークショップでは地球規模での自然環境保全などにGoogle Earth Engineが活用されている事例が数多く紹介されましたが、そういった限られた分野だけではなく、自分が興味を持つ考古歴史や風景・地形などにも大いに活用できる可能性を感じ取ることができました。

Google Earth Engineは社会の多様な問題・興味に活用できる地理空間分析・情報共有ツールです。

膨大な情報と背景に控える高度ソフト群をすべて無料・自由に使えることに一種の感動を覚えます。

なお、Google Earth Engineを活用した汎世界的プロジェクトが200程度あり、それぞれがサイトを持っていて、そのサイトで有用な情報を得るができることを知ったことも、自分にとっては成果の一つでした。

また、データ入手・高度分析だけでなく、情報共有ツールとしての価値がとてつもなく大きなものであることも再認識させられました。

Google Earth EngineのCODE EDITOR画面

Google Earth Engine

Google Earth Outreach(チュートリアルなど)

※Google Earth Engineを利用するブラウザはChromeに限定されているようです。他のブラウザはいろいろな場面で障害が発生します。









2017年3月2日木曜日

大膳野南貝塚 炉穴出土ひび割れ土器片の意義

2017.03.01記事「大膳野南貝塚 炉穴(写真観察)」で炉穴からひび割れ土器が出土していることに気が付き、なぜひびが入っているのだろうかと不思議に思い、そこからこの土器片が炉穴の廃絶祭祀のお供えであることを直観しました。

この記事では、ひびができた理由をもう少し深く分析して、土器片が廃絶祭祀のお供えであることの思考を深めます。

1 土器片ひび割れの詳細観察

3号炉穴と1号炉穴について出土土器のひび割れ状況について、出土状況写真と現物復元写真を対照して詳細観察しました。

3号炉穴出土土器片の詳細観察

土器片は踏みつけにより多数のピースに分割し(ひびを入れて分割し)たものであることが観察できました。

ひびのでき方(蜘蛛の巣状のひび)から投げ入れたものではないことが判明しました。

土器片を炉穴に置き、わざわざ踏みつけて多数のピースに分割し、なおかつ土器片の姿はそのままであるという意識的操作の結果が出土状況になります。

1号炉穴出土土器片の詳細観察

1号炉穴でも、土器片は踏みつけにより多数のピースに分割し(ひびを入れて分割し)たものであることが確認できました。

さらに、多数のピースの一部をバラバラにしないで残りの部分の上に置くという手の込んだ意識的操作を行っています。

2 ひび割れ土器片(多数ピースに分割しなおかつもともとの概形を崩さない土器片)の意義

ひび割れ土器片の意義を次のように仮説しておき、今後検証していきたいと思います。

仮説 ひび割れ土器片の意義=炉穴廃絶祭祀のお供え物


炉穴を廃絶する時、炉穴機能発揮において一体不可分の道具である土器も一緒に廃絶(破壊)したものと考えます。

炉穴を廃絶するのですから、炉穴の神様の怒りを治める必要があり、そのために土器をいわば生贄としてささげたのだと思います。現代風に言えばお供え物です。

土器を踏みつけて多数のピースに分割してしまえば、使えなくなります。土器の命を絶って、その命を炉穴の神様にささげたということだと思います。

この祭祀は使える土器ではなく、土器片で代用していますから、炉穴廃絶祭祀というものが、大変身近なものであったことを物語っています。

同時に祭祀が縄文時代早期後半にはすでに十分に形式化していたといえます。

当然の推論になりますが、炉穴廃絶祭祀では炉穴を埋めたと考えます。

少なくともひびを入れた土器片が埋まる程度までは埋めたと考えます。





2017年3月1日水曜日

大膳野南貝塚 炉穴(写真観察)

2017.02.28記事「大膳野南貝塚 炉穴」で紙上観察した7つの炉穴について、写真と対照してみました。

炉穴の出土状況について感覚的に理解するとともに、何か気が付くことがあるか、写真を観察してみました。

1 炉穴分布図

炉穴分布図

2 炉穴の写真観察

掲載写真はすべて「千葉市大膳野南貝塚発掘調査報告書 第Ⅳ分冊-写真図版編-」から引用したものです。

ア 3号炉穴

3号炉穴

3号炉穴写真

3号炉穴出土土器写真

3号炉穴出土土器写真

煮炊きのために土器を置く場所で土器片が発掘されました。

炉穴の廃絶時に土器片をわざと置いたのかもしれません。

土器片が激しく割れているのに、バラバラになっていないで、元の破片の形で出土するのは何故でしょうか。

恐らく土器片を投げ入れて、その衝撃で割れたのですが、狭い炉空間ですからバラバラにならなかったのだと思います。

この炉穴を廃絶する時に、「記念」として土器片をわざわざ投げ入れたと考えます。

あるいは土器片を投げ入れてからその上を土で埋戻し、その時埋戻し圧力で土器片が割れたのかもしれません。

この炉穴は旧石器時代と同じように狩場の中に狩の後に設けたものと考えますから、この場所から狩人達が退去する際には、後の狩の邪魔にならないように埋め戻したと考えることも、あながち根拠のない想像とはいいきれません。

土器が割れているのにバラバラに散乱していない理由は現場発掘担当者なら判っているにちがいありません。

この炉穴は段差を利用している炉穴のようです。

イ 9号・5号炉穴

9号炉穴

9号炉穴写真

穴の大きさから、人が1人で火の面倒をみて、その背後に食料材料、薪、予備の土器などを置いていたのでしょうか。



5号炉穴

5号炉穴写真なし

ウ 1号・4号・8号・6号炉穴

1号炉穴

1号炉穴写真

1号炉穴出土土器写真

1号炉穴出土土器写真

土器出土位置はB炉穴の薪をくべる場所付近です。火の世話をする場所の背後空間に薪や調理材料、予備土器などを置いていたと想像します。

土器片は炉穴廃絶時にわざと置いた(意味を込めて置いた)のかもしれません。

土器片が2枚重なっていることもわざとらしさを感じます。

またそれぞれ細かく割れているのに、バラバラにならないで破片としての原型を保っていることも着目すべき特徴です。

炉穴廃絶時に土器片を置き、その上から土で埋戻し、その時踏圧や土圧で割れたと考えることが自然な思考です。

土器片を投げ入れて割れたとすれば、少なくとも上にかぶさる破片はバラバラになります。割れ目はあるけれども破片にならない状況は、埋め戻される際に圧で割れたと考えると矛盾がありません。

炉穴廃絶時に一種の祭祀(儀式)的行為があったと想像します。


4号炉穴

4号炉穴写真

4号炉穴出土土器写真

4号炉穴出土土器写真

土器は炉穴覆土層途中の半分埋まった時点頃の層位から出土しています。

廃絶してしばらく経った炉穴に、意味を込めて(壊れた)土器を埋めた(投げた)ように感じます。

他の炉穴から少数の土器片が出土し、恐らく炉穴廃絶時の「祭祀道具」として使われたと想像していますので、4号炉穴も土器という道具の送りという意味ではなく、炉穴の廃絶(炉穴の送り)の祭祀道具として土器が使われたと考えます。

土器がゴミとして捨てられたものとは考え難いとします。

なお、炉穴のおくり(「ものおくり」と同じように身近な施設にも「おくり」があったと考えます。)の「もの」ならなおさらのこと、万が一ゴミ捨てであっても廃絶した炉穴に壊れた土器を埋める(投げる)という事実は、この付近に縄文時代早期後半の縄文人が頻繁に、あるいは長期間生活していたということを示し、定住的要素の濃い生活をしていたことが忍ばれます。



8号炉穴

8号炉穴写真

8号炉穴出土土器写真

8号炉穴出土土器写真

出土状況写真から、土器片は底面そのものではなく、覆土層の途中から出土しているようです。

4号炉穴と同じように、廃絶してしばらく経った炉穴に、意味を込めて(壊れた)土器を埋めた(投げた)ように感じます。



6号炉穴

6号炉穴写真

6号炉穴出土土器写真

炉穴写真から炉穴底面から土器が出土しているように見えます。

そうであるなら、やはりこの土器片も炉穴廃絶時の祭祀に使われた「もの」であると想像します。

土器片を記念に置いて、炉穴の使用を終結し、おそらく(全部ではないにしても)埋め戻したと想像します。

3 感想

写真を観察して、土器片が割れているにも関わらずバラバラになっていない状況に気が付き、それを引き金にして、土器片が炉穴廃絶祭祀(儀式)につかう「もの」であるという想像をしました。

100%的外れの想像ではないような予感はします。

「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県発行)に出てくる「ものおくり」は「道具のおくり」についてについて述べています。

同じように身近な「施設のおくり」もあったに違いないとかんがえますので、「おくり」に関する学習を深めたいと思います。

写真を観察して、予想外に思考を深めることができました。