「花見川流域資料6 戦後印旛沼開発と地域開発」に掲載した過去ログをざっと読み返して、このテーマに関する活動を振り返ってみました。
●戦後印旛沼開発で流域変更が行われ、印旛沼水系である勝田川流域と高津川流域が東京湾水系の花見川流域に編入されました。この流域変更があったという事実を知っている人は一般住民ではまずいません。この流域変更の理由について詳しく知りたいと思っています。
●その理由はさておき、現実に流域変更があって、3つの河川流域が一つに統合されたのですが、流域の地域づくりという観点からみると、バラバラであり、木に竹を接いだような状況も見受けられます。
ただ水の流れを繋いだだけという感じを否めません。
たとえば、花見川も勝田川も緑地としての存在意義が大きく、それぞれ地域にとって散歩空間としての価値は高いものがあります。しかし、花見川の緑地と勝田川の緑地は別々の空間として扱われており、公園緑地部局によって一体的に扱われるということはありません。従って、花見川本川筋と勝田川の谷津を結ぶ散歩道(歩道)はありません。千葉市と八千代市の市境であるということを考慮しても、少しお粗末な対応です。
花見川流域を意識して地域づくりを進めれば、今より自然環境のよさを取り込んだ居住環境をつくることができると思います。
●「印旛放水路(下流部)」という河川法上の名称が、流域を意識した地域づくりを妨げています。「印旛放水路(下流部)」という名称を使ったとたん、その「放水路」の流域の環境を考えるという発想は確実に欠落します。というか、流域という概念を拒否する用語です。
河川管理者が「印旛放水路(下流部)」という用語を使っていて、一方他の行政部局が花見川流域を意識して行政を進めるなどということはあり得ません。「名は体を表す」のです。
過去はいざ知らず、今となっては「印旛放水路(下流部)」という名称が不条理であることに、世の中に早く気がついていただきたいものです。
●流域を意識した地域づくりの在り方について考えてみたいと思います。具体的には花見川水系とその流域の自然環境・緑地を保全・創造しながら、それを居住環境に取り込み、地域の価値を高める方法です。
その方法を考えるために、過去の宅地開発によってどのような地域が形成されたのか検証してみたいと思います。
路傍の模様
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