2017年1月3日火曜日

大膳野南貝塚 時代と縄文海進海面との対応イメージ

大膳野南貝塚発掘調査報告書第Ⅲ分冊に縄文時代遺構に関わる放射性炭素年代測定結果が掲載されています。

縄文時代遺構に関わる放射性炭素年代測定結果

この結果をざっくりと理解するならば、前期遺構は約5000年前、後期遺構は約4000年前ということになります。

この年代測定結果と「辻誠一郎他(1983):縄文時代以降の植生変化と農耕-村田川流域を例として-、第四紀研究22(3)251-266」による縄文海進海面をイメージ的に対応させると次のようになります。

大膳野南貝塚 時代と縄文海進海面に対応イメージ

大膳野南貝塚の学習を始めるにあたり、このイメージ図で時代と縄文海進海面との関係の大局観をもつことができました。

大膳野南貝塚に貝塚集落が出現するのは縄文時代中期から後期であり、その時の海面は海退が進み干潟が形成される環境にあったことがわかります。

縄文海進クライマックス期までの時代(縄文時代草創期、縄文時代早期)には大膳野南貝塚には貝塚は形成されていません。

またクライマックス期を過ぎても1500年から2000年の期間大膳野南貝塚では貝塚が形成されていません。

その理由が何であるか、興味が深まります。

とりあえず、海進期や海退に転じてもしばらくの間(1000年~2000年)は干潟の形成が不十分で安定した貝類採集が出来なかったと考え、そのような自然環境的な条件をその理由に考えておきます。

今後学習を深めるテーマにします。

これまで、漠然と縄文海進クライマックス期(海面が内陸に進入して最大化した時期)と貝塚形成を結びつけて考えていましたが、その考えを大幅に修正する必要に直面させられたことになります。

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