花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.62 ハタ地名検討の重大な意義に気がつく
2015.02.08記事「古墳時代の鍛冶遺跡-妙見信仰-秦氏」で製鉄・鍛冶遺跡と妙見信仰と秦氏との関わりに気がつき、今後検討を深めたい旨書きました。
この記事を書いた時点では「製鉄・鍛冶遺跡と妙見信仰と秦氏」と水運交通との関係について、はっきり言って無頓着でした。
ですから、「製鉄・鍛冶遺跡と妙見信仰と秦氏」は極めて興味ある話題ですが、自分本来の問題意識「古代水運の船越実在実証とその意義検討」と強く結びついていませんでした。
しかし、秦氏に関する興味をとりあえず断ち切るということが、どうしてかできず、意識表層に逆らって、パソコンに向かうと秦氏検討の材料となるデータベースつくりに熱中してしまいました。(2015.02.09記事「Illustratorによる千葉県全域小字(10万件)の簡易データベース完成」参照)
そして、無意識のなせるワザのようですが、予定外の活動として、小字分布情報が存在する千葉市と八千代市を対象にハタ地名の抜出、GISプロットという根気を要する手作業を実施してしまいした。
その作業結果を見ると、ハタ地名が秦氏の活動を表現していて、それが水運と強い関係にあることが直感できましたので、報告します。
1 ハタ地名の抽出
角川「千葉県地名大辞典」資料の小字一覧のうち、千葉市と八千代市を対象にハタ地名をIllustrator画面上の小字リストから、手作業により抽出しました。
小字リストにハタ地名をチェックした様子
ハタ地名として次の地名を対象としました。
○畑(ハタケよみも含む)、○幡、○旗、和田、辺田等
ハタ地名の抽出数は次の通りです。
ハタ地名抽出数
2 ハタ地名分布図の作成
ハタ地名をGIS上にプロットしました。
千葉市・八千代市域のハタ地名分布
GIS上にプロットするために使った資料は次の通りです。
千葉市:「絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻・下巻」(千葉市発行)
八千代市:「八千代市の歴史 資料編 近代現代Ⅲ石造文化財 附録小字分布図」(八千代市発行)
作業はパソコンで行うのですが、実態は紙資料を机に広げて行う手作業そのものです。
抽出したハタ地名のカウントは、なんと、30年前に購入した手でスイッチを押すカウンターを使いました。
また、千葉市域の13箇所ハタ地名は資料に情報が掲載されていないため、GIS上にプロットできませんでした。
3 ハタ地名分布の特徴(感想)
ハタ地名分布図を見て、つぎの顕著な特徴を把握することができます。
●ハタ地名の水系沿い偏在分布
ハタ地名が水系沿いに偏在分布します。
この偏在分布から次の思考(感想)を導くことができます。
ア 古代において秦氏が内陸水運を押さえていた可能性が高いこと。(秦氏主導の水運ネットワーク形成)
秦氏が水運技術(船の所有、操船運搬技術の所有、ミナト建設技術の所有等)にたけていて、それをツールに房総で影響力を拡げたことが考えらえれます。
房総の在来勢力より優れた水運技術をベースにして、製鉄・鍛冶技術、機織り技術等の産業技術を房総にもたらし、開拓を積極的に行い、その生産品の交易を水運で行っていたことが考えられます。
これだけ多数のハタ地名が現在まで伝わるということは、古代において秦氏の進出生産拠点が水運ネットワークで結ばれていて、そのネットワークが地域発展に果たした産業上の役割が大きかったことを物語っていると考えます。
古墳時代製鉄遺跡・鍛冶遺跡と秦氏との関係が密接であることから類推して、古墳時代において、秦氏が内陸水運を押さえていた(半ば独占していた)可能性もあるかもしれません。
律令国家となり、蝦夷戦争を始めた奈良時代になって、秦氏の果たした役割がどうであったのか、その状況が同じか、変化したのか、興味が湧きます。
ハタ地名の分布から(=秦氏水運ネットワークから)花見川-平戸川船越が地域の物流幹線ルートとして利用されていたことが推定できます。
律令国家が船越に直線道路を建設する前に、すでに何らかの交通施設の存在を想定することができます。
また、東海道(陸路)の鳥取駅と鹿島川沿いのハタ地名が関連する可能性があるかもしれないと予感し、検討したいと考えています。(千葉市若葉区上泉町の鹿島川沿いに「宿畑」地名がある。)
イ ハタ地名の読み方変異は限定される
今回ハタ地名として「○畑(ハタケよみも含む)、○幡、○旗、和田、辺田等」に着目しましたが、結果としてこれらの地名は同根であり本来は一つの言葉からうまれたものと推察できました。
例えば前畑(マエバタケ)や辺田(ヘタ)もその分布からハタ地名であることを確認できました。
「○畑(ハタケよみも含む)、○幡、○旗、和田、辺田等」が同根の地名であることを追ってデータで示します。
また、白幡(白旗)、台畑(ダイハタ、ダイバタケ)、前畑(マエハタ、マエバタケ)、辺田(ヘタ)などが各地で多数出てきますが、そのニュアンスも次のように感じることができました。
白幡(白旗):新羅(シンラ、シラ)から渡来した秦氏、つまり新羅(シラギ)系秦氏。
台畑(ダイハタ、ダイバタケ):大(ダイ)秦氏=裕福な秦氏のニュアンス。
前畑(マエハタ、マエバタケ):最近来訪したグループではなく、ずっと以前に来訪してすでに居を構えている秦氏のニュアンス。
辺田(ヘタ):下手(ヘタ)や端田(ヘタ)など低い価値を示す言葉に秦氏をなぞらえようとするニュアンス。裕福で技術を持つ秦氏に対する嫉妬心の表れ?
今回ピックアップしたハタ地名の全てが秦氏関連の地名(古代に生まれた地名)とは限らないと思います。
しかし今回の作業では、「このハタ地名はどう考えても後世に名付けられた別意味の地名である」と感じられるものはありませんでした。
八幡(ヤワタ)が秦氏起源のハタ地名にはいるのかどうか、今後検討したいと思います。
ツイッターで拝見して辿りつきました、お邪魔いたします。
返信削除秦氏と製鉄に私も興味があり、いろんな説を拝見しております。最古に製鉄技術を持っていたヒッタイトは旧約聖書でヘテ人、ハッティから学者が命名したそうで、語源はヘテ・ハッティとなるそうです。音はハタに似ているので、辿っていくととても古い由来なのかもしれないですね。契丹もハター・ハターイ、エラムでもハタミ・ハルタミと似た音があります。
にこじろさん
返信削除コメントありがとうございます。
製鉄の文化がヒッタイトまでたどることができると考えると、その悠久の空間と時間に目がくらむようで、思考が刺激されます。
秦氏と製鉄・水運等が関係するといわれていますが、本当にそうなのか下総地方を対象に、追々詳しく調べたいと思っています。
その一歩として地名に残された情報を活用しようとしています。
、