2015年5月27日水曜日

墨書土器文字「饒」(ユタカ)の読解

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.138 墨書土器文字「饒」(ユタカ)の読解

八千代市白幡前遺跡出土墨書土器に書かれた文字の意味について検討しています。
この記事は3ゾーンの検討です。

10 3ゾーンに出土中心を持つ文字の検討
●2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

2Fゾーン、3ゾーンに出土中心を持つ文字

●饒の意味、豊の意味

饒、豊は辞書では同じ言葉として次のような意味になっています。

参考
ゆた‐か【豊-・饒-・裕-】
〖形動〗 (「か」は接尾語)
① 満ち足りていて不足のないさま。富んでいてゆとりのあるさま。豊富。富裕。
※書紀(720)仁徳四年三月(前田本訓)「風雨時に順ひて、五の穀(たなつもの)豊穰(ユタカ)なり。三稔(みとせ)の間、百姓富み寛(ユたか)なり」
※竹取(9C末‐10C初)「かくておきな、やうやうゆたかに成り行」
② 広々としていてゆとりのあるさま。
イ  人の心や態度などに余裕があって、おおようであるさま。心が広く安らかであるさま。
※書紀(720)継体即位前(前田本訓)「天皇、壮大(をとこさかり)にして、士(ひと)を愛(め)で賢(さかしき)を礼(ゐやま)ひたまふて、意(みこころ)豁如(ユタカニましま)す」
ロ  ゆったりと広がるさま。ゆるやかなさま。
※古今(905‐914)雑上・八六五「うれしきをなににつつまん唐衣たもとゆたかにたてといはましを〈よみ人しらず〉」
ハ  ゆっくりと落ち着いているさま。のんびりとくつろいでいるさま。
※御伽草子・一尼公(つれなしの尼君)(室町時代物語大成所収)(室町末)「うつつになりてかほをなで、のびをゆたかにかきて」
③ ふっくらとしたさま。豊満で美しいさま。
※東京の三十年(1917)〈田山花袋〉再び東京へ「そこには肥った豊かな頬をした娘がゐた」
④ 他の語に付いて、基準・限度を越えて、十分にあるさま、余りのあるさまを表わす。
※説経節・をくり(御物絵巻)(17C中)一三「いじゃう、なな七日と申には、六しゃく二ふんゆたかなる、もとのをくりどのとおなりある」
派生 ゆたか‐さ〖名〗
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

3ゾーンは掘立柱建物の数が多く、また枢戸(くるるど)の鍵出土から掘立柱建物は倉庫の可能性が考えられています。
一方2Fゾーンから文字「廿」(ツヅラ)が出土し、衣服の倉庫が2Fゾーンに存在していたことが想定されます。
これらの情報から、3ゾーン出土の文字「饒」、「豊」は同じ意味の現代語「豊か」と同じ意味であり、具体的には食料倉庫が一杯となり、食物が豊かであることを祈願した言葉であると考えます。

その祈願をした人間は食料倉庫の管理警備部隊の将兵であったと考えます。

掘立柱建物の枢戸(くるるど)の鍵を管理していた将兵がマイ祈願ツールとしての土器に「饒」あるいは「豊」と墨書したのです。

墨書土器の文字は基地内の職務別にその職務の内容を端的に示す言葉が採用されています。

従って、土器に墨書をするという行為は組織活動の一環として行われたことがわかります。純粋な個人的行為とは距離のある活動です。

3ゾーンの掘立柱建物群集中の様子

●村の意味
村の意味は現代語の意味合いの「第1次産業を主たる生業とする集落単位」のようなイメージでは無いと思います。
白幡前遺跡遺跡の集落は奈良時代に入って地域開発的、計画的に形成されたものであり、一般農業集落ではありません。その本質は軍事兵站・輸送基地です。

「代々農民が群がって居住していて、その有様(景観)を村と呼んだ」のでは無いと思います。

村とはこれまで何もなかった場所に掘立柱建物群をつくり、そこに膨大な食料を貯蔵し、蝦夷戦争のために順次戦地陸奥国に送り出すという風景を指して「軍事倉庫村が出来た」と考え、「軍事倉庫村の管理と警備を全うしたい」という祈願が行われたものと考えます。

村の読みかたは「ムラ」「アレ」「スキ」「フレ」などが考えられます。

奈良時代において、村の意味がこのように新規開発地を指すと考える根拠を示す必要がありますが、その検討は追って別記事で行います。(全国墨書土器データベースから「村」文字データをピックアップして、全国レベルで検討してみます。)

「饒」、「豊」、「村」の3文字は類似した祈願を表現する言葉であると考えます 。

●古の意味
古臭くなって使い勝手が悪くなった地物を新しくしたいという祈願だと考えます。
例 古道具、古武器、古田、古畑、古家、古倉庫(掘立柱建物)など

●卯原の意味
字義は卯(ウサギ)が住む野原ということです。

乙山、赤山と同じような低評価地の価値増大を祈願した言葉であると考えます。

開発したにも関わらずウサギの運動場になっているありさまのこの土地の開発をさらに進め、収穫量を増やしたいという祈願だと思います。

卯原(ウハラ)は通称かもしれませんが、地名でもあると考えます。(八千代市小字に卯原や関連名称はありません。)

古と卯原は同義の祈願語であると考えます。

●左の意味

参考
ひだり【左】
〖名〗
② 令制で、官職を左右対称に区分した時の左方。通常日本では右より上位とした。
※源氏(1001‐14頃)匂宮「例の左あながちに勝ちぬ」
『精選版 日本国語大辞典』 小学館

左(ヒダリ)は出世を願った官人の祈願語であると考えます。

同様の官人が出世を願った言葉として、2Aゾーンから「上」(アガリ)が出土しています。

●賀□□の意味
□□の長寿を祈願したものと推察します。

参考
が【賀】
〖名〗
① よろこび祝うこと。ことほぐこと。祝賀。特に長寿の祝いをいうことが多い。⇨賀の祝い。
※古今(905‐914)賀・三四七・詞書「仁和の御時僧正遍昭に七十の賀たまひける時の御哥」 〔後漢書‐礼儀志上〕
『精選版 日本語国語大辞典』 小学館

●粺の意味

参考

字音
漢 ハイ 呉 バ
字義
➊白米。
➋ひえ。穀物の一種。
『新漢語林』 大修館書店

奈良時代に粺(ハイ)が白米の意味で使われていたのか、ヒエの意味で使われていたのか、残念ながら知りません。

どちらの意味であっても、めったに食べられない白米を、あるいは主食のヒエを腹一杯食いたい(あるいはたくさん収穫したい)という祈願だと思います。

八千代市白幡前遺跡3ゾーンに出土中心をもつ墨書土器文字の実例

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