大膳野南貝塚の貝塚形成期の海面が縄文海進クライマックス期を過ぎて、海退が顕著になって海岸線がだいぶ引いた時期であることを学習しました。
2017.01.03記事「大膳野南貝塚 時代と縄文海進海面との対応イメージ」参照
この学習は自分の漠然としたイメージを打ち砕くものでした。
この記事では貝塚形成期(縄文時代後期)の海面分布が3500年前海面分布と略一致するものと大ざっぱに考えて、大膳野南貝塚の地形断面上での位置を把握することにします。
次の図は大膳野南貝塚で貝塚が形成された頃の海況想定図です。
想定 縄文時代後期頃の海況
この図に海から谷津を通って大膳野南貝塚に至り、さらに尾根筋を通って九十九里平野に抜ける地形断面線を設定してみました。
地形断面線の設定
地形断面図は次のようになります。
東京湾-大膳野南貝塚-九十九里平野地形断面図(現代地形)
大膳野南貝塚の際だった地形特性が浮き彫りになりました。
大膳野南貝塚は下総台地面から下ることなく、台地面上に存在するとともに、谷津を通って海に直接降りることができる場所に立地しています。
台地平坦面を通って、斜面を上下することなく効率的に九十九里平野を臨む台地東端まで移動できる場所に立地していることは、この遺跡が狩を最優先にした集団の生活跡であることを物語ると考えます。
同時に台地西端に位置してすぐに東京湾に出られる立地は強く漁撈を意識しています。
地形から大膳野南貝塚の位置は狩を最優先としつつ、それに特化することなく、漁撈も副次的に重要要素として生活に取り込んだ集団の生活を想定することができます。
広域的な地形から、大膳野南貝塚の特性大局観を持つことができました。
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