2015年4月24日金曜日

八千代市白幡前遺跡 出土銙帯分布からわかること

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.117 八千代市白幡前遺跡 出土銙帯分布からわかること

1 八千代市白幡前遺跡の銙帯出土状況
次に、八千代市白幡前遺跡の銙帯出土状況をまとめてみました。

白幡前遺跡出土銙帯
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編、図面編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)より作成
銙帯スケッチは図面編より引用

銙帯出土ゾーンは1A、1B、2E、2F、3です。

銙帯は全て竪穴住居跡の覆土層から出土しています。(ゴミ捨て場に混じって捨てられたような出土状況)

全ての銙帯出土遺構がそのゾーンの掘立柱建物群の直近であることが大きな特徴です。

1Bゾーンの掘立柱建物群は人が居住していたと推定されています。その近くから銙帯が出土したのですから、掘立柱建物群に支配層(リーダー層)としての官人が居住していて、その場所が司令部等の重要な機能を果たしていたと推定できます。

1Aゾーンの出土遺構の直近には掘立柱建物群とともに、馬2頭と人1人が捨てられた9世紀土坑があります。
官人が居住していた場所が武力抗争の始末場所でもあったことがわかります。相手集団殺害を官人居住場所つまりゾーンの核となる場所で、見せしめとして行いその場に埋めたことを想像できます。

2Eゾーンの建物群はその方向など強く規制されていることが特徴ですが、そのゾーンから銙帯が出土したことは、そのゾーン開発を官人が行なった(指導した)ことを示す有力な証拠です。

2Fゾーンの開発も官人によって行われたと考えることができます。

3ゾーンは集落全体(基地全体)に関わる倉庫群であると考えれていますが、その建設・管理に官人が関わったことを銙帯出土が示しています。

2 銙帯出土と建物指標からみたゾーン特性との対比
次の図は建物指標(竪穴住居跡と掘立柱建物跡の比)から見たゾーン特性です。

建物指標からみたゾーン特性
2015.04.15記事「八千代市白幡前遺跡 掘立柱建物を指標とした集落イメージの検討」参照

この図と銙帯出土状況を対比すると、寺院(2Aゾーン)とタスクフォースB(2B、2Cゾーン)[農業集団]からは銙帯が出土していなくて、タスクフォースA(1Aゾーン、2D、2E、2F)[軍事的・業務的集団]、司令部機能又は高級将官逗留施設(1Bゾーン)、備蓄倉庫管理警護(3ゾーン)からは1つを除き全ゾーンでと銙帯が出土していて、良く対応します。

この対応関係から、この集落を一般農業集落と捉えることの蓋然性が低く、律令国家が計画的に設置した軍事兵站・輸送基地であると捉えることの蓋然性が高いことを確認できます。

3 銙帯出土遺構の時期
次に銙帯出土遺構(竪穴住居跡)の時期を図に書きこんでみました。

白幡前遺跡出土銙帯 出土遺構の時期
「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編、図面編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)より作成
銙帯スケッチは図面編より引用
スケッチに時期を書きこんでありますが、時期はその銙帯が出土した遺構の時期を示しています

時期は次のように区分されています。

白幡前遺跡及び近隣遺跡の竪穴住居消長

1Aゾーン及び2Aゾーン出土銙帯の時期は4b期と5期です。

9世紀前半から9世紀中葉です。

集落(=基地)の機能が最大限発揮されていたと考えられる頃です。

銙帯出土は集落(=基地)の機能発揮に官人が枢要な働きをしていたことの証明資料になります。

2Fゾーン、2Eゾーン、3ゾーン出土銙帯の時期は2期及び3期です。

8世紀後半から9世紀初頭です。

これらのゾーンは後半期(4期以降)に最盛期を迎えますが、銙帯の出土はそれらゾーンの最初の建設期に官人が関わったことの直接証明資料になると考えます。

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