鏡味完二の地名型の15番目の「~の宮」について検討しました。
1 鏡味完二の検討 地名型「~の宮」
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nomiyaの地名
平安時代に国司がその国の神社に参拝する順序が定められていて,"一ノ宮","ニノ宮",などと称するようになり,ついにはその祠のある土地の名となったのである。
その時代は平安から鎌倉にかけての頃である。
この地名型の分布において,その重心が,近畿を去って東の方に移行していること,並に全国の分布の中央に地名が疎か或は全くない地域,すなわち前充実地域あるいは充実地域が存在していないことなどをみると,上述して来たいくつかの地名型から"田代"に至るまでの分布のPattenが,ここに至って遽かに模様を異にしていることが明らかに知られる。
そこで著者は前表(地名の層序年表)の中で,1200年頃の鎌倉幕府創設をもって,古代地名から中世地名への,地名発達史上の一大劃期的事件と考えたのである。
この地名型が各国において,等しくこのような事情に基いて形成されたとすれば,何故にこの様に地方によって異った分布上の結果が現れたのであろうか,という疑問が起される。
これに対する充分な理由については,尚深い研究が要請されるであろう。
しかし次の如く考えることができるであろう。
国司のこのような儀礼が最も強力に継続して遂行されたのは,矢張り当時の支配権の強く作用した地方であったとみるべきで,中央政府から遠く隔っていた辺境地方では,その作用は弱かったと推測することができる。
〔地図篇,Fig.197〕
(Fig.22,N6・15)
鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年) から引用
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2 千葉県における地名「~の宮」検索結果
次の7地名が検出されました。
~の宮
この検出結果を分布図にすると次のようになります。
「~の宮」地名分布
上記地名のうち、一宮町一宮は上総国の一宮である玉前神社の立地に該当します。
船橋市二宮は下総国の二宮である二宮神社(式内社の寒川神社)の立地に該当します。
なお、ウィキペディアに次のような一宮リストが掲載されています。
諸国一宮一覧(房総分抜き書き)
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