大膳野南貝塚の遺構分布を通しで概観してみて、自分なりの遺跡イメージを構築しようとしています。
この記事では縄文時代中期末葉~後期中葉の遺構分布を概観してみます。
なお、この前の時期(縄文時代前期末葉~中期後葉)は土器は出土していますが、遺構は出土していません。
次に、竪穴住居祉、土坑、北・南・西貝層、地点貝層の分布図を示します。
大膳野南貝塚 縄文時代中期末葉~後期中葉 竪穴住居祉分布図
この分布図を概観する限りでは竪穴住居の分布は北・南貝層付近で密であり、全体として2重環状分布のように見えます。
この情報に土器形式情報をオーバーレイして時代変化などについて分析学習したいと思います。
大膳野南貝塚 縄文時代中期末葉~後期中葉 土坑分布図
土坑分布も2重環状分布しているように観察できます。
また列状の分布している場所が各所に見られます。
恐らく詳しく分析すれば竪穴住居と土坑との対応関係をどこかのレベルで知ることができるような予感のする分布です。
大膳野南貝塚 縄文時代中期末葉~後期中葉 北・南・西貝層分布図
メインの貝塚を形成する貝層は3か所に分かれて分布していて、竪穴住居・土坑の2重環状分布の外側環状と一致します。
発掘調査報告書では貝層は弥生時代以降の改変により現在の姿になり、もともとは環状をしていたと記述されています。
しかし、後世の開発により削られたと発掘調査報告書が想定していると考えられる場所は台地中央部であり、場所の地勢からして、その場所にもともと貝塚があったとは考えずらく、発掘調査報告書の記述に違和感を持ちますので、学習において検証したいと考えます。
大膳野南貝塚 縄文時代中期末葉~後期中葉 地点貝層分布図
地点貝塚の分布は外環状をきれいに示すように観察できます。
発掘調査報告書ではこの他に、漆喰使用遺構分布図、人骨検出遺構分布図もありますが、本学習の中で検討します。
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