2015年5月23日土曜日

墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.136 墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由

墨書土器の文字「廿」(ツヅラ)は被服廠として利用された倉庫(掘立柱建物)の管理警備部隊の将兵が祈願に使ったものと考えます。

墨書理由は、直接的には衣服や関連物品の管理警備業務が滞りなく実行されることや、上部組織からあてがわれる業務ノルマを達成することを祈願するためのものです。

ですから、墨書土器は業務上つくられ、将兵に配布されたものと考えます。

墨書土器は将兵一人一人が自主的に祈願活動を行えるようにするためのマイ祈願ツールです。古代における自己啓発活動ツールです。

この時代は一般民衆(将兵)が初めて文字というものを身近なものとして使うことが出来るようになり、文字の威力が絶大であった時代だと考えます。

次に、墨書文字「廿」(ツヅラ)の拡散理由を想像的に検討してみました。

墨書土器文字「廿」(ツヅラ)拡散理由の想像的検討

ア 被服廠(掘立柱建物)の管理警備部隊による「廿」墨書土器作成

ア→イ 隣接倉庫(ウ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→ウ 隣接倉庫(ウ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→エ 政治中心施設あるいは寺院への進物献上に伴う「廿」墨書土器の移動

ア→オ 出征部隊キャンプ地への慰問食料献上、あるいは勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→カ 基地最大倉庫(カ)(アの組織上部筋)への進物献上、あるいは勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

ア→キ 隣接倉庫(キ)への勤務配置換えに伴う「廿」墨書土器の移動

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