2016年4月14日木曜日

船尾白幡遺跡 鎌の出土状況

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.331 船尾白幡遺跡 鎌の出土状況

船尾白幡遺跡の鉄製品検討の最中に養蚕、漆の検討が入ってしまいましたので、この記事から再び船尾白幡遺跡の鉄製品の検討に戻ります。

この記事では鎌の出土状況を行います。

鎌の出土状況は次の通りです。

船尾白幡遺跡 鎌出土状況


墨書土器情報から船尾白幡遺跡で養蚕が行われ、桑が栽培されていたことは確実です。

一方乾漆(「息」(ソク))が行われ文字「麻」が出土していますから麻栽培も行われていたと考えられます。

鎌は養蚕の桑の枝を切るために、また麻の収穫等に使われたのではないかと考え、興味が湧いています。

また、鎌は掘立柱建物や竪穴住居の屋根を葺くための萱の刈り取りや穂を摘み取ったあとの稲藁を刈り取るためにもつかわれたと考えます。

鎌に農作業全般に使う万能農具であった側面もあることは当然です。

船尾白幡遺跡の発掘調査報告書から鎌のスケッチを抜き書きして年代順に並べてみました。

船尾白幡遺跡出土鉄製鎌

8世紀後葉~9世紀初頭では集落の中心であるDゾーンから鎌が1点出土しています。この鎌は「外ぞり」であり、他の出土鎌と異なる形状をしています。異形鎌です。

外ぞりということは一般刀剣と同じそりであり、硬いものを切るための鎌であると想定できます。

恐らく、桑の枝を切るための専用鎌であり、かつ外部から持ち込まれたものと考えます。

想像を重ねれば、8世紀後葉~9世紀初頭に養蚕技術を導入して養蚕活動の本格展開を始めた時期に外部から養蚕技術と一緒に持ち込まれた桑切鎌であると考えます。

その後、養蚕技術が船尾白幡遺跡に根付いて発展し、その時期には集落の鍛冶場で通常そり(内ぞり)の桑切鎌が作られたものと考えます。

「外ぞり」鎌の柄は次のように復元できるのではないかと想像します。

「外ぞり」鎌の柄復元想像図
Aは鎌一般の柄タイプ
B、Cはナタと同様の柄タイプ

使い勝手(手の筋肉感覚)からして、恐らくBタイプの柄あり、発掘調査報告書では鎌として記載されましたが、実際はナタであり、木の比較的太い枝を切る道具であったと考えます。

養蚕(桑栽培)と不可分の道具だと考えます。

つづく



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