花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.334 参考 竪穴住居10軒当たり鎌出土数
参考までに遺跡別鎌出土数と竪穴住居数の情報から遺跡別竪穴住居10軒あたり鎌出土数を調べた見ました。
鎌出土数
竪穴住居10軒当たり鎌出土数
船尾白幡遺跡の鎌は墨書土器等の情報から養蚕業務における桑の枝切りが主な用途であると考えてきています。
竪穴住居10軒当たり鎌出土数は、権現後遺跡遺跡を除くと、船尾白幡遺跡の値が近隣遺跡よりはるかに大きくなっています。
権現後遺跡を除いて、この情報から、他の遺跡でも養蚕が行われていたと考えていますが、とりわけ船尾白幡遺跡で盛んであったことが推察されます。
船尾白幡遺跡で墨書文字「小」「子」(=蚕(コ)が多数出土し、掘立柱建物の柱穴から「子」と墨書された土器が出土して、掘立柱建物が養蚕小屋であったと推察したような情報は、伊達ではなく、本物であることの傍証を得ました。
船尾白幡遺跡の養蚕は近隣遺跡と比べて特段に盛んだったことが判りました。
なお、グラフ全体を見ると、権現後遺跡の値がダントツのトップになっています。
権現後遺跡は土器製造施設が多数存在していて、いわば土器生産工業団地のような状況を呈しています。土器生産に特化した遺跡です。
これまでこのブログでは、権現後遺跡から出土している多数の鎌は、おもに燃料とする草木を刈るための道具であると考えてきています。
鎌が多数出土する意味はそれだけでは特定できないことが確認できます。
興味をさらに深めるために、燃料となる草木を刈る鎌(権現後遺跡出土鎌)と養蚕で桑を切る鎌(船尾白幡遺跡出土鎌)の違いがあるか、近々比較検討してみたいと思います。
参考 遺跡の位置
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