大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 6
大膳野南貝塚後期集落の土坑について指標別に時期別分布を検討しています。これまでに指標「体積類型」について検討しました。
この記事では指標「平面形型」について時期別分布を検討します。
なお次の土坑に関する指標について順次時期別分布を検討します。
●フラスコ型土坑
●円筒型土坑
●貝層土坑
●漆喰土坑
●周辺小ピット付土坑
●土坑墓可能性土坑
1 平面形型の区分
発掘調査報告書における土坑平面形記述を次のように4類型に区分して検討することにします。
土坑平面形型
土坑平面形型の統計
・円形型は土坑空間体積(容量)に対して表面積が最小になるので湿気の影響を受けにくいなどの特性が考えられ、食糧等の貯蔵に有利であることから数が多いと考えられます。
・楕円形型が何故存在しているのか、その理由は今後詳しく検討することにしますが、現在は次のような理由があるのではないかと推測しています。
ア 細長いモノを貯蔵あるいは埋納するために楕円形にした。
イ 土坑の出入り(昇降)施設を設置するために楕円形にした。
ウ 土坑建設労働をしやすくする為に楕円形にした。
・方形型の存在理由は特段の意味があるに違いないと推定しますが、現時点では具体的イメージを持てていません。
・その他型の方形型以上に意味がある可能性が濃厚ですが、現時点では具体的イメージを持てていません。
2 時期別土坑(平面形型)分布
2-1 加曽利E4~称名寺古式期
加曽利E4~称名寺古式期
この時期だけ土坑平面形型分布は異常といっていいと思います。土坑5箇所のうち一般的である円形型は1基だけで、他は方形型2基、その他型2基となります。
この時期だけ何故土坑平面形型のメインが円形型・楕円形型ではないのか、今後注意深く検討していくことにします。
2-2 称名寺~堀之内1古式期
称名寺~堀之内1古式期
方形型1基、その他型1基で残りは全て円形型と楕円形型です。この情報は加曽利E4~称名寺古式期の情報と大いに異なり、その理由を継続して検討することにします。
2-3 堀之内1式期
堀之内1式期
円形型と楕円形型がほとんどでありそれ以外は方形型が3基だけです。
2-4 堀之内2式期
堀之内2式期
円形型と楕円形型から構成されます。
2-5 堀之内2~加曽利B1式期
堀之内2~加曽利B1式期
円形型と楕円形型から構成されます。
2-6 加曽利B1~B2式期
加曽利B1~B2式期
その他型1基がありますが、残りはすべて円形型と楕円形型です。
2-7 参考 後期全期
参考 後期全期
3 考察
平面形型の違いは土坑機能(利用目的)の違いに関わっていると推測していますが、その具体的関わり方の知識がないので、現段階では詳しい分析に至りません。しかし、今後他の指標を順次検討する中で平面形型を生かした集落形成・終焉に関わる分析を行うことにします。
2018年3月11日日曜日
2018年3月8日木曜日
土坑(体積類型)の時期別分布 全期
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 5
この記事は2018.03.07記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期」のつづきで土坑(体積類型)のまとめです。
3-6 時期別土坑(体積類型)の特徴とりまとめ
前回記事までの検討を踏まえ、土坑を体積類型した場合、次のような思考をメモすることができます。
●特大土坑、大土坑
・特大土坑と大土坑の当初建設目的は主食堅果類等の貯蔵庫であったと想定します。
・ただし、その土坑が廃絶するときは廃絶祭祀が行われ送り場となったり、土坑墓として利用されたことは排除できないと考えます。
・特大土坑と大土坑は竪穴住居直近のものと竪穴住居から大きく離れた場所のものに2分して分布していると捉えることができ、貯蔵庫としての利用機能が異なっていたと想定します。竪穴住居から大きく離れた特大・大土坑は衛生面等を考慮したメイン貯蔵庫(長期貯蔵用)、竪穴住居近くのものはサブ貯蔵庫(短期貯蔵用)かもしれません。
・特大・大土坑の位置、つまり集落における貯蔵庫ゾーンの位置は時期によって異なります。
・集落開始期の漆喰貝層有竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡南西部、同じ頃の漆喰貝層無竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡北部と分かれていましたが、集落最盛期には遺跡北部に貯蔵庫ゾーンが集約されていて、主食貯蔵という側面は漆喰貝層無竪穴住居家族(非漁民家族)が主導していたように推測できます。
●中土坑
・集落最盛期の中土坑の分布を見ると特大・大土坑の分布に近く、小土坑分布とは明らかに異なりますから、中土坑の建設当初目的も特大・大土坑と同じく食糧貯蔵であったと推定します。中土坑は特大・大土坑よりも竪穴住居に近づいて分布していますから、貯蔵品目や貯蔵目的が異なっていた可能性があります。特大・大土坑は集落全体の食糧が底をつく春先用食料貯蔵、中土坑は竪穴住居家族毎の収穫物一時貯蔵など。
・集落衰退期には竪穴住居軒数が激減し、同時に特大・大土坑が姿を消しますから、この時期の集落メイン貯蔵庫は中土坑であったと考えられます。
●小土坑
・小土坑の当初建設目的は生活に必要な送り場であったと想定します。
・竪穴住居直近の小土坑は日常生活で排出される不要物を送る場であったと考えます。アイヌの例では排出物の種類ごとに送り場が異なっていたので、小土坑も同時に多数存在していて、食糧残滓、道具類、灰などの排出物別に使い分けていたのかもしれません。
・竪穴住居からはなれた場所の小土坑は列状に分布し、次々に建設され利用された様子が感得されます。非日常的な送り場であり、土坑墓の可能性も排除できません。特に集落中央部の列状小土坑は葬送に関わるような土坑であると推測します。
3-7 土坑(体積類型)の全期分布
下図のように時期の不明な土坑が多数存在しますから、これらを含めて後期集落の全時期の土坑(体積類型)について考察します。
参考 時期別土坑数
3-7-1 全期 土坑(体積類型)分布
全期 土坑(体積類型)分布
土坑の分布は密集しているところが多く、孤立して1つだけ分布しているものは少ないことから、集落全期間を通してみると、土坑建設適地はいつも同じ場所であったと考えられます。土坑密集地つまり土坑立地適地と竪穴住居との関係からその土坑の機能をある程度推察することが可能であると考えます。
3-7-2 全期 特大・大土坑分布
全期 特大・大土坑分布
2つの土坑が隣接している場所が数か所あり、土坑建て替え(掘り替え)があったものと推測します。
集落リーダーの竪穴住居(集落の文化的中心地)から離れた場所に分布しているものが多くなっています。しかし、円環状構造の中心にはほとんど分布しません。
3-7-3 全期 中土坑分布
全期 中土坑分布
3つの土坑が密集している場所が4カ所あり、建て替え(掘り替え)があったものと考えられます。
特大・大土坑と同じように集落円環構造の中心部には分布しません。
3-7-4 全期 小土坑分布
全期 小土坑分布
塊状に密集するところがあり、その場所は特定の送り場として、何度も小土坑が掘りなおされた場所であると想定します。
列状に分布するところも多くみられます。列状分布は次々に土坑が建設され、土坑どうしは隣接しているけれども、結果として最初の土坑と最後の土坑の位置は離れている状況を呈しています。これはその土坑の絶対的な位置にこだわっていないので、その土坑を日常的に使っているのではなく、非日常的に使った様子を表現していると考えられます。
特に集落中央部の列状分布は非日常的な送り場で、土坑墓であったかもしれないと想像しています。
この記事は2018.03.07記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期」のつづきで土坑(体積類型)のまとめです。
3-6 時期別土坑(体積類型)の特徴とりまとめ
前回記事までの検討を踏まえ、土坑を体積類型した場合、次のような思考をメモすることができます。
●特大土坑、大土坑
・特大土坑と大土坑の当初建設目的は主食堅果類等の貯蔵庫であったと想定します。
・ただし、その土坑が廃絶するときは廃絶祭祀が行われ送り場となったり、土坑墓として利用されたことは排除できないと考えます。
・特大土坑と大土坑は竪穴住居直近のものと竪穴住居から大きく離れた場所のものに2分して分布していると捉えることができ、貯蔵庫としての利用機能が異なっていたと想定します。竪穴住居から大きく離れた特大・大土坑は衛生面等を考慮したメイン貯蔵庫(長期貯蔵用)、竪穴住居近くのものはサブ貯蔵庫(短期貯蔵用)かもしれません。
・特大・大土坑の位置、つまり集落における貯蔵庫ゾーンの位置は時期によって異なります。
・集落開始期の漆喰貝層有竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡南西部、同じ頃の漆喰貝層無竪穴住居家族の貯蔵庫ゾーンは遺跡北部と分かれていましたが、集落最盛期には遺跡北部に貯蔵庫ゾーンが集約されていて、主食貯蔵という側面は漆喰貝層無竪穴住居家族(非漁民家族)が主導していたように推測できます。
●中土坑
・集落最盛期の中土坑の分布を見ると特大・大土坑の分布に近く、小土坑分布とは明らかに異なりますから、中土坑の建設当初目的も特大・大土坑と同じく食糧貯蔵であったと推定します。中土坑は特大・大土坑よりも竪穴住居に近づいて分布していますから、貯蔵品目や貯蔵目的が異なっていた可能性があります。特大・大土坑は集落全体の食糧が底をつく春先用食料貯蔵、中土坑は竪穴住居家族毎の収穫物一時貯蔵など。
・集落衰退期には竪穴住居軒数が激減し、同時に特大・大土坑が姿を消しますから、この時期の集落メイン貯蔵庫は中土坑であったと考えられます。
●小土坑
・小土坑の当初建設目的は生活に必要な送り場であったと想定します。
・竪穴住居直近の小土坑は日常生活で排出される不要物を送る場であったと考えます。アイヌの例では排出物の種類ごとに送り場が異なっていたので、小土坑も同時に多数存在していて、食糧残滓、道具類、灰などの排出物別に使い分けていたのかもしれません。
・竪穴住居からはなれた場所の小土坑は列状に分布し、次々に建設され利用された様子が感得されます。非日常的な送り場であり、土坑墓の可能性も排除できません。特に集落中央部の列状小土坑は葬送に関わるような土坑であると推測します。
3-7 土坑(体積類型)の全期分布
下図のように時期の不明な土坑が多数存在しますから、これらを含めて後期集落の全時期の土坑(体積類型)について考察します。
参考 時期別土坑数
3-7-1 全期 土坑(体積類型)分布
全期 土坑(体積類型)分布
土坑の分布は密集しているところが多く、孤立して1つだけ分布しているものは少ないことから、集落全期間を通してみると、土坑建設適地はいつも同じ場所であったと考えられます。土坑密集地つまり土坑立地適地と竪穴住居との関係からその土坑の機能をある程度推察することが可能であると考えます。
3-7-2 全期 特大・大土坑分布
全期 特大・大土坑分布
2つの土坑が隣接している場所が数か所あり、土坑建て替え(掘り替え)があったものと推測します。
集落リーダーの竪穴住居(集落の文化的中心地)から離れた場所に分布しているものが多くなっています。しかし、円環状構造の中心にはほとんど分布しません。
3-7-3 全期 中土坑分布
全期 中土坑分布
3つの土坑が密集している場所が4カ所あり、建て替え(掘り替え)があったものと考えられます。
特大・大土坑と同じように集落円環構造の中心部には分布しません。
3-7-4 全期 小土坑分布
全期 小土坑分布
塊状に密集するところがあり、その場所は特定の送り場として、何度も小土坑が掘りなおされた場所であると想定します。
列状に分布するところも多くみられます。列状分布は次々に土坑が建設され、土坑どうしは隣接しているけれども、結果として最初の土坑と最後の土坑の位置は離れている状況を呈しています。これはその土坑の絶対的な位置にこだわっていないので、その土坑を日常的に使っているのではなく、非日常的に使った様子を表現していると考えられます。
特に集落中央部の列状分布は非日常的な送り場で、土坑墓であったかもしれないと想像しています。
2018年3月7日水曜日
土坑(体積類型)の時期別分布 集落衰退消滅期
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 4
この記事は2018.03.06記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落最盛期」のつづきです。
3-5 堀之内2式期の土坑と竪穴住居
堀之内2式期の土坑と竪穴住居
特大土坑が遺跡中北部に存在していて、この時期の主食貯蔵庫であったと考えます。この場所は前期(堀之内1式期)から踏襲しています。
竪穴住居直近に日常的送り場が想定される土坑が、竪穴住居から離れた場所に非日常的送り場が想定される土坑が分布します。遺跡南西部の大土坑は発掘調査報告書で土坑墓の可能性があるものとして記載されています。(追って別記事で詳細検討予定)
3-6 堀之内2~加曽利B1期の土坑と竪穴住居
この記事は2018.03.06記事「土坑(体積類型)の時期別分布 集落最盛期」のつづきです。
3-5 堀之内2式期の土坑と竪穴住居
堀之内2式期の土坑と竪穴住居
特大土坑が遺跡中北部に存在していて、この時期の主食貯蔵庫であったと考えます。この場所は前期(堀之内1式期)から踏襲しています。
竪穴住居直近に日常的送り場が想定される土坑が、竪穴住居から離れた場所に非日常的送り場が想定される土坑が分布します。遺跡南西部の大土坑は発掘調査報告書で土坑墓の可能性があるものとして記載されています。(追って別記事で詳細検討予定)
3-6 堀之内2~加曽利B1期の土坑と竪穴住居
2018年3月6日火曜日
土坑(体積類型)の時期別分布 集落最盛期
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 3
この記事は2018.03.05記事「土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落」のつづきです。
この記事は2018.03.05記事「土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落」のつづきです。
3-4 堀之内1式期の土坑と竪穴住居
堀之内1式期の土坑と竪穴住居
この図を分解して土坑体積類型別抜き書き図を作成して、より直観的に分布を把握して検討します。
特大土坑の機能は貯蔵用であると想定できますが、その場所が称名寺~堀之内1古式期(漆喰貝層有竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンではなく、加曽利E4~称名寺古式期(漆喰貝層無竪穴住居対応)の貯蔵庫ゾーンの近くになっています。位置が変化していることに大いに着目します。また5か所の特大土坑のうち3箇所は竪穴住居から離れ、2箇所は竪穴住居直近のように観察できます。
集落南西部にある土坑は1つだけで、特大土坑の分布と似ています。
集落南西部に土坑は1つだけありますが、他はいずれも竪穴住居に近くなっています。
堀之内1式期の土坑と竪穴住居 小土坑のみ表示
竪穴住居直近のものだけでなく、集落中央部のいずれの竪穴住居からも離れた場所に分布しているものがあります。
竪穴住居直近のものは住居生活における身近な送り場(廃物の送り場)、竪穴住居から離れたものは非日常的な送り場(土坑墓など?)と仮に考えておきます。
●考察
集落における貯蔵庫ゾーンが称名寺~堀之内1古式期における遺跡南西部から、堀之内1式期には遺跡中北部に移動したと考えます。
遺跡中北部には漆喰貝層無竪穴住居の分布が多く、また漆喰貝層無竪穴住居だけの加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンが遺跡北部であったことから、貯蔵庫ゾーンの移動は漆喰貝層無竪穴住居の影響が強かったからだと想像します。
つまり堅果類の貯蔵では漆喰貝層無竪穴住居家族が大きな役割を果たしていたと想像します。
つづく
2018年3月5日月曜日
土坑(体積類型)の時期別分布 大膳野南貝塚後期集落
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 2
1 土坑再検討の検討項目
発掘調査報告書に掲載されている土坑一覧表に基づくデータを電子化してQGISで分布図化できるので、最初にその項目を全て時期別に漆喰貝層有無別竪穴住居と関連付けて検討します。
大膳野南貝塚発掘調査報告書掲載土坑一覧表(一部)
既に電子化してある項目
●土坑体積
●土坑平面形状
●フラスコ型土坑
●円筒型土坑
●貝層土坑
●漆喰土坑
●周辺小ピット付土坑
●土坑墓可能性土坑
これらの検討の後、再度発掘調査報告書土坑記述を精読して検討項目を補足して検討する予定です。
この記事では以下土坑体積に関する検討に着手します。
2 土坑体積による類型区分と時期別土坑数
発掘調査報告書に掲載されている土坑平面規模と土坑深さのデータから土坑体積を計算しました。土坑体積はそれに要する労力の大きさと収納空間の大きさに比例します。従って土坑体積の大小は、土坑用途の違いは有るにもかかわらず、縄文集落にとっての重要性に比例する基本指標になると考えます。
土坑体積は次のように4段階に区分してその時期変化を考察することにします。
土坑体積の累計区分
なお、土坑体積の全平均は0.48㎥になります。
時期別土坑数
3 時期別体積区分別土坑分布
3-1 体積区分別土坑分布の解釈の前提
以下に示す時期別土坑・竪穴住居分布図は、その図に示されるもの以外に、その時期に含まれる別の土坑及び竪穴住居が存在していた可能性は十分にあります。
また、図示される土坑・竪穴住居がすべて同一時点で存在していた保証はありません。
しかし、限定された遺構とは言え、ほぼ同時期(50年間くらいのタイムスパンか?)の土坑と竪穴住居分布が判ったことは貴重なデータが得られたと考えられます。そこで、あえて図示した全ての遺構のみが同時に存在したかのように仮定して情報を取り出します。
なお、その用途を類推できる情報が存在しない場合、特大土坑、大土坑の主な用途は貯蔵、中土坑は多用途、小土坑の主な用途は送り場であるとイメージして検討することにします。
3-2 加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居
加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居
●検討
竪穴住居から離れた場所(15-6m)に大土坑が3つ、小土坑が1つ、竪穴住居のすぐ近くに小土坑が1つ分布します。
竪穴住居からはなれた大土坑は貯蔵用でありその場所が遺跡北側という特異な場所であることに着目します。
小土坑は送り場であると想定し、竪穴住居直近のものと離れたものがあり、同じ送り場でも具体的な様子は異なっていたと着目します。
3-3 称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居
称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居
●検討1
遺跡南西部に大土坑と中土坑が集中し、この場所がこの期の貯蔵庫ゾーンであったと推定できます。
竪穴住居から離れた場所にある小土坑は日常的でない送り場(例 土坑墓なども含まれるかもしれない)の可能性を疑います。
竪穴住居直近の中土坑と小土坑は日常的な送り場(現代風に考えればゴミ捨て場)であると推測します。
●検討2
貯蔵庫ゾーンの場所が前期集落における貯蔵庫ゾーンの場所と略一致するのでメモしておきます
参考 前期集落の貯蔵庫ゾーン(土坑集中域)
参考 前期集落貯蔵庫ゾーンからのオニグルミ核出土状況
後期集落の称名寺~堀之内1古式期における貯蔵庫ゾーンと前期集落の貯蔵庫ゾーンの場所が略一致する理由はその場所が竪穴住居から離れていて衛生面で有利であることと、西側の深い谷津に面していて地下水位が深く水はけがよいことなどが挙げられます。
●検討3
加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンと称名寺~堀之内1古式期の貯蔵庫ゾーンの場所が全く異なる理由は加曽利E4~称名寺古式期の住民は漆喰貝層無竪穴住居の住民であり非漁民であり、称名寺~堀之内1古式期の住民は漆喰貝層有竪穴住居の住民であり、つまり漁民であり、その生業と出自が異なる異集団であることに由来すると考えます。
加曽利E4~称名寺古式期の集落は遺跡区域北側の外に広がっていて、遺跡区域内に存在する竪穴住居はその時期集落の南端に位置していたのかもしれません。
……………………………………………………………………
●メモ
なお発掘調査報告書では加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の土器型式の違いに時間的な前後関係を想定していますが、このブログでは異なる集団による文化受容スピードの違いである可能性を想定しています。
加曽利E4~称名寺古式期土器利用集団(漆喰貝層無竪穴住居住民)と称名寺~堀之内1古式期土器利用集団(漆喰貝層有竪穴住居住民)は時間的に共伴していた(共存していた)と考えています。
参考
参考
……………………………………………………………………
つづく
1 土坑再検討の検討項目
発掘調査報告書に掲載されている土坑一覧表に基づくデータを電子化してQGISで分布図化できるので、最初にその項目を全て時期別に漆喰貝層有無別竪穴住居と関連付けて検討します。
既に電子化してある項目
●土坑体積
●土坑平面形状
●フラスコ型土坑
●円筒型土坑
●貝層土坑
●漆喰土坑
●周辺小ピット付土坑
●土坑墓可能性土坑
これらの検討の後、再度発掘調査報告書土坑記述を精読して検討項目を補足して検討する予定です。
この記事では以下土坑体積に関する検討に着手します。
2 土坑体積による類型区分と時期別土坑数
発掘調査報告書に掲載されている土坑平面規模と土坑深さのデータから土坑体積を計算しました。土坑体積はそれに要する労力の大きさと収納空間の大きさに比例します。従って土坑体積の大小は、土坑用途の違いは有るにもかかわらず、縄文集落にとっての重要性に比例する基本指標になると考えます。
土坑体積は次のように4段階に区分してその時期変化を考察することにします。
土坑体積の累計区分
なお、土坑体積の全平均は0.48㎥になります。
時期別土坑数
3 時期別体積区分別土坑分布
3-1 体積区分別土坑分布の解釈の前提
以下に示す時期別土坑・竪穴住居分布図は、その図に示されるもの以外に、その時期に含まれる別の土坑及び竪穴住居が存在していた可能性は十分にあります。
また、図示される土坑・竪穴住居がすべて同一時点で存在していた保証はありません。
しかし、限定された遺構とは言え、ほぼ同時期(50年間くらいのタイムスパンか?)の土坑と竪穴住居分布が判ったことは貴重なデータが得られたと考えられます。そこで、あえて図示した全ての遺構のみが同時に存在したかのように仮定して情報を取り出します。
なお、その用途を類推できる情報が存在しない場合、特大土坑、大土坑の主な用途は貯蔵、中土坑は多用途、小土坑の主な用途は送り場であるとイメージして検討することにします。
3-2 加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居
加曽利E4~称名寺古式期の土坑と竪穴住居
●検討
竪穴住居から離れた場所(15-6m)に大土坑が3つ、小土坑が1つ、竪穴住居のすぐ近くに小土坑が1つ分布します。
竪穴住居からはなれた大土坑は貯蔵用でありその場所が遺跡北側という特異な場所であることに着目します。
小土坑は送り場であると想定し、竪穴住居直近のものと離れたものがあり、同じ送り場でも具体的な様子は異なっていたと着目します。
3-3 称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居
称名寺~堀之内1古式期の土坑と竪穴住居
●検討1
遺跡南西部に大土坑と中土坑が集中し、この場所がこの期の貯蔵庫ゾーンであったと推定できます。
竪穴住居から離れた場所にある小土坑は日常的でない送り場(例 土坑墓なども含まれるかもしれない)の可能性を疑います。
竪穴住居直近の中土坑と小土坑は日常的な送り場(現代風に考えればゴミ捨て場)であると推測します。
●検討2
貯蔵庫ゾーンの場所が前期集落における貯蔵庫ゾーンの場所と略一致するのでメモしておきます
参考 前期集落の貯蔵庫ゾーン(土坑集中域)
参考 前期集落貯蔵庫ゾーンからのオニグルミ核出土状況
後期集落の称名寺~堀之内1古式期における貯蔵庫ゾーンと前期集落の貯蔵庫ゾーンの場所が略一致する理由はその場所が竪穴住居から離れていて衛生面で有利であることと、西側の深い谷津に面していて地下水位が深く水はけがよいことなどが挙げられます。
●検討3
加曽利E4~称名寺古式期の貯蔵庫ゾーンと称名寺~堀之内1古式期の貯蔵庫ゾーンの場所が全く異なる理由は加曽利E4~称名寺古式期の住民は漆喰貝層無竪穴住居の住民であり非漁民であり、称名寺~堀之内1古式期の住民は漆喰貝層有竪穴住居の住民であり、つまり漁民であり、その生業と出自が異なる異集団であることに由来すると考えます。
加曽利E4~称名寺古式期の集落は遺跡区域北側の外に広がっていて、遺跡区域内に存在する竪穴住居はその時期集落の南端に位置していたのかもしれません。
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●メモ
なお発掘調査報告書では加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の土器型式の違いに時間的な前後関係を想定していますが、このブログでは異なる集団による文化受容スピードの違いである可能性を想定しています。
加曽利E4~称名寺古式期土器利用集団(漆喰貝層無竪穴住居住民)と称名寺~堀之内1古式期土器利用集団(漆喰貝層有竪穴住居住民)は時間的に共伴していた(共存していた)と考えています。
参考
参考
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つづく
2018年3月2日金曜日
土坑の再検討 予察
大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 1
2018.03.01記事「大膳野南貝塚 学習収斂に向けた興味まとめと今後の予定」に書いた通り大膳野南貝塚学習収斂に向け、最初に土坑の再検討を行います。
この記事ではなぜ土坑の再検討を行うのか、そのキッカケになった分布図を示します。
1 フラスコ型・円筒型土坑予察図
フラスコ型・円筒型土坑
フラスコ型・円筒型土坑は容量が大きく堅果類等の貯蔵用であると考えることができます。その分布をみると円環状であり集落土地利用意思と関係あるように感じられます。
また竪穴住居から離れた場所に位置していて、逆にこれらの土坑からある程度距離をとって竪穴住居が建設されたとも考えられ、この面からも集落土地利用意思との関係を感じることができます。また円筒型土坑は複数が密集して分布しているところがあり、作り替えが行われたのか確認したくなります。さらにフラスコ型と円筒型の違いはなんでなのか興味が湧きます。貯蔵した物の種類が違うのかどうか。
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が別々にこれらの貯蔵用土坑を使っていたとすれば、どれがそれぞれに対応するのか、検討できるかどうか検討していくことにします。
2 貝層・漆喰土坑予察図
貝層・漆喰土坑
貝層・漆喰土坑は当初の目的は別として、最後は漆喰貝層有竪穴住居の送り場として使われたものであると考えることができます。
その分布は漆喰貝層有竪穴住居の分布と略一致します。また土坑の位置がフラスコ型・円筒型土坑よりも竪穴住居に近く、送り場が住居の直近にあったことが判ります。
また分布から貝層・漆喰土坑は漆喰貝層無竪穴住居は使っていなかったことが判ります。
3 フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑予察図
フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑
フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑には幾つかの別機能土坑が含まれている可能性がありますが、漆喰貝層無竪穴住居の送り場としての土坑が含まれていたことは確実であると考えます。
また分布が竪穴住居から離れた場所で列状になることが気になります。これらの中に土坑墓が含まれている可能性もあります。
4 土坑検討項目
・貯蔵用土坑と考えられるフラスコ型土坑と円筒型土坑について時期別に土坑と竪穴住居の関係を捉えらるか検討することにします。
・また貯蔵用土坑について、利用者に関して何らかの手がかりが得られるか検討します。(漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居別など)
・貝層・漆喰土坑と漆喰貝層有竪穴住居のほか、屋外漆喰炉等の情報を加え時期別に検討して漁民家族集団の活動イメージを豊かにします。
・フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑を幾つかの別機能土坑に区分できるのかどうか、その中に漆喰貝層無竪穴住居の送り場土坑が含まれているのか、土坑墓がふくまれているのか検討します。
昨年7月頃の大膳野南貝塚土坑学習ではまだQGISの扱いに慣れていなかったため、項目ごとの集計や分布図作成(平面形状、大きさ、時期、…)に終始し、項目をクロスさせて生まれる詳細項目の集計や分布図作成に至りませんでした。
その後QGISの操作にも慣れ、例えば「フラスコ型土坑の時期別分布」などの詳細データの作成と分布図作成が抵抗感なく出来るようになったので、あらためて再検討することになりました。QGIS操作技術向上により思考レベル向上が図られています。
2018.03.01記事「大膳野南貝塚 学習収斂に向けた興味まとめと今後の予定」に書いた通り大膳野南貝塚学習収斂に向け、最初に土坑の再検討を行います。
この記事ではなぜ土坑の再検討を行うのか、そのキッカケになった分布図を示します。
1 フラスコ型・円筒型土坑予察図
フラスコ型・円筒型土坑
フラスコ型・円筒型土坑は容量が大きく堅果類等の貯蔵用であると考えることができます。その分布をみると円環状であり集落土地利用意思と関係あるように感じられます。
また竪穴住居から離れた場所に位置していて、逆にこれらの土坑からある程度距離をとって竪穴住居が建設されたとも考えられ、この面からも集落土地利用意思との関係を感じることができます。また円筒型土坑は複数が密集して分布しているところがあり、作り替えが行われたのか確認したくなります。さらにフラスコ型と円筒型の違いはなんでなのか興味が湧きます。貯蔵した物の種類が違うのかどうか。
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が別々にこれらの貯蔵用土坑を使っていたとすれば、どれがそれぞれに対応するのか、検討できるかどうか検討していくことにします。
2 貝層・漆喰土坑予察図
貝層・漆喰土坑
貝層・漆喰土坑は当初の目的は別として、最後は漆喰貝層有竪穴住居の送り場として使われたものであると考えることができます。
その分布は漆喰貝層有竪穴住居の分布と略一致します。また土坑の位置がフラスコ型・円筒型土坑よりも竪穴住居に近く、送り場が住居の直近にあったことが判ります。
また分布から貝層・漆喰土坑は漆喰貝層無竪穴住居は使っていなかったことが判ります。
3 フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑予察図
フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑
フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑には幾つかの別機能土坑が含まれている可能性がありますが、漆喰貝層無竪穴住居の送り場としての土坑が含まれていたことは確実であると考えます。
また分布が竪穴住居から離れた場所で列状になることが気になります。これらの中に土坑墓が含まれている可能性もあります。
4 土坑検討項目
・貯蔵用土坑と考えられるフラスコ型土坑と円筒型土坑について時期別に土坑と竪穴住居の関係を捉えらるか検討することにします。
・また貯蔵用土坑について、利用者に関して何らかの手がかりが得られるか検討します。(漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居別など)
・貝層・漆喰土坑と漆喰貝層有竪穴住居のほか、屋外漆喰炉等の情報を加え時期別に検討して漁民家族集団の活動イメージを豊かにします。
・フラスコ型・円筒型土坑、貝層・漆喰土坑を除く土坑を幾つかの別機能土坑に区分できるのかどうか、その中に漆喰貝層無竪穴住居の送り場土坑が含まれているのか、土坑墓がふくまれているのか検討します。
昨年7月頃の大膳野南貝塚土坑学習ではまだQGISの扱いに慣れていなかったため、項目ごとの集計や分布図作成(平面形状、大きさ、時期、…)に終始し、項目をクロスさせて生まれる詳細項目の集計や分布図作成に至りませんでした。
その後QGISの操作にも慣れ、例えば「フラスコ型土坑の時期別分布」などの詳細データの作成と分布図作成が抵抗感なく出来るようになったので、あらためて再検討することになりました。QGIS操作技術向上により思考レベル向上が図られています。
2018年3月1日木曜日
大膳野南貝塚 学習収斂に向けた興味まとめと今後の予定
1 大膳野南貝塚学習の興味まとめ
2016年12月から2017年4月までの5か月間、及び2017年12月から2018年2月までの3か月間合計8か月間がこれまで取り組んできた大膳野南貝塚学習の期間です。
シナリオのない学習としてスタートしましたが、この3か月の学習で大きな興味を次の5点に絞ることが出来ましたのでメモしておきます。
1 後期集落が始まり急成長した要因は何か?
2 後期集落が急減退・衰退消滅した要因は何か?
3 後期集落で共伴する漆喰貝層有竪穴住居グループと漆喰貝層無竪穴住居グループの関係はどのようなものか?
4 前期集落の浮島式土器優勢竪穴住居家族と諸磯式土器優勢竪穴住居家族の関係はどのようなものか?
5 3と4の問題意識を関連させることは有意義であるか?
このような興味(問題意識)に基づいて近々大膳野南貝塚学習を一旦とりまとめることにします。
2 学習とりまとめ前に行う分析作業と考察
次の項目に限定して分析作業と考察を行い、学習の総とりまとめを行うことにします。
1 後期集落追加分析・考察
1-1 土坑の再検討
土坑を再検討することにより集落構造がより明確になりそうです。
・貯蔵庫の分布…竪穴住居からはなれて、全域に環状分布→フラスコ、円筒
・漆喰貝層有竪穴住居用送り場…貝層出土土坑
・漆喰貝層無竪穴住居用送り場…貝層が出土しない土坑
1-2 住居関連指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で住居関連指標に意味のある差があるか?
出自・文化が違うならば意味のある差があるかもしれないと考えます。
例 大きさ(検討済み)、形状そのもの、杭の数・配列、杭の深さ、構造に関係しない杭の存在、堀込の深さ、床のしつらえ、地形と床の傾斜の関係、炉の構造・位置等…
1-3 土器指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で土器指標(文様、器種、破壊の様子等)に意味のある差があるか?
1-4 漆喰貝層無竪穴住居家族の生業に関する考察
漆喰貝層有竪穴住居家族が漁撈している時、漆喰貝層無竪穴住居家族はどんな生業活動をしていたのか。独自の狩猟か?植物採集栽培か?漆など工芸か?急斜面に竪穴住居が存在していてヒントになりそうです。
1-5 漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族の共同関係のイメージ考察
・協働作業の項目、分業は存在したか、祭祀は別か
1-6 集落急成長と急減退・衰退の要因推測
・急成長は人口自然増加か、他所からの流入か?
・急減退の要因は何か…急減退の主因と漁撈条件悪化は同じか、違うか?
・漁撈消滅の要因は何か
・集落急減退・衰退は人口自然減(死滅)か他所への流出か?
2 後期集落と前期集落の比較分析
・後期集落と前期集落の石器組成の比較…生業の違いが鮮明になるか?
・後期集落と前期集落の「竪穴住居+土坑」による集落構造の比較
3 学習総とりまとめ
自分の興味を深める分析作業的学習に当面の限界はないと思いますが、とりあえず2の作業を終了した時点で分析作業等を機械的強制的に打ち切り、学習の総とりまとめを行い活動を区切ることにします。
学習の総とりまとめは判ったことと派生した問題意識等をデータとともに簡潔に表現し、今後の縄文時代学習のよすがとします。
大膳野南貝塚学習でこれまでに作成したQGISレイヤー
2016年12月から2017年4月までの5か月間、及び2017年12月から2018年2月までの3か月間合計8か月間がこれまで取り組んできた大膳野南貝塚学習の期間です。
シナリオのない学習としてスタートしましたが、この3か月の学習で大きな興味を次の5点に絞ることが出来ましたのでメモしておきます。
1 後期集落が始まり急成長した要因は何か?
2 後期集落が急減退・衰退消滅した要因は何か?
3 後期集落で共伴する漆喰貝層有竪穴住居グループと漆喰貝層無竪穴住居グループの関係はどのようなものか?
4 前期集落の浮島式土器優勢竪穴住居家族と諸磯式土器優勢竪穴住居家族の関係はどのようなものか?
5 3と4の問題意識を関連させることは有意義であるか?
このような興味(問題意識)に基づいて近々大膳野南貝塚学習を一旦とりまとめることにします。
2 学習とりまとめ前に行う分析作業と考察
次の項目に限定して分析作業と考察を行い、学習の総とりまとめを行うことにします。
1 後期集落追加分析・考察
1-1 土坑の再検討
土坑を再検討することにより集落構造がより明確になりそうです。
・貯蔵庫の分布…竪穴住居からはなれて、全域に環状分布→フラスコ、円筒
・漆喰貝層有竪穴住居用送り場…貝層出土土坑
・漆喰貝層無竪穴住居用送り場…貝層が出土しない土坑
1-2 住居関連指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で住居関連指標に意味のある差があるか?
出自・文化が違うならば意味のある差があるかもしれないと考えます。
例 大きさ(検討済み)、形状そのもの、杭の数・配列、杭の深さ、構造に関係しない杭の存在、堀込の深さ、床のしつらえ、地形と床の傾斜の関係、炉の構造・位置等…
1-3 土器指標の予察検討
今後労力時間を投じて価値のある結果が出そうか?という予察検討を行います。
・漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居で土器指標(文様、器種、破壊の様子等)に意味のある差があるか?
1-4 漆喰貝層無竪穴住居家族の生業に関する考察
漆喰貝層有竪穴住居家族が漁撈している時、漆喰貝層無竪穴住居家族はどんな生業活動をしていたのか。独自の狩猟か?植物採集栽培か?漆など工芸か?急斜面に竪穴住居が存在していてヒントになりそうです。
1-5 漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族の共同関係のイメージ考察
・協働作業の項目、分業は存在したか、祭祀は別か
1-6 集落急成長と急減退・衰退の要因推測
・急成長は人口自然増加か、他所からの流入か?
・急減退の要因は何か…急減退の主因と漁撈条件悪化は同じか、違うか?
・漁撈消滅の要因は何か
・集落急減退・衰退は人口自然減(死滅)か他所への流出か?
2 後期集落と前期集落の比較分析
・後期集落と前期集落の石器組成の比較…生業の違いが鮮明になるか?
・後期集落と前期集落の「竪穴住居+土坑」による集落構造の比較
3 学習総とりまとめ
自分の興味を深める分析作業的学習に当面の限界はないと思いますが、とりあえず2の作業を終了した時点で分析作業等を機械的強制的に打ち切り、学習の総とりまとめを行い活動を区切ることにします。
学習の総とりまとめは判ったことと派生した問題意識等をデータとともに簡潔に表現し、今後の縄文時代学習のよすがとします。
大膳野南貝塚学習でこれまでに作成したQGISレイヤー
2018年2月28日水曜日
竪穴住居重複の様子 大膳野南貝塚後期集落
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 33
2018.02.27記事「新発見 貝塚における異なる生業2集団の共存 大膳野南貝塚後期集落」で生業が異なる2集団共存の根拠事象の1つに竪穴住居重複の様子をあげました。
これまで竪穴住居重複の詳しい検討はしてこなかったので、この記事でデータを分析します。
1 竪穴住居重複の様子
重複の様子 1
竪穴住居93軒のうち1軒と重複するものが22、2軒と重複するものが20、3軒4軒と重複するものがそれぞれ3となり、合計48軒(52%)が重複します。
他遺跡の同じようなデータを知りませんのでこの数値の専門的な評価はできませんが、大変混みあった集落であったことは確実です。祖先が廃絶祭祀を行った竪穴住居の存在を知りながら、かつ廃屋墓であることも知りながら、出来るだけそれらを避けながら、しかしかなり大胆にそれらを切って(重複させて)新たな竪穴住居を建設しています。
重複の様子 2
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居ではそれぞれだけで重複するものが18、13と多く、混在するものは17となります。漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が混在する重複竪穴住居は重複竪穴住居の35%にすぎません。
この事実は漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族が別集団であり、異集団の廃絶竪穴住居は侵さないという不文律があったに違いありません。両者の緊張をはらんだ関係が存在していたを物語っていると考えます。
2 竪穴住居重複の分布
竪穴住居重複の分布
漆喰貝層有竪穴住居どうしの重複および漆喰貝層無竪穴住居どうしの重複がそれぞれ特定域に固まっていて、漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族がそれぞれ異なる別集団に属していたと想定することを支持する分布図となっています。
一方、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が混在して重複する域の存在は両者の関係が敵対に至るような排他性ではなかったことを示していて、両者の間に一定の交流(婚姻等)があったことを物語っていると考えます。
2018.02.27記事「新発見 貝塚における異なる生業2集団の共存 大膳野南貝塚後期集落」で生業が異なる2集団共存の根拠事象の1つに竪穴住居重複の様子をあげました。
これまで竪穴住居重複の詳しい検討はしてこなかったので、この記事でデータを分析します。
1 竪穴住居重複の様子
重複の様子 1
竪穴住居93軒のうち1軒と重複するものが22、2軒と重複するものが20、3軒4軒と重複するものがそれぞれ3となり、合計48軒(52%)が重複します。
他遺跡の同じようなデータを知りませんのでこの数値の専門的な評価はできませんが、大変混みあった集落であったことは確実です。祖先が廃絶祭祀を行った竪穴住居の存在を知りながら、かつ廃屋墓であることも知りながら、出来るだけそれらを避けながら、しかしかなり大胆にそれらを切って(重複させて)新たな竪穴住居を建設しています。
重複の様子 2
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居ではそれぞれだけで重複するものが18、13と多く、混在するものは17となります。漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が混在する重複竪穴住居は重複竪穴住居の35%にすぎません。
この事実は漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族が別集団であり、異集団の廃絶竪穴住居は侵さないという不文律があったに違いありません。両者の緊張をはらんだ関係が存在していたを物語っていると考えます。
2 竪穴住居重複の分布
竪穴住居重複の分布
漆喰貝層有竪穴住居どうしの重複および漆喰貝層無竪穴住居どうしの重複がそれぞれ特定域に固まっていて、漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族がそれぞれ異なる別集団に属していたと想定することを支持する分布図となっています。
一方、漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居が混在して重複する域の存在は両者の関係が敵対に至るような排他性ではなかったことを示していて、両者の間に一定の交流(婚姻等)があったことを物語っていると考えます。
2018年2月27日火曜日
新発見 貝塚における異なる生業2集団の共存 大膳野南貝塚後期集落
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 32
大膳野南貝塚後期集落学習の総決算として、異なる生業2集団が貝塚に共存していたという事実の発見にたどり着けました。
異なる生業2集団の存在とその共存という見立て(観察、記載)は発掘調査報告書ではまったくありませんから、この発見は大きな意義を有していると考えます。
1 生業が異なる2集団が共存していたと考える根拠事象
生業が異なる2集団が共存していたと考える根拠事象
漆喰貝層有竪穴住居は漁撈を行った家族の住居であることは自明であると考えます。一方漆喰貝層無竪穴住居からは漁撈に関わる痕跡は一切出土していません。貝製品も出土していません。この2つの竪穴住居群の分布形状は全く異なっていて、異なる意思のもとに竪穴住居が広がっているように観察できます。また廃屋墓の葬送様式が異なっていて、2つ竪穴住居群の間には異なる出自・文化が存在すると考えることができます。これらの事象から2つの竪穴住居群の混在は生業や出自の異なる2つの縄文人集団が同じ貝塚集落内で共存したことを示していると考えます。
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の分布
漆喰貝層有竪穴住居はブルー、漆喰貝層無竪穴住居はベージュ表示。
大膳野南貝塚後期集落学習の総決算として、異なる生業2集団が貝塚に共存していたという事実の発見にたどり着けました。
異なる生業2集団の存在とその共存という見立て(観察、記載)は発掘調査報告書ではまったくありませんから、この発見は大きな意義を有していると考えます。
1 生業が異なる2集団が共存していたと考える根拠事象
生業が異なる2集団が共存していたと考える根拠事象
漆喰貝層有竪穴住居は漁撈を行った家族の住居であることは自明であると考えます。一方漆喰貝層無竪穴住居からは漁撈に関わる痕跡は一切出土していません。貝製品も出土していません。この2つの竪穴住居群の分布形状は全く異なっていて、異なる意思のもとに竪穴住居が広がっているように観察できます。また廃屋墓の葬送様式が異なっていて、2つ竪穴住居群の間には異なる出自・文化が存在すると考えることができます。これらの事象から2つの竪穴住居群の混在は生業や出自の異なる2つの縄文人集団が同じ貝塚集落内で共存したことを示していると考えます。
漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の分布
漆喰貝層有竪穴住居はブルー、漆喰貝層無竪穴住居はベージュ表示。
2 2集団の関係性を示す事象
2集団の関係性を示す事象
当初想定した漆喰貝層有竪穴住居優位、漆喰貝層無竪穴住居劣位という関係は無いようです。
3 2集団の特性を示す事象
2集団の特性を示す事象
当初想定した漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の生業面における分業の証拠は見つかりません。
4 参考 要注意事象(見かけの事象)
参考 要注意事象(見かけの事象)
土器・石器・獣骨の出土数は漆喰貝層有竪穴住居と漆喰貝層無竪穴住居の関係性考察に直接使えません。
5 メモ
・「異なる生業2集団の共存」という発見(新仮説樹立)の根拠について精査するとともに、さらに根拠情報を集めることができるか、もう少し大膳野南貝塚の検討を続けることにします。
・「異なる生業2集団の共存」という事象は大膳野南貝塚だけの特殊事例であるとは到底考えることができませんから、近隣貝塚の発掘調査報告書の学習も行い、類似事例を確かめ、集めたいと考えます。
・大膳野南貝塚の前期集落では発掘調査報告書でものべられているように浮島式土器優勢竪穴住居と諸磯式土器優勢竪穴住居の2つの竪穴住居群が存在し、出自や文化が異なる2集団の共存が明らかになっています。同じ場所で前期も後期も出自等が異なる2集団が共存して集落を営んだということも単なる偶然として片づけることはできません。縄文集落社会で出自等の異なる集団が共存したという事例が特殊であるのか、あるいは一般的でありふれた普通のことであるのか、自分自身がイメージを持てるようにしたいと思います。
・これまでの学習は発掘調査報告書のGIS分析作業であり、一部の視点(興味)だけとはいえ発掘調査報告書のデータを隅々まで徹底して空間的に把握分析しています。そのGIS空間分析作業が無く紙の報告書を見て紙と鉛筆と電卓だけで学習するでは「異なる生業2集団の共存」という発見は無かったと考えます。
2018年2月26日月曜日
貝製品の出土状況 大膳野南貝塚後期集落
大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 31
貝製品の出土状況を発掘調査報告書記載から集計してみました。
1 貝製品出土状況
竪穴住居別貝製品出土状況
貝製品のイメージ(J63号竪穴住居の例) 発掘調査報告書から引用・加筆
貝製品内訳
10竪穴住居から66点の貝製品が出土します。そのうち82%が魚の鱗落としや包丁機能としての調理道具として使われた貝刃・へら状製品です。それ以外は装身具等となります。
2 漆喰貝層有無別集計
貝製品出土状況を漆喰貝層有無別に集計すると、貝製品出土竪穴住居はすべて漆喰貝層有竪穴住居になります。
漆喰貝層有無竪穴住居別貝製品出土数
この分布を立体的にみると次のようになります。
貝製品出土数の分布 1
貝製品出土数の分布 2
3 考察
貝製品が出土する竪穴住居は漆喰貝層有竪穴住居に限定されることが判りました。
自分にとっては大変貴重なデータです。
漆喰貝層無竪穴住居の家族は魚の調理をしていないと判断できます。
貝塚集落の中の半分以上の竪穴住居が漁撈・魚介類食・貝殻利用を完全にしていないことが明らかになりつつあると考えます。
それは発掘調査報告書では触れられていない(認識されていない)事象であり、新たな発見(文献解読における発見)であると直観します。
次の記事で大膳野南貝塚後期貝塚集落が生業の異なる2集団から構成されていたという発見について検討します。
貝製品の出土状況を発掘調査報告書記載から集計してみました。
1 貝製品出土状況
竪穴住居別貝製品出土状況
貝製品のイメージ(J63号竪穴住居の例) 発掘調査報告書から引用・加筆
貝製品内訳
10竪穴住居から66点の貝製品が出土します。そのうち82%が魚の鱗落としや包丁機能としての調理道具として使われた貝刃・へら状製品です。それ以外は装身具等となります。
2 漆喰貝層有無別集計
貝製品出土状況を漆喰貝層有無別に集計すると、貝製品出土竪穴住居はすべて漆喰貝層有竪穴住居になります。
漆喰貝層有無竪穴住居別貝製品出土数
この分布を立体的にみると次のようになります。
貝製品出土数の分布 1
貝製品出土数の分布 2
3 考察
貝製品が出土する竪穴住居は漆喰貝層有竪穴住居に限定されることが判りました。
自分にとっては大変貴重なデータです。
漆喰貝層無竪穴住居の家族は魚の調理をしていないと判断できます。
貝塚集落の中の半分以上の竪穴住居が漁撈・魚介類食・貝殻利用を完全にしていないことが明らかになりつつあると考えます。
それは発掘調査報告書では触れられていない(認識されていない)事象であり、新たな発見(文献解読における発見)であると直観します。
次の記事で大膳野南貝塚後期貝塚集落が生業の異なる2集団から構成されていたという発見について検討します。
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