2013年1月27日日曜日

印旛沼堀割普請を振り返る

花見川流域資料4 印旛沼堀割普請」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。

●このブログを始めてから、自分の居住場所のすぐ近くに印旛沼堀割普請の跡があり、その姿が普請往時の姿を彷彿させるような雰囲気で残っていることに感動しました。 堀割部にはコンクリートがなく、サイクリングロードさえ舗装されていないことが一種独特の峡谷風の風景を保持しています。

●そうした現実の風景と、続保定記をはじめとする現存する多数の歴史資料(特に絵図、イラスト類)からの情報を重ね合わせると、興味が膨らみ、一種の知的エンターテインメント対象のようにすら感じます。

●印旛沼堀割普請が千葉市や八千代市の小学校社会科副読本の主要テーマの一つとなっていて、両市の全小学生は1度は必ず学習することになっています。このことは、実物の土木遺構が残っているだけに、郷土の歴史を身近に感じることができる素晴らしいことだと思いました。

●一方、この空間(特に花見川堀割部分)は文化財の指定とか土木遺構としての認定などはありません。そのため、ひたひたと迫っている開発圧力に対してたいそう脆弱です。これまではたまたま大きな改変圧がなく、運がよかったので、長い間現状を保持できてきました。

●続保定記の絵地図は詳しい工事状況パースであり、詳しい分析をしたいと思っています。

●戦後印旛沼開発による堀割部分の改変をできるだけ正確に把握して、その前の姿(天保期印旛沼堀割普請後の姿)を復元したいと思います。 さらに、天保期印旛沼堀割普請による改変の姿を、現存する捨土土手の土量等から推定して、天保期印旛沼堀割普請前の姿を復元したいと思います。
そうした地形復元作業により、江戸時代の人々をしてこの場所に川を通そうと決意させた、元々の谷津地形の姿を知ります。 この作業は花見川の出自を知る上で必須です。


路傍の模様

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