花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.126 八千代市白幡前遺跡 墨書土器出土の分布
多文字墨書土器の検討から、墨書土器が、病気や死を避けるために神にお供えをしたというまじない(信仰)の道具であったことがわかりました。墨書土器とはお供え物を入れる容器であり、墨書とは祈願を表現しているのです。
2015.05.07記事「八千代市白幡前遺跡 墨書土器出土の文字の意味」参照
八千代市白幡前遺跡から出土する墨書土器の文字は多様ですが、「生」という文字が多く、遺跡の特徴となっています。則天文字の生(一の下に生 便宜的にXとする)や「提X」、「生堤」、「生堤」、「小堤」なども表れます。
墨書土器の例
「千葉県の歴史 資料編 考古3(奈良・平安時代)」(千葉県発行)から引用
このような文字そのものの検討は記事を改めて行います。
この記事では文字そのものの検討の準備として、ゾーン別墨書土器出土数等を観察してみます。
この記事の統計数値は全て「八千代市白幡前遺跡-萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅴ-本文編」(1991、住宅都市整備公団首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)に基づくものです。
1 ゾーン別墨書土器出土数
次に、ゾーン別墨書土器数のグラフと土器数を3段階に区分してその分布を表現した図を示します。
墨書土器数 グラフ
ゾーン別墨書土器数
1Bゾーンが墨書土器出土数が一番多く、次いで1Aゾーン、2Cゾーン、3ゾーンが多くなっています。
1Bゾーンは建物の状況や銙帯出土の状況等から「司令部機能又は高級将官逗留施設」と考えてきています。(各ゾーンの性格については2015.04.24記事「八千代市白幡前遺跡 出土銙帯からわかること」等参照)
現場で戦う将兵の内比較的上位ランクの者が居住あるいは逗留していた場所です。その場所で墨書土器が最も多く出土しています。
また、寺院と中央貴族逗留場所がある2Aゾーンは出土数が最も少なくなっています。
2 ゾーン別墨書土器出土数/竪穴住居跡数
次に、ゾーン別墨書土器出土数/竪穴住居跡数のグラフとその数値を3段階に区分した分布図を示します。
墨書土器出土数/竪穴住居跡数 グラフ
ゾーン別墨書土器出土数/竪穴住居跡数
竪穴住居跡1軒当りの墨書土器出土数を見ると、1Aゾーンが1位となります。1Aゾーンは面積が狭いので出土数では1Bゾーンにかなわないのですが、1Aゾーンの方が1Bゾーンより出土密度が高いということです。
1Aゾーンは一般将兵が居住あるいは逗留するゾーンであると考えています。
このデータから、次の2点の可能性を思考しました。
ア 高級将兵より一般将兵の方が墨書土器を沢山必要としていた。
軍事兵站・輸送基地の白幡前遺跡(集落)から陸奥国に向かい、戦地に到着したことを想像すると、一般将兵の方が戦死する可能性が大です。
一般将兵の方が高級将官より「生きたい」「生き残りたい」という本能的欲求が強かったことは当然です。
その内部欲求の強さに比例して祈願がより多数回行われたので、1Aで墨書土器出土数/竪穴住居跡数の数値が最も高くなったと考えることができます。
イ 1Aゾーンに居住・逗留した延べ人数が多かった。
1Aゾーンは集められた一般将兵が絶えず到着、出発を繰り返していた場所で、竪穴住居を使った延べ人数が1Bゾーンより多かったため、1Aで墨書土器出土数/竪穴住居跡数の数値が最も高くなったと考えることもできます。
1Bゾーンと2Aゾーンを比較すると、行政・寺院関係者と高級将官の墨書土器作成数が大いに異なることがわかります。
2Aゾーンは中央貴族接待施設と寺院があった場所です。行政・寺院関係者が居住・逗留していたゾーンです。この場所の墨書土器出土数、あるいは墨書土器出土数/竪穴住居跡数の数値が1Bゾーンより小さくなっています。
つまり、行政・寺院関係者は墨書土器を使った祈願が少なく、高級将官はそれと比べて墨書土器を使った祈願が多かったということがわかります。
蝦夷戦争に対する心構えのレベルがこの比較に表れていると考えます。
行政・寺院関係者つまり中央貴族、基地支配者、僧侶及びそれらの関係者はまぎれもなく動員する側であり、自ら戦死するという可能性はゼロです。「病気にはなりたくない」程度の祈願はするでしょうが、なんとか「生きたい」とか「生き残りたい」という切実な祈願は必要としません。
一方それに比べれば、高級将兵は戦地に赴き、一般将兵よりも可能性は低くなりますが、戦死の可能性があります。「生きたい」「生き残りたい」という祈願が行われるのは当然です。
このように考えてくると、
行政・寺院関係者→高級将兵→一般将兵の順に自分の命に対する危機予感が強く、それが祈願回数に比例していて、その結果が2Aゾーン→1Bゾーン→1Aゾーンの順に墨書土器出土数/竪穴住居跡数の数値が高まることとして表現されていると考えることができます。
2Bゾーンは寺院を支えていた農業集落と考えますので、2Aと同じように墨書土器出土が少なくなっています。
2Cゾーン、2Dゾーン、2Eゾーン、2Fゾーン、3ゾーンは軍事兵站・輸送基地の業務に携わるタスクフォース(部隊)が駐屯していたと考えます。1Aとくらべ直接戦地に向かう可能性の低い部隊であったので、1Aよりも墨書土器出土数/竪穴住居跡数の数値が低くなっています。
3 ゾーン別墨書土器文字種数
次に、ゾーン別墨書土器文字種数のグラフとその数値を3段階に区分した分布図を示します。
墨書土器文字種数 グラフ
ゾーン別墨書土器文字種数
文字種数が多いということは、その場所に居住あるいは逗留した人々が全体として文字を沢山知っていたことを表現していると考えることができます。
2Aゾーンは出土墨書土器は少ないにも関わらず文字数が多くなっています。行政・寺院関係者の文化の程度が高かったことを示しています。
「丈部人足召代」と書かれた人面墨書土器もこのゾーンから出土しています。
2Bゾーンは寺院を支えるいわゆる「一般農業集落」的性格を有しますから、識字・文化のレベルは低く文字種数が少なくなってると考えます。
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